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2012/02/22

選択しなかった作業ストーリー

わたしは、あと何年くらい生きると思う?
「・・・平均でいえば、5年くらいだと思います」
それくらいなら、生きることも悪くはないわ。







作業療法の目標について、絵を見ながら決めるのね。
つまり、私の中に潜在するやりたいことを発見しようと、
一緒に試みるのね。それは興味深いわ。
いいでしょう、やってみましょう。




トイレとかお風呂の絵ね。
私はいま、自分ひとりでは全くできないわ。
それどころか、手伝ってくれる人が2人も必要よ。
そうね、もし1人で可能になるならイイことね。

でもね、今から一生懸命に練習をしたとして、
安全にひとりでトイレができるようになると、
あなたは思う?

「少しだけ、立つ力は獲得できるかもしれませんが、
1人で安全にトイレができるという目標は、
・・・現実的ではないと思います」

そうね、私でもわかるわ。

もしね、訓練としてやりなさいとあなたが言ったら、
私はやるでしょう。嫌がることなく、毎日でもやるわ。
でも、毎日やったとしても私がそれを好きになることは、
おそらくないと思うわ。
だからトイレとかお風呂については、
私がやりたいことではないわ。


次は車いすに移ったり、立ち上がったりする絵ね。
さっきと同じことよ。
それが大切な人もいるでしょうけど、
私にとっては重要なことではないわ。




これは家事ね。掃除や料理は好きだったわ。
私が作る料理ね、あなたが想像する以上に、美味しいわよ。
でも、いまやりたいことではないわ。
家族と暮らしていた頃に、家族のために日常的に作ることが、
私は好きだったと、今ならわかる気がするわ。




衣類の手入れ!
私ね、つい3日前に自分の洋服を手直したのよ。
襟と袖が大き過ぎてね、介護士さんに勧められて、
やってみたのよ。すこし不安だったけど、できたわ。
できたことよりもね、
気がついたら3時間も経っていたことに、驚いたわ。

いつもなら時間が過ぎるのが遅いと感じる時間帯なのに、
あっという間の感覚で3時間も費やしていたのよ。
必要があれば、またやりたいわ。
でも、今の私にとって大切なことではないわね。


「手芸はやってみたいと思いませんか?
そのように時間を感じることができたなら、
充実した生活につながる可能性もあるかなと思いましたが」


手芸?それはつまり、やらないといけないことではなくて、
遊びとしての縫い物ね。それには興味はないわ。
さっきの、立ち上がりやトイレと同じね。
やれと言われたらやるけど、大切ではないわよ。




これは学習の絵ね。私、これがすごく大切。
それが私の考える、人間らしさよ。
生きている限り、自分を高めるために学ぶことが、
大切だと私は思い続けるでしょうね。
今の私はそれができていると思うわ。




これは交流ね。家族との交流は、
私が生きる上での拠り所よ、まさに、よりどころ。
私にとって、最も大切なことよ。
私の娘や孫たちは、私のために小説を持ってきてくれる。
私の部屋、山のように積まれた本のことを知ってるでしょ。
大切なことだけど、困っていることではないわ。


友人との交流?昔は大切なことだったわ。
でも今は車いすに乗っている自分をさらけ出すことに、
うまく表現できない遠慮や抵抗感があるわ。
でも、それは向き合って乗り越える価値があるとは、
私には思えないわ。だから、やりたいことではないわね。
私は、会いに来てくれる家族がいれば、すごく満足。




これは墓参りの絵ね。大切な仕事とは思わないわ。
個人の価値観になるんだけど、
あなたは死後の世界があると思っている?

「・・・あるかもしれないけど、感じることはないと思います」

私もそう思うわ。
だから、墓参りは義務として参加するけど、
私にはとってやりたいことではないわね。
これは人それぞれの価値観の違いでしょうね。


スポーツは昔から私はやらなかったし、興味もないわ。




読書!これは私にはとって1番大切なことよ。
私、思うんだけど、私以外のここに入居している人たちって、
一体どうやって一日を過ごしているんだろうと思う。
自分で何かすることに時間を費やさなかったら、
退屈で仕方がないはずなんだけどね。

本を読むことが生きがいよ。
そして私は今、自分でそれをすることができる。
だから本を読むことに関して私は、満足しているわ。
トイレが1人で行なえないけど、満足しているのよ。


こうやって振り返ったからこそ、わかることなんだけど、
私は今の生活にとても満足しているわ。
介護士さんたちのおかげよ。


「家族と本屋で過ごすことを目標に、
まずボクらと本屋へ行く案について、
あなたはどう思いますか?」

「本を選ぶあなたを見て家族も喜ぶでしょうし、
本を読むための椅子として車いすは役立つかもしれません。
そういう考え方だと、ちょっと外出についても
見方が変わるかなと思うんですけど、いかがですか」


あなたが一緒に行きたいと思うなら、
それも悪くないと思う。行ってもいいわよ。
でもね、ほんとうに今のままで満足しているの。
こうやって一緒に話をすることで、
私も発見できたことよ。たぶん、間違いないことね。


それでね、もう死んでもいいかなと思うの。
生きるのが辛い、という意味ではなくてね。
人生を振り返っては一言で表現できないけど、
今については満足しているから、もういいのよ。
ただ、これから何十年も生きることが続くと思うと、
ちょっと長過ぎると思うのよね。
あなたはどう思う?




「・・・あなたがそう思うなら、
あなたにとってそうなんだろうと思います」


うん、私もそう思うわ。

そろそろ帰りましょうか。いい時間を過ごせたわ。
また小説の交換をしましょうね。

2012/02/15

不安な作業療法士

3年前、沖縄で開催した作業科学関連の研修でアンケートを聴取した。
100人の参加で回収率は80%、
「作業療法を説明する時に不安を感じますか?」という問いに、
98%の参加者が不安があると答えた。

1人だけ不安ないと答えたのはボクだったので、
実質的に全員が不安を感じていると答えた。
すぐに日本OS研究会の理事に一斉メールを送ったのは、
いつもの勇み足だったかな。




2年前の8回沖縄県作業療法学会で、
通所利用者にOSA2、AMPSで評価して人間作業モデルで介入した事例報告。
共同演者は首都大東京の山田先生。
他に、作業科学の視点に基づいて地域に介入した報告、
学生の主体性を促進する講義形式について報告した。


学会終了後、15年目の先輩が話しかけてくれた。
人間作業モデルで介入した事例報告について感銘を受けたと、
握手を求めてくれた。

老健施設で勤めていると、毎日の業務をこなすことに精一杯で、
入居者の生活に役立つ関わりができたのか不安に感じる、と。
理論系の講習会、研修会にはいつも参加しているが、
それを日常の業務に活かすことが上手くできないと話した。




講師の話を聞いて感銘を受けた分だけ、
それができない自分が情けなく、
利用者に申し訳なく思い、すごく辛くなると話した。
もっと勉強すれば理解できるようになって、
臨床で思い描くような支援を提供できるかもしれないと思い、
ちゃんと勉強していない自分が恥ずかしくもなる、と。

同じ沖縄で働いているあなたが、
理論に基づいた支援をわかりやすく報告してくれたことで、
自分にもできるかもしれないと思えたから、
感謝していると言いながら握手を求めた先輩は、
震えながら少し泣いていた。

教員の頃に実習生の臨床教育を依頼したことがあったので、
先輩が勉強熱心で、頭が良くて心優しい作業療法士であることは、
ボクは知っていた。
だからボクは聴く事が、苦しかった。



本当にこの先輩は、
どうしようもなく無知な怠け者の臨床家だろうか。



「真の作業療法」を実践できない作業療法士と指差す人は、
あるいは自分を指差して泣いている人は、
何を守り、何を育みたいと思っているのだろうか。





先輩の話をよく聴いた上で、ボクは答えた。

「いま、ADOCという評価ツールを、
ボクらは開発中です。あと1年待ってください。
先輩は、なにひとつ、間違っていません」


誰も、なにひとつ、間違っていません。

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2012/02/12

娘の教え

「将来の仕事は、看護師かリハビリの人か迷ってる」
と7歳になった娘が言う。




なんでその仕事で迷っているの?

「看護師になったらパパが寂しいだろうし、
リハビリの人になったらママが寂しいだろうから」

ふーん、寂しいかなぁ。
自分はなんでその仕事がしたいと思うの?

「人のためになりたいし、
人に褒められたいから。
それに、リーダーにもなりたい」


どうしてリーダー?仕事が増えて大変だよ。

「パパとママが困っている時に、助けたいから」


・・・・おい、大きくなったらパパと結婚しようか。


「それはお断りします。
ママのためにもずっと一緒にいなさい」

あ、はい。