2010/12/05

ADOCの使命  ADOC Mission

ひさ〜しぶりに日記を書く。
新しい名刺にブログのアドレスを掲載したから更新しよ。

11月、32回九州PTOT合同学会でADOCのポスター発表をした。

これがポスター↓


学会2日目、朝一番、特別講演中、400演題近いポスター発表、OT参加率は比較的少なめ。
という状況の中ではあったが、
多くの方がプレゼンに参加してくださった。

プレゼンをバックアップしてくれたチームADOC沖縄メンバーのみなさんと、
ポスター発表に参加してくれたみなさんに感謝。

質疑応答などを通して感じたことは、
PTやバリバリの機能訓練主義者と思っていたOTからの好意的な態度だった。


あくまでも主観だが、この仕事を選んだ人っていうのは
根本的に同じところで感動すると思う。

歩けた、手が動いたというクライエントの喜びは、生々しくて熱い。
その瞬間に立ち会えて、しかも何かしら自分が貢献できたことが、素直に嬉しいと思う。
しかし、損傷部位と範囲によっては回復の早さも到達度も全然違ってくる。
この現実に直面したクライエントと向き合った時、人として、専門職としても心揺らぐ。

その上さらに、
祖母くらいの年齢の女性が泣いてしがみしきながら「手を治せ!」、
親くらいの年齢の男性がものすごい形相で「それが仕事だろ!」
と訴えてくる。

・・・つらい。

だからあえて、話題に触れたがらないクライエントに合わせて、未来の話をしない。
どれくらいの期間で、どれくらい回復するのか、どういうことができるようになるか、
どんなことができなくなるのか、という話をせず、
求められるまま淡々と機能回復訓練をする。自他ともに認める一生懸命さを示す。
身障1年目の頃のボクは、そうだった。が、それもまた、つらかった。

でも、歩けるようになった、手が治った、という喜びよりも、
強くて大きく深い喜びがあることを知るようになった。
歩けない、手が動かない、という苦しみよりも、
鋭くて固く重い苦しみがあることを知るようになった。

その足で歩いて、会いたい人がいる。心配をさせたくない夫や妻がいる。
その手で作って、贈りたいものがある。抱きしめたい子や孫がいる。




その喜びを可能な限り支えたい。
その苦しみをできるだけ軽くしたい。
そう願って、うまくいくこともあったが、うまくいかなかったことが多過ぎた。
何が大切ですかって、聞かなければ互いに傷つくこともなかったと思ったりもした。


踏み込まずに関わることは可能だし、それでも仕事はできる。
でも、
クライエントと成功した経験はぜったいに心から離れられない。
できることなら、目の前の人とも同じように感動したいと思い続けている。
これは介護士も医師、看護師もケアマネージャーもPTもSTもケースワーカーも、
どんな職種だって、どんな経験年数だって、どんな領域だって等しく願っていると思う。


具体的な治療、支援方法は人それぞれだろうが、
その糸口を見つけ出すことが一番大切なことではないかと思った。
抽象的な助言や権威者の言葉は、ボクの場合は救いにならなかった。
自分とチームのために、もっと現実的で具体的な手段が欲しかった。


ADOCは開発することが目的ではなく、
以前のボクと同じように葛藤しているセラピストや支援者の
願いを支援することが目的。

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