2011/02/05

くじけないで In the dauntless

行きつけの美容室で教えてもらった本。
柴田トヨの「くじけないで」
92歳で詩を始めて6年目だという彼女の処女作。




亡くなった母とおなじ
九十二歳をむかえた今
母のことを思う

老人ホームに
母を訪ねるたび
その帰りは辛かった

私をいつまでも見送る

どんよりとした空
風にゆれるコスモス
今もはっきりと覚えて
いる





特養ホームに入居した祖母に会いに行く20歳前後の自分を思い出し、
いまの職場で面会に訪れる入居者のご家族の表情を思い出していた。

少なくてもボクは、面会に行こうと決めた時から胸のどこかに
ウシロメタサ、ムリョクカン、ヒソウカン、ザイアクカンがいた。
会話ができるうちは、会話の間が持たないことに居心地の悪さもうまれた。
会話ができなくなってからは、視線が落ち着く場所を探していた。

それらが部屋中に充満していたわけではないが、確かにあった。
それ以上に会いたいと思って時々会っていたのは間違いない。と、思う。
会わなければ自分が生んだ重い気持ちから解放されるかと言ったら、
そんなことない。
会いたいと思う気持ちもあるが、義務だと思うこともあった。

そんなことを考えたり感じたりする自分にがっかりもする。
積み重なるが、人に話すことではないし、話せることでもない。


同じ気持ちで面会に訪れる家族もいるのではないかと、ボクは思っている。
そう感じる家族がいたとして、自分を責めてはいけないよ、とは言えない。
楽になって、責めないで、と他人に言われて、
それができるくらい軽いものなら、
始っめから思い悩んだりしないことくらいはわかっている。
でも、言っちゃうけど。

作業療法士として、いまチームに求められているのはたった2つだけ。
関節が固くならないようにする、自分の足で立てる能力を維持させる。

手段としては大切だが、他の何よりも大切だというほどではない。
いちばん大切なことは、
入居者とご家族の固く小さくなった感情や考え方を、
自ら解いて紡ぎなおせることだと、いまのボクは思い込んでいる。
しかも、それを誰でもできるようにするために、
数値化や仕組みの見える化が必要だと思っている。





で、くじけそうだった。
そんなタイミングでの柴田トヨさんだった。


あなた

出来ないからって
いじけてはダメ
私だって九十六年間
出来なかった事は山ほどある

でも 努力はしたのよ
精いっぱい
ねぇ それが
大事じゃないかしら

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