先日、高齢者マンションで独居生活する方にADOCを使って面接をした。
彼女は繰り返し訴えていた。
「歩ければいい。とにかく、歩ければそれですべて解決する」
「他のやりたいことは今はあきらめる。とにかく歩けるようになりたい」
掃除についてどうだろうかと思い、
イラストを一緒に確認しながら尋ねてみた。
娘がやっているから心配はないと答えた。
その経過があって「掃除をする」という作業は、作業療法の目標から外した。
でも、その後の担当者会議の場では訪問介護を利用して
自宅内の掃除を手伝って欲しいと話していたそうだ。
明日、会えるので確認しようと思っているが、なぜだろうかと考えていた。
「とにかく、歩けるようになりたい」
何度も繰り返す彼女に理由を尋ねると、娘に心配をかけたくないからと答えた。
作業療法の目標で掃除を選択しない理由は、娘がやってくれるからだった。
彼女が訪問介護で掃除を依頼する理由は、娘のためではないかと思う。
自立して安全に掃除ができたとしても、
後から娘さんが再び掃除をしなくても済むほど完全にきれいにすることは、
難しいと判断したのかもしれない。
介助を必要としている日常生活動作や生活関連動作を観察すると、
できるようにしてあげようと思いがちになる。
介助を要求すると、そのことにとても困っているんだと思い込んでしまう。
意味と目的のある何かすること(作業)をやろうと思うことだけではなく、
選択しないことにも物語がある。作業を始めない理由がある。
それは言葉や行動を何気なく観察していても、気がつくことはないだろう。
作業を選択するか、選択しないか、
そのことよりも理由が大切だと改めて気がつくことができた。
ADOCで注意深く彼女の話を引き出していなかったら、
疑問を見落としたまま歩み続けていたかもしれない。
明日、彼女の話をよく聴こう。
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