よく誤解されるので、書いておく。
機能訓練に抵抗があるわけではない。
それしか選択しないことに、強い抵抗がある。
その時、ボクは26歳で彼は30歳だった。
脳動脈瘤の破裂により、運動麻痺が出現した。
急性期病院ではベッドの上で一日を過ごし、
回復期リハ病棟のあるボクの職場に転院してきた。
初日にCOPMを聴取し、目標を明確にした。
農業試験場に勤める彼は、豚の世話をすること、
1人で生活すること、通勤は車が必要であることを話した。
どんな自宅で、どんな車で、どんな仕事内容で、
仕事に関してはどこまで職場の協力が可能であるか確認した。
どこまで妥協できるか、何は妥協できないか、
それはなぜか確認した上で、作業療法の目標と方法を
一緒に考えた。
その上で、病棟廊下歩行訓練から始めた。
1ヶ月ぶりに歩いたと話す彼は、10m歩いて廊下に嘔吐した。
ベッドに運び、すぐに脳外科の医師にリスクを再確認したところ、
CTの結果を見直しても再発の危険は少ないから気にするな、と
言ったので、危険と判断する状態を細かく確認した。
その後でボクが彼に伝えたのは、1時間後に歩行訓練を再開する。
その時に再び嘔吐した場合は、さらに1時間くらい空けて再開すること。
今はやればやるだけ変化が期待できるので、
無理をしてもやるべきだと伝えた。
そして1ヶ月後の変化を確認して、
継続するか、終了するか判断すると伝えた。
1時間後、彼は再び廊下で嘔吐したが、さらに1時間後に再開した。
成果が期待できるという根拠がある限り、機能訓練はするべき。
ここで主張したいことは、2つだけ。
1つめは、機能訓練は何のためにという目的と、
どこで何をしている状態になるという目標が必要不可欠。
2つめは、機能訓練を選択して開始する時には、
客観的根拠に基づいて終了する時を始めに決めておくこと。
同じ情報量と同じ情報の質を共有することを前提に、
フェアな関係が成り立ち、表面的ではない協業が可能になると思う。
そうして初めて、
機能訓練という形態ではなく、意味が有る、無いではなくて、
どんな意味があるのかという議論ができるんじゃないかと思う。
機能訓練は作業か?
ただの機能訓練かもしれないし、
個人的に特別な意味のある作業かもしれない。
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