わたしは、あと何年くらい生きると思う?
「・・・平均でいえば、5年くらいだと思います」
それくらいなら、生きることも悪くはないわ。
作業療法の目標について、絵を見ながら決めるのね。
つまり、私の中に潜在するやりたいことを発見しようと、
一緒に試みるのね。それは興味深いわ。
いいでしょう、やってみましょう。
トイレとかお風呂の絵ね。
私はいま、自分ひとりでは全くできないわ。
それどころか、手伝ってくれる人が2人も必要よ。
そうね、もし1人で可能になるならイイことね。
でもね、今から一生懸命に練習をしたとして、
安全にひとりでトイレができるようになると、
あなたは思う?
「少しだけ、立つ力は獲得できるかもしれませんが、
1人で安全にトイレができるという目標は、
・・・現実的ではないと思います」
そうね、私でもわかるわ。
もしね、訓練としてやりなさいとあなたが言ったら、
私はやるでしょう。嫌がることなく、毎日でもやるわ。
でも、毎日やったとしても私がそれを好きになることは、
おそらくないと思うわ。
だからトイレとかお風呂については、
私がやりたいことではないわ。
次は車いすに移ったり、立ち上がったりする絵ね。
さっきと同じことよ。
それが大切な人もいるでしょうけど、
私にとっては重要なことではないわ。
これは家事ね。掃除や料理は好きだったわ。
私が作る料理ね、あなたが想像する以上に、美味しいわよ。
でも、いまやりたいことではないわ。
家族と暮らしていた頃に、家族のために日常的に作ることが、
私は好きだったと、今ならわかる気がするわ。
衣類の手入れ!
私ね、つい3日前に自分の洋服を手直したのよ。
襟と袖が大き過ぎてね、介護士さんに勧められて、
やってみたのよ。すこし不安だったけど、できたわ。
できたことよりもね、
気がついたら3時間も経っていたことに、驚いたわ。
いつもなら時間が過ぎるのが遅いと感じる時間帯なのに、
あっという間の感覚で3時間も費やしていたのよ。
必要があれば、またやりたいわ。
でも、今の私にとって大切なことではないわね。
「手芸はやってみたいと思いませんか?
そのように時間を感じることができたなら、
充実した生活につながる可能性もあるかなと思いましたが」
手芸?それはつまり、やらないといけないことではなくて、
遊びとしての縫い物ね。それには興味はないわ。
さっきの、立ち上がりやトイレと同じね。
やれと言われたらやるけど、大切ではないわよ。
これは学習の絵ね。私、これがすごく大切。
それが私の考える、人間らしさよ。
生きている限り、自分を高めるために学ぶことが、
大切だと私は思い続けるでしょうね。
今の私はそれができていると思うわ。
これは交流ね。家族との交流は、
私が生きる上での拠り所よ、まさに、よりどころ。
私にとって、最も大切なことよ。
私の娘や孫たちは、私のために小説を持ってきてくれる。
私の部屋、山のように積まれた本のことを知ってるでしょ。
大切なことだけど、困っていることではないわ。
友人との交流?昔は大切なことだったわ。
でも今は車いすに乗っている自分をさらけ出すことに、
うまく表現できない遠慮や抵抗感があるわ。
でも、それは向き合って乗り越える価値があるとは、
私には思えないわ。だから、やりたいことではないわね。
私は、会いに来てくれる家族がいれば、すごく満足。
これは墓参りの絵ね。大切な仕事とは思わないわ。
個人の価値観になるんだけど、
あなたは死後の世界があると思っている?
「・・・あるかもしれないけど、感じることはないと思います」
私もそう思うわ。
だから、墓参りは義務として参加するけど、
私にはとってやりたいことではないわね。
これは人それぞれの価値観の違いでしょうね。
スポーツは昔から私はやらなかったし、興味もないわ。
読書!これは私にはとって1番大切なことよ。
私、思うんだけど、私以外のここに入居している人たちって、
一体どうやって一日を過ごしているんだろうと思う。
自分で何かすることに時間を費やさなかったら、
退屈で仕方がないはずなんだけどね。
本を読むことが生きがいよ。
そして私は今、自分でそれをすることができる。
だから本を読むことに関して私は、満足しているわ。
トイレが1人で行なえないけど、満足しているのよ。
こうやって振り返ったからこそ、わかることなんだけど、
私は今の生活にとても満足しているわ。
介護士さんたちのおかげよ。
「家族と本屋で過ごすことを目標に、
まずボクらと本屋へ行く案について、
あなたはどう思いますか?」
「本を選ぶあなたを見て家族も喜ぶでしょうし、
本を読むための椅子として車いすは役立つかもしれません。
そういう考え方だと、ちょっと外出についても
見方が変わるかなと思うんですけど、いかがですか」
あなたが一緒に行きたいと思うなら、
それも悪くないと思う。行ってもいいわよ。
でもね、ほんとうに今のままで満足しているの。
こうやって一緒に話をすることで、
私も発見できたことよ。たぶん、間違いないことね。
それでね、もう死んでもいいかなと思うの。
生きるのが辛い、という意味ではなくてね。
人生を振り返っては一言で表現できないけど、
今については満足しているから、もういいのよ。
ただ、これから何十年も生きることが続くと思うと、
ちょっと長過ぎると思うのよね。
あなたはどう思う?
「・・・あなたがそう思うなら、
あなたにとってそうなんだろうと思います」
うん、私もそう思うわ。
そろそろ帰りましょうか。いい時間を過ごせたわ。
また小説の交換をしましょうね。
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