先日のクリニカル・クラークシップ研修会で、
冒頭に入れたエピソード。
だいぶ前の日記にも書いているんだけど、再挑戦。
山梨の病院で10週間の臨床実習を体験中に、
学院から訪れた教員が投げかけた問答。
「あなたはあの池の小さい鯉。
バイザーと私はあの大きい鯉」
「小さい鯉は、大きい鯉が世界で一番大きく、
池が世界のすべてと思っている。
大きい鯉は、小さい鯉より大きいと知っている。
でも、もっと大きい人間の存在を知っている。
池が世界のすべてではないことも、知っている」
「あなたは手技を真似ようと必死で見学しているけど、
あなたと臨床のOTの違いは手技よりも、
自分と世界を正しく知っているかどうかの違いが大きい」
「あなたは、あなたに何ができるか、
何ができないか知っていない。
でも、私と臨床のOTは知っている」
「この差は、知識と技術の差よりも大きい」
何が言いたいのか、さっぱりわからなかった。
それだけ言い渡して帰った教員が、
それ以上の言葉を残さなかった意味を考えていた。
自分と世界を知っているから、
自分を過小評価せず、必要以上に不安にならない。
自分を過大評価せず、実力以上に自信を持たない。
これは学校では学べない。
自分にできること、できないことを教えてくれるのは、クライエント。
それから同じ職種と他職種。
世界を知るというのは、
ある能力が1つの職種のすべての価値ではない、ということ。
プロ野球選手が人物画の才能が無いと悩む、
歌手が100mを13秒台しか走れないと悩む、
それがムダで全く意味のないこと、と同じかな。
・・・例えを間違えた。
でもいいや、そんなに変わらない。
脇道に全力疾走しそうだから出発地に戻ってみる。
実習中に学生に伝えることは、それだけでイイかもしれない。
何ができたかを知っていれば、自分で伸ばせると思う。
何が不足しているかを知っていれば、自分で満たせると思う。
不足があった場合は、関係する人々から求められていることか、
努力や工夫によって伸びることかどうかを知っていれば、
自分で不足を満たすために必要な選択をするだろうと思う。
相手の希望に関係なく、何かをやらせたり与えたりすることが、
作業療法だと思い込んでいた頃の自分には見えなかった、と思う。
目標を共有し、実現のためにクライエントと協業した過程と、
成果を体験しなければ見えなかったことだと思う。
あぶない、話が勝手にどこかに行こうとする。
あの頃よりは、
自分と世界の大きさを適切に測れるようになったと思う。
今もまだ通過地点ではあるけれど、
ここに到達するまでの道のりと歩み方は、
学生も含めた後輩にしっかり伝えた方がいい気がする。
成長するためには、必要以上の不安と傲慢さはムダで、
ちょうどイイ自信と貪欲さは必要だと思うからね。
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