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2012/04/09

10年そば

続・10年おでんは、10年そば。
彼女の娘ふたり、孫ふたりも物語に参加。

ADOCで料理を希望した特養ホーム入居者らと、
家族との面談によって料理をする役割を大事にしていたと
思われる入居者らに、参加の意思を確認しました。
今回は料理をする入居者の家族にも参加してもらいました。







はじめに、作業療法士として2分だけ挨拶をしました。

「これは集団調理の行事では、ありません。
入居者のみなさんが、今でもやりたいと思うことを
一緒に確認し、実現に向けて共に取り組んだ結果です」

「身体は昔のようには動かないけれど、
少し手伝ってもらえば、まだ自分にできることはある、と
みなさんが判断したことです。私たちはそれを支援します」

「今日はご家族のみなさんにも参加してもらいました。
なぜなら、それが入居されているみなさんの希望だからです。
料理を作る意味は、家族に食べてもらうことにあるそうです」

「私たちは入居されている方々に料理について話を聴きましたが、
今、料理を作りたい理由はひとりひとり全く違いました。
でも、家族に食べさせたいという想いは、同じでした」

「ここは施設ですが、みなさんの自宅だと思ってもらいたいです。
今回は施設の行事ではなく、家の行事だと思ってください。
それが私たち職員全員の願いです。それが希望です」






介護職員は忙しい業務の中で、各フロアから交代で支援し続けました。
事務職員は本来の業務ではないにも関わらず、ずっと付き添いました。
栄養士は入所、通所を利用する130人分の栄養管理に対応しながら、
必要に応じて料理方法などについて助言しました。
相談員はほとんど総動員で、料理の各行程に寄り添って支援しました。

那覇市民相談員は休日を取って、最初から最後まで手伝ってくれました。
県介護保険広域連合職員は業務の間に、何度も足を運んでくれました。
作業療法士の同僚は、生後3ヶ月の子供を抱きながら料理を手伝いました。







入居者の家族は、それぞれ母親の顔を眺めながらネギを押さえ、
母親の手を取りながらポークに包丁を入れ、
母親の腕を支えながら大鍋のそば汁をかき混ぜ、
母親の話を聴きながらおにぎりを握っていました。

共に暮らしていた頃とは違う、料理を作る方法だったかもしれません。
でも、母親が料理を作るのに手助けが必要だったことを、
娘さんたちは嘆き悲しんでいないと感じ取りました。

重度の認知症で落ち着きがなくて転倒を繰り返す入居者は、
黙々と3時間も料理に熱中し、包丁を扱う手は丁寧で正確でした。
娘さんは彼女の手の動きを観察して、涙ぐんだのではないと思いました。


彼女たちが自分の意思で選択した作業には、個性的な物語がありました。
意思決定が難しい入居者には、家族が意思決定の支援をしました。
あるいは、家族の意思決定を相談員、介護士がOTに伝えました。



娘さんたちが受け止めて握りしめていたのは、
手や腕ではなく、
母親の想い出だったかもしれません。


職員が支えて離さなかったのは、
包丁やポークではなく、
入居者の希望だったかもしれません。



この作業に関係した人たちの手と心を動かしたのは、
ADOCに表示された活動の特性や効果ではなく、
入居者それぞれの個性的な物語でした。

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