期間の前半は繰り返し同じ事を聴いた。
その質問に答えることができたなら、
後半は学生が持っている情報を一緒に整理するだけ。
「その方に、作業療法は、必要か」
「作業療法である必要は、あるか」
「教科書ではなく、自分の言葉で」
不足はあっても、間違いはない。 |
愛媛のtamura先生から資料を頂いた。
NHK山口ドキュメント’07「ふたりの桃源郷」
戦後間もなく、夫婦ふたりで切り開いた故郷の山。
ふたりは子供たちを産み育てるが、
子供たちの将来を考えて大阪で生活を始めた。
子供たちが独立し、還暦を迎えたふたりは再び、
電気も水道もない山での生活を始める。
山で暮らす理由は「自分らしく生きたい」
同居するように泣いて説得する娘たちも、
両親の選択を受け入れるようになった。
番組は平成3年の70代後半から、
平成18年の90代前半までの17年間を綴る。
老いていくふたりは、
思うように動かなくなった身体と向き合う。
同じように、子供たちも老いてゆく両親と向き合う。
子供達の説得によって老人ホームに入所した、ふたり。
癌を患い体力が削られても夫は、山への執念を抱き続ける。
認知症によって記憶を削られても妻は、夫の意思を尊重する。
やがて亡くなった夫を探し続ける妻のため、
子供たちは定期的に山に連れていく。
山には妻が呼ぶ夫の名前が、繰り返しこだまする。
今もまだ妻にとって、ふたりの桃源郷は山にある。
同じ斜光、違う輝き |
ざっ、と書くと以上の内容だが、
感動の押しつけがましさが、きれいさっぱり無い。
淡々としているが、ふたりの意思が画面から押し迫る。
亡くなる前の健康を日常生活能力の自立度で測れば、不健康。
社会的な交流で測れば、不健康。運動機能で測っても、不健康。
おそらく、栄養的、衛生的、病理的には不健康。
それなら夫婦部屋で暮らさせ、栄養や生活を管理する。
交流が少なければ、高齢者を集めてゲームをやらせる。
趣味を与えるためにプランターでプチトマトを育てさせる。
何もしない時間があるなら、クレヨン画を書かせる。
それで少しでも何か起これば効果だと判断し、
何も起こらなければ維持できたと判断する。
管理の目的はQOL向上と言い、何かをやらせて作業療法と言う。
もし従うことを拒むなら、ふたりを難しいケースと呼ぼう。
もちろん、誰でも知っているように、間違っている。
では、ふたりに作業療法が必要か。
キーワードは、選択、意思、共有かな。
もし、ADOCで大切な作業を聴いたなら、なんて言うのかな。
ふたりに作業療法が必要かどうかより、理由が大切と思う。
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