「人は作業的存在であるって価値観は理解できますか」と友人が尋ねると,
「哲学者は哲学的存在,経済学者は経済的存在,社会学者は社会的存在,
と人のことを捉えている.むしろ,そのように言い切った方が,
学問の基盤にある考え方を理解しやすいから,コミュニケーションしやすい」
と答えたらしい.すっきりした.
作業療法士って,
納得する役割が獲得できるレシピを作る専門家だと思う.
鍛える人,教える人,してあげる人というよりは,
自らできるように支援する人っていうのが,個人的には馴染む.
いきがいのまちデイとデイサービスつむぎのプレゼンを手伝っていた.
1つはドリームプランプレゼンテーション沖縄大会,
もう1つは創造的な中小企業を支援するか判断する会場.
共通した3つの特徴は,
対象が医療福祉保健の専門家たちではない,
内容が優れていれば経済的支援を獲得できる可能性がある,
まだ実現していない将来を見えるように伝えること.
覚悟はしていたけど,想像以上に厳しかった.
信念,と呼んでいいくらいの想いを,
自分たちで多角的に,容赦なく,批判的に見つめたつもりだったけど,
プレゼンの事前演習で受けたサポーターからの質疑はさらに鋭かった.
表現は優しさに満ちた意見や助言だったけど,シンプルに言ってしまえば,
「手段に根拠はあるの?」
「個人や社会の幸福は何をもって判断するの?」
「それで,金になるの?」
プレゼンターのtamuraくん,haradaくんはボクと違って,
治療家として一流の技術を身につけている.
だから,「人は作業をすると健康になる」って前面に出さない方法も選べた.
むしろ,その方が伝えやすいし,伝わりやすいのに,選択しなかった.
それでは伝える意味と価値がないと判断していたんだと思う.
それに,伝えるために模索する過程もまた,伝える目的だったはず.
作業療法はこれだ!
っていう,誰にでもわかる,誰もが納得する,自分も納得できる,
完璧なキャッチフレーズを求めていたのではないと,わかっていた.
時間をかける必要があることも,成果を保証できないことも覚悟していた.
どちらも終わってみて,プレゼンの成果としては十分な評価を受け,
これからさらに効果を知る機会に恵まれるだろうと思う.
それでも彼らは満足はしていなかった.
一番伝えたいことが,まだ届いていないと感じているみたい.
でも,焦燥や失望の色は浮かんでいない.
彼らはクライエントの言葉と表情を覚えているからだと思う.
迷いなく,悩んでいる.
「手段に根拠はあるの?」
「個人や社会の幸福は何をもって判断するの?」
「それで,金になるの?」
という鋭利で悪意のない声に,
怯まず,避けず,流さずに向き合う過程にこそ,
伝えることの目的が潜んでいることを彼らは知っている.
作業をすると人は健康になるって,
やたらめったら熱く主張するだけじゃ,
聴き手がさーっと引いてしまう音も一緒に聞いたことがある.
作業をすると人は健康になるよって,
手段の根拠を示し,幸福の判断基準を見える化し,
社会的に認められるように,自分たちにできることも続けたい.
老健RCT共同調査者の募集〆切までもう少し
この研究で期待している成果が表れたら,すべての課題が解決する訳ではないけど,
伝えやすさ,伝わりやすさが変わる,
以上の変化が起こるんじゃないかと思ってる.