利用者の病院受診に付き添って待合室にいる時,壁に掲示された「うつ病チェックリスト」を見た.やべぇー,ほとんど当てハマるよと思ったけど,「自分という人間に価値はないと思うことがある」という項目で,ボクは完全に大丈夫だなと思ったよ.10人中9人からお前に価値はないと言われても,残りの1人と抱き合って「価値あるさね」と言うね.
あなたは間違えている,と
面と向かって言う人たちがいる.
その人たちの話は,まともに聴かないようにしている.
目を見ながら心がえぐられる言葉を投げてくる人は,
お前のためでもあるし,みんなのためだと言う.
騙されないでね.反撃されないように先手を打っているだけだよ.
本当にボクらのためを思って注意や助言をする人は,
批判と同じくらいか,それよりもずっと多くの,
褒める言葉や勇気が湧いてくる言葉を与えるでしょ.
批判だけする人の話を真剣に,聴く必要はない.
聞き流しておこうと思うのは,
「あなたはいつも」と「あなたのことをみんなが」
というフレーズが出てきた瞬間.
「この件について,あなたは間違えていると,私は思う」
と言ってきた場合は,よく耳をすませて聴くことにしている.
少しの違いのようだけど,大事な違いだとボクは思う.
「いつも」は,これまで全てのことをイメージさせるし,
「みんな」は.1人も賛同者がいないことをイメージさせる.
「いつも」と「みんな」が出てきたら,心のダメージがデカい.
傷ついたら反射的に猛反撃したくなるけど,戦争ごっこには付き合わない.
相手を傷つけないように,意見を伝えた後で行動が変化できるように,
表現に配慮することを放棄したら,
ボクらは彼らと同じ過ちを選択したことになって,いずれ後悔する.
「目には,目を」では世界が盲目になるだけだ,
と言ったのはマハトマ・ガンジーだけど,
あれは名言だよ.相手の目を潰さないで自分の耳を塞げばいいんだよ.
そう言った途端に,批判から逃げ回っていたら成長できないじゃないか,
批判にこそ広くて深い視点を学ぶことがあるじゃない,
と言われるし,自分でも思うよ.でもさ,ほんとうにそうか?
山田ズーニーさんのコラム,大人の小論文教室から→優しの芽生え