ADOCプロジェクトに関連するデータを集めてもらう時,
「集めてもらうのは数値ではなく,将来の希望です.
経験,勘や一般論に頼らず,目の前にいる事例に貢献するためです」と伝えています.
量的研究が「大丈夫だ,このまま進め」と背中を押す人,
事例報告が「おーい,ここに進むんだよ」と先導する人,
というイメージをボクは抱いています.
認知症高齢者にADOCを利用することは可能ですか?
よく質問されることです.
認知症の程度がわからないと答えにくいことでした.
この質問の背景には,認知症高齢者でも意思を尊重したい,
という願いがあるように感じていました.
おそらく,臨床経験の勘から可能だと思っているのでしょう.
意思の引き出しと尊重が上手く展開できる場合もあれば,
互いに混乱のままで終わってしまうこともあったのでしょう.
ボクは齋藤さんが心を込めて書いた論文を紹介しています.
→機関誌に掲載されなかった論文に書けなかったオススメポイント!
なるほど,こうやればいいんだ,できるかもしれない,
と「感じて」行動を促すことが紹介の目的です.
まずやってみて,課題がわかれば対策すれば良いと思うのです.
でも,その事例がたまたま上手くいっただけじゃないか,とか
それは齋藤さんの面接技術があったから可能だったんじゃないか,
という意見を抱いている人もいるだろうなと思っていました.
先日,大阪で開催された日本OT学会にtomoriくんが報告した研究結果は,
ADOCで意思決定を支援できるクライエントはMMSE8点がボーダーライン,
というものでした.
→第47回OT学会発表 その2
ボクは主にMMSE0点から15点だったクライエントからデータを集めました.
MMSE5点の方でも正しく意思を表出できたと判断できたことがありましたし,
MMSE10点の方でも記憶が混乱していると思われることがありました.
あくまで概ね8点というこですが,この成果の価値は大きいと思いました.
「認知症だからね」という言葉は,今までは免罪符でした.
認知症高齢者が意思決定に参加できない機会を,自分に許してきました.
MMSE8点だった方の臨床症状は,中程度よりは重症に近いです.
それでも目標設定に参加することは可能だと証明されたのです.
できると「信じて」,面接をやってみて欲しいのです.
じつはボクもデータを集める過程で反省と発見がありました.
意思決定への参加は難しいと予測して面接をしていなかった方に,
調査の動機で面接をところ,間違いに気がつきました.
無口であっても,行動に落ちつきがなくても,食事に介助が必要でも,
人生を振り返って大事だったことを思い出して,
言葉に換えることが可能な人は予想上に存在していました.
作業をすることも語ることもできる存在だったのに,
ボクが見落としていたんだと,はっきりわかりました.
自分に対する失望が襲ってきましたが,しばらくして希望もやってきました.
次に出逢う人に,話を聴こうとするボクが見えました.
集めていたのは数値でなくて,
いま関わっている人たち,これから出逢う人たちと,
共に人生を再構築することが当たり前の将来でした.
共に人生を構築できればイイ,と思っているだけです.
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