「行動変容を導く! 上肢機能回復アプローチ 脳卒中上肢麻痺に対する基本戦略」の出版が始まった.
一気に半分まで読み進んだ.
10年以上前に回復期リハ病棟で担当した,忘れらない患者さんがいる.
まだ働き盛りだったその方は麻痺側手で物を押さえることはできたが,
過剰な筋緊張をコンロールできずに生活で手を使用することはなかった.
それでもADLは自立していたので,やり方を工夫することで復職も可能と予測した.
生活の中で手を使う練習と,4ヶ月後の退院に向けた復職練習を提案した.
頑なに拒否された.
外来リハを利用している知人を指し,
「あの人はもう10年も同じリハビリを受けている.いつか完全に治る可能性があるという意味だろ.
それなら自分も治ってから生活の練習や仕事に戻る練習をする」
外来を利用している件の患者さんは,筋緊張の緩和を目的とした徒手的治療を受けていた.
麻痺の回復には限界があること,あなたの手は生活で使えば今よりも上手く使えること,
手を治すことは手段であって,目的は生活や仕事が再びできるようになること.
若かった私は必死に説明したが受け入れてもらうことはなく,
患者を不安にさせなると職員から指導を受けた.患者の望みに答えなさい,と.
私は上肢機能が回復するメカニズムを説明できないこと,
その方が望むような上肢機能が回復する知識と知恵を持ち合わせていないことが,
歯がゆさ,情けなさ,無能感を生み出していた.
同時期に担当していた方々も思い出す.
少しずつ回復する麻痺手を使ってスプーンで食事をする過程において,
効率的で効果的な道具の使い方を学習していく様を目の当たりにした.
退院後に生活で使える手になった方も,使えなくなった手になった方もいた.
運動学的,生理学的に説明することを試みたが,メカニズムと根拠はひどく曖昧だった.
無責任さは,いつも,密かに強く,自覚していた.
もしも,と思うことがある.
もしも私が10年前にこの本を読む機会があったのなら,
きっと私は正確で多様な選択肢を柔軟に提案することができた.
でも,もしも,は起こせない.
絶対に,起こせることはある.
今,この本を読むことで今の私と患者さんの期待に応えることができる.
それが過去に担当した彼らへの報いと恩返しになるかもしれない.
一気に半分まで進んで,また初めから読み直し始めた.