初版は1986年なんだが、2008年あたりに急に流行して、
それに乗っかる感じで購入した本。
冒頭から結論に入る。
現在の学校教育について、
先生と教科書に引っ張られて勉強するタイプの人をグライダーと呼ぶ。
自ら動力を持たず、風に乗って滑空する機体という意味だった。
「人間には、グライダー能力と飛行能力がある。
受動的に知識を得るのが前者、
自分でものごとを発明、発見するのが後者である」
教員になって1年目のころ、一生懸命に図書室にこもってプレゼン資料を練り上げ、
正しい知識をたくさん詰め込めば良い教育になると思い込んでいた。
実習生が帰ってきてから初めて、間違いだったと泣けるくらい痛感した。
自分で考える機会を提供するのが教育なんだと思うようになってから、
PBLのような講義を組み立てるようになった。
深い知識を多く与えられても、
自分で問題を解決しなければならない臨床では、
あまり役に立たないのではないかと思っていた。
これはクライエントにもOTにも当てはまるんじゃないかなと気づいたら、
そういえば確かにそう考えて関わってきたなあと思い出した。
知識や技術を与える、受け取る、という関係は
どちらにもとっても負担が少なくて、楽だと思う。
考えなくてもいいし、やるべきことをやったぞーという安心感もある。
でも、指定された文献を読破した時のやる気とインプットの質は、
臨床で目の前の人のために自分で考えて選んだ本を読んだ時のそれとは、
比べものにならない。
学生だった頃に、実習前や国家試験前にとりあえず文献を読んだという行為に
満足していた自分を思い出したらよくわかった。
何でもリハビリ担当者に任せてください、と優しく言い続けて、
退院は明日ですね、これからは自分で考えてください、と言う。
これを読め、あれを読め、こう考えろ、ああ答えろ、と言われて、
今日から実習ですね、何をどうやるかは自分で考えてね、と言われる。
同じことだと思う。
さて、いまのボクはどうだろうか。
教えてもらえると思っていないだろうか。
教えてあげると思っていないだろうか。
外山さんが言うように、グライダー教育もまったくムダで危険というわけではなくて、
メリットはあると思うし、時と場合によっては必要性もある。
バランスかな。どこで崩れるのかラインは見えにくいけど、あると思う。
大切なことは、
「なぜ?」と積極的に自分で考える能力と習性が人にはそれぞれにあるのだから、
その機会を奪わないようにすることだと思う。
そうだな。
それさえ守ることができるなら、他の妥協は小さいことだ。
自分で飛べたら、楽しいさ。