今日は施設の事務所で日直。
日曜日に子供に会えないのは寂しいなあ。
先日、3ヶ月ぶりにシェービングクリームを購入し、ひげ剃りの刃を換えた。
買い物の時にいつも忘れてしまって、痛い思いをしながらひげを剃ってした。
しかしまあ、なんてスムーズに剃れるんだ!びっくりした。
そこで・・・。
滑らか過ぎると、ひげ剃りの接触面と皮膚の間に生じる摩擦からの感覚情報が少なくなり、
効率的効果的に手を動かすことができなくなる可能性があります。
ひげを剃る時には手だけでなくて、頭部と頚部が無意識的に自動的にもっともふさわしい
運動反応を引きこしていますので、それらの機能低下を招きかねません。
また、700円もするクリームと4本で1200円もする替え刃を年に数回も購入すると、
あなたの経済状況を圧迫する危険もありますので、お勧めできません。
あなたのあるべき身体機能と生活の保障を真剣に考える立場からすると、
はっきり言ってクリームと替え刃は購入するべきではないと思います。考えてください。
・・・はぁ。
そういうことを若い頃のボクは、
患者さんやご家族に向かってマジメな顔で言っていたんだろうなあ。
はずかしいさ。
でも、未だにそう言っている人もいるのかなあ。
でーじ、こわいさ。
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2010/12/05
期待する役割のギャップ Role expectation gap
九州で働く卒業生から、たびたび相談がある。
急性期病院が併設する通所リハで、初のOTとして勤めることになった彼女。
先日、上司であるベテランPTと感情的な口論になったらしい。
彼女は上肢の機能訓練と集団手工芸を期待されているという。
しかし、これがほんとうに自分が期待していたOTなのかと悩んでいた。
ついに先日、数名の男性利用者から庭の掃除がしたい、園芸がしたかった、
という話を引き出せたという。
そこで、作業療法の目標を利用者が望んだことに決めて、
一緒に方法も考えたそうだった。
すると、
「せっかく歩けるようになった人を、なぜ地面に座らせるんだ」と
上司に怒られたそうだ。
勝ち気な彼女は、利用者が望んだことをやって何が悪いんだと強く反論したらしい。
「じゃあ、利用者が船に乗って釣りがしたいと言ったらどうするんだ!」と切り返され、
そういう希望があったらできる方法を考えたいですね、と答えたそうだ。
すると、「そんなバカな、そういうことじゃないんだ」と怒られたらしい。
ボクは答えた。
君の考えが正しいかどうかは問題ではない。個人的には好きだけどね。
理論武装をして論理的なプレゼン内容を組み立て、巧みな交渉技術を使えば、
上司の意見を徹底的に叩きのめすことは不可能ではない。
でもさ、それで何が得られる?
君がやるべきことは、先を見ること。
上司はこれまで積み重ねた利用者と体験した喜びが、
仕事の誇りと自信に形成している。
それが例え君の好みではなかったとしても、否定してはいけないし、否定できない。
上司の考え方や価値観を変えようと思うな。変えきれると思うなよ。
でも、上司だって利用者と感動したいと思っているはず。達成感を共感したいはず。
もし園芸を望む利用者を支援したいのであれば、
その情報を逐一報告、相談するんだよ。
その上で、自宅で園芸をやろうとして転びそうになったらしいので、
下肢筋力増強訓練とバランス訓練の導入を検討してほしいですって
お願いするわけさ。
つまり、上司が求めている感動を、上司がわかりやすい形で届けるってこと。
利用者のために支援したいと思わないセラピストはいないよ。
セラピストだけじゃないよ、介護士も看護師もみんなそう思っているんだよ。
同じ状態を見て、同じ目標を目指しているのに、ちょっと切り口が違うだけさ。
おかげで庭掃除ができましたって利用者に言われたら、
ぜったいに上司は嬉しいはずよ。
そういう状況になるのは、今すぐにはムリ。
だって、年月をかけて築かれたものだから。
周囲が期待している自分の役割と、自分が期待している自分の役割のギャップ。
そうとうに苦しいけど、考えてみて。
役割のギャップがない組織。あり得ないし、あったとしても、それはそれで危ない。
自分やチームのことを深く考えなくても済むから、一生前進しないよ。こわいだろ。
そう考えたらさ、今の状況ってチャンスじゃないか。成長するためのチャンス。
クライエントと自分と上司の全員が満足できる目標を考えて、
シェアする方法については少しだけ工夫を考える。
そのために誕生したとして言っても過言ではない評価法があるよ。
ADOC'newPV2→http://youtu.be/LrVvO3sky5Y?hd=1
なっ。
急性期病院が併設する通所リハで、初のOTとして勤めることになった彼女。
先日、上司であるベテランPTと感情的な口論になったらしい。
彼女は上肢の機能訓練と集団手工芸を期待されているという。
しかし、これがほんとうに自分が期待していたOTなのかと悩んでいた。
ついに先日、数名の男性利用者から庭の掃除がしたい、園芸がしたかった、
という話を引き出せたという。
そこで、作業療法の目標を利用者が望んだことに決めて、
一緒に方法も考えたそうだった。
すると、
「せっかく歩けるようになった人を、なぜ地面に座らせるんだ」と
上司に怒られたそうだ。
勝ち気な彼女は、利用者が望んだことをやって何が悪いんだと強く反論したらしい。
「じゃあ、利用者が船に乗って釣りがしたいと言ったらどうするんだ!」と切り返され、
そういう希望があったらできる方法を考えたいですね、と答えたそうだ。
すると、「そんなバカな、そういうことじゃないんだ」と怒られたらしい。
ボクは答えた。
君の考えが正しいかどうかは問題ではない。個人的には好きだけどね。
理論武装をして論理的なプレゼン内容を組み立て、巧みな交渉技術を使えば、
上司の意見を徹底的に叩きのめすことは不可能ではない。
でもさ、それで何が得られる?
君がやるべきことは、先を見ること。
上司はこれまで積み重ねた利用者と体験した喜びが、
仕事の誇りと自信に形成している。
それが例え君の好みではなかったとしても、否定してはいけないし、否定できない。
上司の考え方や価値観を変えようと思うな。変えきれると思うなよ。
でも、上司だって利用者と感動したいと思っているはず。達成感を共感したいはず。
もし園芸を望む利用者を支援したいのであれば、
その情報を逐一報告、相談するんだよ。
その上で、自宅で園芸をやろうとして転びそうになったらしいので、
下肢筋力増強訓練とバランス訓練の導入を検討してほしいですって
お願いするわけさ。
つまり、上司が求めている感動を、上司がわかりやすい形で届けるってこと。
利用者のために支援したいと思わないセラピストはいないよ。
セラピストだけじゃないよ、介護士も看護師もみんなそう思っているんだよ。
同じ状態を見て、同じ目標を目指しているのに、ちょっと切り口が違うだけさ。
おかげで庭掃除ができましたって利用者に言われたら、
ぜったいに上司は嬉しいはずよ。
そういう状況になるのは、今すぐにはムリ。
だって、年月をかけて築かれたものだから。
周囲が期待している自分の役割と、自分が期待している自分の役割のギャップ。
そうとうに苦しいけど、考えてみて。
役割のギャップがない組織。あり得ないし、あったとしても、それはそれで危ない。
自分やチームのことを深く考えなくても済むから、一生前進しないよ。こわいだろ。
そう考えたらさ、今の状況ってチャンスじゃないか。成長するためのチャンス。
クライエントと自分と上司の全員が満足できる目標を考えて、
シェアする方法については少しだけ工夫を考える。
そのために誕生したとして言っても過言ではない評価法があるよ。
ADOC'newPV2→http://youtu.be/LrVvO3sky5Y?hd=1
なっ。
JAY'ED「ずっと一緒」
ADOCの使命 ADOC Mission
ひさ〜しぶりに日記を書く。
新しい名刺にブログのアドレスを掲載したから更新しよ。
学会2日目、朝一番、特別講演中、400演題近いポスター発表、OT参加率は比較的少なめ。
という状況の中ではあったが、
多くの方がプレゼンに参加してくださった。
プレゼンをバックアップしてくれたチームADOC沖縄メンバーのみなさんと、
ポスター発表に参加してくれたみなさんに感謝。
質疑応答などを通して感じたことは、
PTやバリバリの機能訓練主義者と思っていたOTからの好意的な態度だった。
あくまでも主観だが、この仕事を選んだ人っていうのは
根本的に同じところで感動すると思う。
歩けた、手が動いたというクライエントの喜びは、生々しくて熱い。
その瞬間に立ち会えて、しかも何かしら自分が貢献できたことが、素直に嬉しいと思う。
しかし、損傷部位と範囲によっては回復の早さも到達度も全然違ってくる。
この現実に直面したクライエントと向き合った時、人として、専門職としても心揺らぐ。
その上さらに、
祖母くらいの年齢の女性が泣いてしがみしきながら「手を治せ!」、
親くらいの年齢の男性がものすごい形相で「それが仕事だろ!」
と訴えてくる。
・・・つらい。
だからあえて、話題に触れたがらないクライエントに合わせて、未来の話をしない。
どれくらいの期間で、どれくらい回復するのか、どういうことができるようになるか、
どんなことができなくなるのか、という話をせず、
求められるまま淡々と機能回復訓練をする。自他ともに認める一生懸命さを示す。
身障1年目の頃のボクは、そうだった。が、それもまた、つらかった。
でも、歩けるようになった、手が治った、という喜びよりも、
強くて大きく深い喜びがあることを知るようになった。
歩けない、手が動かない、という苦しみよりも、
鋭くて固く重い苦しみがあることを知るようになった。
その足で歩いて、会いたい人がいる。心配をさせたくない夫や妻がいる。
その手で作って、贈りたいものがある。抱きしめたい子や孫がいる。
その喜びを可能な限り支えたい。
その苦しみをできるだけ軽くしたい。
そう願って、うまくいくこともあったが、うまくいかなかったことが多過ぎた。
何が大切ですかって、聞かなければ互いに傷つくこともなかったと思ったりもした。
踏み込まずに関わることは可能だし、それでも仕事はできる。
でも、
クライエントと成功した経験はぜったいに心から離れられない。
できることなら、目の前の人とも同じように感動したいと思い続けている。
これは介護士も医師、看護師もケアマネージャーもPTもSTもケースワーカーも、
どんな職種だって、どんな経験年数だって、どんな領域だって等しく願っていると思う。
具体的な治療、支援方法は人それぞれだろうが、
その糸口を見つけ出すことが一番大切なことではないかと思った。
抽象的な助言や権威者の言葉は、ボクの場合は救いにならなかった。
自分とチームのために、もっと現実的で具体的な手段が欲しかった。
ADOC'newPV→http://youtu.be/ucjl-jUNC0Y
ADOCは開発することが目的ではなく、
以前のボクと同じように葛藤しているセラピストや支援者の
願いを支援することが目的。
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