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2010/10/30

グライダー能力と飛行機能力

外山滋比古さんの「思考の整理学」を久しぶりに読み返した。
初版は1986年なんだが、2008年あたりに急に流行して、
それに乗っかる感じで購入した本。


冒頭から結論に入る。
現在の学校教育について、
先生と教科書に引っ張られて勉強するタイプの人をグライダーと呼ぶ。
自ら動力を持たず、風に乗って滑空する機体という意味だった。




「人間には、グライダー能力と飛行能力がある。
受動的に知識を得るのが前者、
自分でものごとを発明、発見するのが後者である」








教員になって1年目のころ、一生懸命に図書室にこもってプレゼン資料を練り上げ、
正しい知識をたくさん詰め込めば良い教育になると思い込んでいた。
実習生が帰ってきてから初めて、間違いだったと泣けるくらい痛感した。




自分で考える機会を提供するのが教育なんだと思うようになってから、
PBLのような講義を組み立てるようになった。
深い知識を多く与えられても、
自分で問題を解決しなければならない臨床では、
あまり役に立たないのではないかと思っていた。


これはクライエントにもOTにも当てはまるんじゃないかなと気づいたら、
そういえば確かにそう考えて関わってきたなあと思い出した。




知識や技術を与える、受け取る、という関係は
どちらにもとっても負担が少なくて、楽だと思う。
考えなくてもいいし、やるべきことをやったぞーという安心感もある。


でも、指定された文献を読破した時のやる気とインプットの質は、
臨床で目の前の人のために自分で考えて選んだ本を読んだ時のそれとは、
比べものにならない。


学生だった頃に、実習前や国家試験前にとりあえず文献を読んだという行為に
満足していた自分を思い出したらよくわかった。


何でもリハビリ担当者に任せてください、と優しく言い続けて、
退院は明日ですね、これからは自分で考えてください、と言う。


これを読め、あれを読め、こう考えろ、ああ答えろ、と言われて、
今日から実習ですね、何をどうやるかは自分で考えてね、と言われる。




同じことだと思う。
さて、いまのボクはどうだろうか。
教えてもらえると思っていないだろうか。
教えてあげると思っていないだろうか。


外山さんが言うように、グライダー教育もまったくムダで危険というわけではなくて、
メリットはあると思うし、時と場合によっては必要性もある。
バランスかな。どこで崩れるのかラインは見えにくいけど、あると思う。




大切なことは、
「なぜ?」と積極的に自分で考える能力と習性が人にはそれぞれにあるのだから、
その機会を奪わないようにすることだと思う。


そうだな。
それさえ守ることができるなら、他の妥協は小さいことだ。



自分で飛べたら、楽しいさ。

2010/10/24

ADLの背景を共有

回復期リハ病棟ではFIMを使用していた。

看護師と介護士が入浴介助で成果を出したと報告した。
重度の片麻痺が残存する方に対して、
入浴の時に非麻痺で体幹の前面と片方の下腿を洗えた、という。

必要以上に介助をせずに、自分でできることを支援したことで
ADLの能力が高まったと感じているようだった。
それは仕事に対する自信を育む大切な体験だったと思う。

でも、伝えなければいけなかった。

その方は退院後は通所介護で入浴サービスを利用する予定だった。
身体機能の大きな回復は期待できず、
これから先に練習を重ねて入浴の介助量が軽減していっても、
背中を洗うことや衣類を持って移動することは難しいことが予測できた。

可能性をあきらめない、という類いの話は嫌いではない。
だが、能力の限界ギリギリの方法を生活の中に取り組むのは、
安全性、安楽性、効率性を考慮すると推し薦めることはできないし、
病院ではなく自宅での現実の生活に定着するとも思えなかった。

回復期リハ病棟の構造や備品といった物理的環境や、
介護する人の数や技術といった人的環境は、
自宅や通所介護のそれらより優れているかもしれないし、
劣っているかもしれない。良いか悪いかではなく、事実としてある。

回復期リハ病棟の浴室で看護師、介護士が入浴介助をして、
身体の一部を自分で洗えるようになってFIMの点数が向上したことが、
患者さんの退院後の生活に影響を与えるものでなければ、何の意味があるのか。
努力を否定する気はないが、残念ながら何の意味もなさない。

ここで重要なことは、情報の質と量をシェアできていないことだった。
ADL向上は大切なことだが、それはあくまでも手段であって、
それ自体が目的ではない。
(入浴が趣味の人の場合は、カテゴリの話になるので今回は話題にしない)

入浴に対する価値観はどれほどか、家族は介助することを負担と思っているのか、
という情報も慎重に取り扱う必要がある場合もある。
これらの情報を吟味した上で、入浴介助の方法を検討しなければいけない、
と思っていた。



「すごいじゃん、いいねえ。でもねー、この人さ、
帰ったらデイサービスで入浴するさね。なんかね、奥さんが介助するのに不安だって。
でもね、着替えは奥さんができるようになりたいんだって。
だからさ、入浴はぱぱぱって介助しちゃってもいいので、着替えは見守りでお願いです。
たぶん、退院する頃には着替えは自立までいくと思う。奥さんも望んでいるみたい。
もちろんボクも入浴と着替えに入るので、その時に具体的な介助法を伝えますね」

担当看護師には伝えた情報ではあったのだが、
連携が不十分だと担当者を責めても何も得られるものはない。
もっとも大切なことは、その患者さんが退院した後の入浴状況をリサーチして、
入浴を介助していた看護師、介護士にフィードバックすることだと思っていた。

「ほら、あの時にさ、手伝えば早く済むのに、着替えを見守りにしていたさね。
そのおかげで今は奥さんが少し手伝うだけで着替えができるみたい。
すごい助かっているんだって。なんかさ、うれしいよねえ。
入浴はやっぱりデイサービスを使っているみたいね。ほぼ全介助らしいけど、
まあ、本人はそんなに不満ではないらしいよ」

一連の経過を含めてワンセットで伝えることが大切だったと思う。
なぜなら、この経験によって思考パターンに影響を及ぼすはずだと思っていた。
そのADLはどこで、だれと、どのようにしたいと思っているのか?

自分が介入したことが数値化して表れる成果は、仕事の自信と誇りになる。
FIMだけではなくて患者満足度という数値もあった方が、
もっと仕事が楽しくなるんじゃないかなと思う。

作業選択意思決定支援ソフト(ADOC)

伝えたいことが複数あって、文章の焦点が絞れていない。
こりゃあ、書き直しだ。でも、これもこのまま残しておこう。

2010/10/23

空気の音読 Reading aloud in the air

従兄弟たちが遊んでいるジャングルジムから離れて,
娘が1人でうんてい棒を登ろうとしていた.

でも,ぜんぜん登れない.
あきらめず挑戦を繰り返すが,落っこちてしまう.

いきなり泣き出したかと思うと,鉄の棒を蹴飛ばし,
石を投げ,靴を投げ,罵声を投げ散らす.

同じ年の従兄弟たちは呆然として,
恐る恐る,こっちで遊ぼうよと誘うが,娘は返事もしない.

そのうち,急に登れるようになり,てっぺんまで登って雄たけびをあげる.
降りてきたらぴょんぴょん飛び跳ねて歓喜する.

まったく,空気を読まない.
さすが,ボクの子供だ.





うちの母親は最近,占い師に手相を診てもらって,
「こんなに空気を読まない人の手相は初めてみた」
と言われたらしい.

手相にも出るんだねと感心していたが,
今は空気を読む自主練習をしていると話す.

イメージトレーニングが主な練習メニューらしいが,
その成果はいまだに見えてこない.




うちの嫁が,「うちらは空気を読めない夫婦だね」と言うもんだから,
ぜんぜん違うよと否定しておいた.

君はひどくマイペースなだけ.
それは人に怒られて少しずつ変わっていくもの.

ボクは空気を速読できる.この能力だけど世渡りしてきた,とさえ真面目に思う.
でも,言いにくい雰囲気の中でも,言わないといけないから,
空気を読めないと人に言われるような発言をするわけだ.

空気を読んで,あえて音読する.

それは,必要性に対する認識の違いだろうと思う.
その瞬間,「間違っていますよ」と言わなければ波風は立たないが,
クライエントがほんとうは望んでいない方向に支援が進んでいくかもしれない.
という,危機感に気づく力と,自分の危機感から逃げない気持ち.

クライエントは,患者さんや利用者さん,その家族,学生さん,後輩,チームメイト.

もちろん,すべての空気に対していつも読みあげているわけではない.
言えなくて後悔している思い出はたくさんあるが,
ちゃんと思い出してしっかり後悔することにしている.
罪悪感は拭い去りたいものなので,
うっかりと読みたくない空気に包まれた時に役立つ.
がんばらないといかんよね,って.

どす黒くて,抱えきれないほど重くて,まともに向き合えない臭い空気だって,
身体に傷をつけることはない.もっと言えば,死ぬことはない.

誰かが傷つくことから守れるなら,空気を音読しないとね.
まあ,ほんとは素直になればいいだけの話なんだけどね.




見えない壁なんて,見なければいいわけさ.

恐れながら進め,おれ

2010/10/20

NsとOTの仕事範囲

第5回チーム医療推進のための看護業務検討ワーキンググループ資料
平成22年度10月20日(水)10:00〜12:00 厚生労働省共用第7会議室

看護業務実施調査の結果について

看護師が行う医行為の範囲に関する研究(速報)
(平成22年度厚生労働省科学特別研究事業 主任研究者 防衛医科大学教授 前原正明)

「現在看護師が実施」から「今後看護師が実施可能」のベクトル図
資料1:看護業務実態調査の結果について
資料1ー1:p.15 その他(blogでは一部抜粋)

他の介護サービスの実施可・不可の判断(リハビリ、血圧・体温など)
医師 現在:20.5%、今後:75.7%
看護師 現在:45.3%、今後:86.3%

リハビリテーション(嚥下、呼吸、運動機能アップ等)の必要性の判断、依頼
医師 現在:16.5%、今後:78.1%
看護師 現在:33.1%、今後:84.6%

支持的精神療法の実施の決定
医師 現在:14.6%、今後:69.2%
看護師 現在:14.7%、今後:62.1%

理学療法士・健康運動指導士への運動指導依頼
医師 現在:9.3%、今後:76.5%
看護師 現在:15.1%、今後:74.7%

認知・行動療法の実施・評価
医師 現在:7.7%、今後:61.9%
看護師 現在:10.5%、今後:62.5%

当面の検討の進め方(案)(blogでは一部抜粋)
合計約8000人という相当数の医師、看護師の回答が集約されていること等から、
当該調査の結果は、看護業務の在り方について検討を進める際の基礎資料として
使用することは可能ではないか、という意見が表明された。

以上



看護師の嫁に、
「お前たちはオレたちと仲良くしたいのか、それとも争いたいのか」
と尋ねると、何の話だかさっぱりわからん、と言われた。
そりゃあ、そうだ。

さて、作業療法士はどう考えるべきか?
どのような意思を表現し、どのように行動するべきか?

効果が曖昧なところがイイところ、と言っているだけでいいのかなー?

2010/10/17

OTのクライエント

ログの統計を見ていると,
チュニジアに閲覧者がいた.
彼女しかいないな.

元気ですか?



業療法の視点は,
1人のクライエントと向き合う時だけではなく,
組織,コミュニティーと関わる時にも
役立つはずだと思う.





カナダの作業療法士は労働組合や
教育機関や役所と
作業療法士として契約して介入しているらしい.


前提として
クライエントには作業療法サービスを利用する
意思があるはず.




この前提を共有していることが成果に影響を与えると思う.


書いてみると当たり前のようだが,
それは初めからあった考えや態度ではなく,
求められている結果を積み重ねてきたからなのかな.


どうなんだろうか.
歴史も文化も制度も違うから参考になるかはわかんないけど,
気になるなあ.


の日本にはそのような習慣も制度もなく,
これから創り上げようと思ったら・・・大変だろうなと想像できる.

ん~

められているか,という視点から始めたほうがいいのかな.
何かを貢献する意思を持って,忍耐強く話を引き出すことから始めるのか.

自分がなにをするべきかは,相手が個人であれ組織であれ,相手の中にこそある.

それだ.

2010/10/16

琉球OTのブログ引っ越し

Yahoo!ブログからの引っ越し

以前のブログはコチラ↓
http://blogs.yahoo.co.jp/uezu_s2000

iPhone3GSからiPhone4に機種変し、いろんな人に回っていたiPadも戻ってきて、
やっぱりGoogleは使いやすいってことでGoogleのBloggerに引っ越し。
ryukyuotの名前でtwitterも始めちゃったりして、ますますiPhone中毒に。



3年前にブログを書き始めた頃は想像もしなかったくらいに読者が増えて、
メッセージを送るので嬉しいわけだが、書きにくいことも増えてしまった。
なぜ書きにくいのか考えてみると、単純に自分で苦しめているわけで、
いろんな人の立場や価値観を尊重する意味を改めて意識するようになってきた。

先日、tomoriくんとADOCプロジェクトのメンバーと飲んでいる時に、
気持ちと時間を少しだけ作り出して再びをブログを書き始めようと決めた。

担当する患者さん、利用者さん、入居者さんへの関わりだけでは不十分。
ドラッガーが強調する「顧客は誰か?」という発想が大切だと思う。

重圧とリスクを背負ってまで、誰の、何のために、書き続けるのか?

自分のためにもわかりやすくまとめて、いずれ記事にしようと思う。