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2013/03/23

OT評価のゴール


旅行の計画をする場合,
電車の種類や乗り継ぎで悩む前に,まずどこに行くのかを決めるね.

とりあえず前進することはムダではないけど,
東京から沖縄へ行くならどこかの空港へ辿り着かなくちゃ.

「期限ですよ」と,よくわからん場所で降ろして,
ここが私とのゴールです,あとは自分でがんばってね,とか言えないよね.






カルテを読んだ.
「認知症」
リハ目標は認知症の悪化予防,

カルテを再び読んだ.
「腰椎圧迫骨折」
リハ目標に腰痛軽減が追加された

カルテをさらに読んだ.
「独居,家族が転倒を心配している」
リハ目標に独居生活継続と転倒予防が追加された

やりたいことはないかと本人に尋ねた.
「歩行器ではなく杖で歩きたい」
リハ目標に屋内杖歩行の獲得が追加された

やりたいことはもっとないかと本人に尋ねた.
「他には何もない,あきらめたよ」
リハ目標に意欲の向上が追加された






やりたいことは何かとADOCを使って探した.
「料理ができなくなってしまった.外に注文しているけど,
本当は自分で作りたいと前から思っていた.
でも,買い物ができなくなったから材料もない」

「買い物もできるようになりたい.
杖で歩けたら一番いいんだけど,スーパーまで行くなら
歩行器を使ってもいいと思っている」

「料理と買い物が難しいのは,長く立ったり歩くと腰が痛くなるから.
もし腰が痛まなくなったら,買い物と料理ができるんじゃないかと,
思っていた.でも家族が心配するから言えなかった」



リハ目標が家族と一緒に週に1回程度は近所へ買い物に行き,
転倒や疲労を感じない生活が習慣化する,
簡単な料理であれば準備から片付けまで1人で安全に行うことができる,
短い距離であれば自宅周辺の歩道を歩行器を使って移動できる,へ変更.

リハ計画は集団レク,平行棒内歩行訓練,下肢筋力訓練から,
小集団料理活動の機会を提供,調理練習,屋外歩行器歩行訓練へ変更した.

まず屋外歩行,料理を実際の場面か近い環境でやってもらい,
観察結果から機能評価を実施し,実現可能かの評価もする,と追加した.



ADOCを使って情報を集めたのは看護師,
計画書作成は作業療法士,
介入の担当は介護士,看護師,相談員,作業療法士.






まずどこに向かうのかを決めることは,そんなに難しいことでも,
特別なことでもないと思うよ.

何のために機能評価,ADL評価,環境評価をするのか,
評価をすることの目的と目標を知っていること.

お互いにとって楽で,楽しい.
目標に関係するすべての人々も,楽しくなるハズ.なってるよ.


2013/03/19

あすなろ


最近,日本各地の老健OTさんや通所OTさんたちと,
ADOCや研究に関するメール,電話でのやりとりが増えてきた.
ふるえるフレーズは,「まずやってみました」






テレビドラマのあすなろ白書は観ていなかったけど,
井上靖のあすなろ物語は好きだった.
恥と後悔と希望を感じていた.



翌檜(あすなろ)の木には,
明日こそ立派な檜(ひのき)になろうと誓いながらも,
絶対に檜になれないという由来があるらしい.

身の丈を超えるなよと諭しているようでもあり,
目標を持って生きよと勇気づけているようにも感じた.
印象に残るのは,主人公の諦観の境地ぶる態度.

自分を見透かされたようで,痛々しく読んだ覚えがある.
それ以上に,明日は檜になろう,なろうという翌檜の木の希望が,
正確には名前の由来が,20年も心に残っている.



最近になって増えた身の丈を超えている仕事の関係で,
日本各地の作業療法士と知り合う機会に恵まれる.
無名で若くても,熱くて折れない心を潜めている人がたくさんいる.

古いあきらめや,強い圧力や,固い無関心の空気に包まれていても,
誰かを責めたり軽蔑したりせず,自分への期待も保ち続け,
誰にも見えないところで悔し泣きながら仕事をしている人たちがいた.

それを知っているからこそ,
助言めいたことをメールしたり,偉ぶって講演をする時には,
彼ら,彼女らが自分を傷つけないように,言葉を選ぼうとしている.







一番良くないのは,正しく言えばボクが避けようと意識しているのは,
「私はできた,あんたはやっていない」
というメッセージの送り方だと最近わかってきた.

責任を持ってフォローできる相手だったり,
そう言ってもらうのを待ち望んでいる人なら,もちろんイイ.
一時的であったり,全体の中のひとつのプロセスなら許せる.

気づいているのは,感じているのは,誰よりも自分なんだよね.
それでもより良くなろう,なろうって思っているからこそ,
現状に満足せずに求め彷徨っているように見える.



ボクはそうだった.



介護保険のOTは同じことばっかりやるなよ,とか
急性期のOTはOTにしかできないことやってよ,とか
機能訓練するOTは,とか,機能訓練をやらないOTは,とか・・・

他人に言われなくても自身が一番感じていることだし,
理想と現実は違うんだよって反論した瞬間から,
自分を責め始めているんじゃないかと思う.

アウトプットする人たちにはそれぞれ信念もあるし,
あえて強く言わなければいけない背景や戦略があるのもわかるんだけど,
そうしなくても上手く導いている人だっている.



もし今日は立派で偉くて強い誰かと同じ人になっていなくても,
より良い自分になろう,なろうとしている限りは,魅力がある.
明日は良くなろう,なろうとしているプロセスにこそ,可能性がある.

自分は翌檜だと思い込んでいるけど本当は檜がいて,
それが本当に翌檜か檜か判断できないことが一番の問題,
というのがあすなろ物語の強いメッセージだった,ように思う.

翌檜だろうが檜だろうが,つまり,
世の中に本当に貢献できている良い人かどうかよりも,
明日は今よりも良い人に成ろうという意思と行動が,他の何よりも大事だと思う.






あきらめている人を引きずり起こすことは,できない.
だからボクは始めから,やらない.
立ち上がろうと思っている人がいたら,その人自身よりもボクは応援したい.

でも,ボクが考える正しいという価値観は,押し付けないように努力している.
その人が考える正しさがボクとは違うものであったとしても,
より良い社会貢献ができる人になろうというのであれば,できるだけ肯定したい.

明日は成ろう,明日こそ成ろう,明日はきっと成れる.
そうねぇ,なれるんだよ.もし誰か嘲笑うなら,ボクが蹴飛ばしてやる.
できるよ,なれるよ,あれるよ.


老健での作業療法とは!(tomoriつぶやく)


2013/03/13

正しい選択

精神科で働いていた時,死んでやると叫びながら目の前を走る女性が,
手すりを飛び越えた瞬間,手足が勝手に動いて柵を飛び越えた.
右腕で女性を抱き,左腕を柵にからめて助けを呼んだ.


行動が正しい選択だったのか,未だに疑問が残る.


骨髄移植のドナーに選ばれた時,
はじめて授かった子供が生後4ヶ月だった.
選択に迷いはなかった.

妻や両親に「なにかあったら頼む」と伝えた.
全身麻酔などで事故が起こる可能性はゼロではない.
でも,日常生活にも避けられない災害や事故が起こる可能性がある.

0.01%の確率で手術中に事故が起こると想定してみた.
移植を必要としている人は,移植をしなかった場合に,
99.99%の確率で死ぬのかもしれない.

白血球の血液型であるHLAが一致する可能性は,
他人の場合は10万人に1人の確率なので,0.001%.
奇跡に近いかもしれない.

移植を必要とする人が必ずしも死ぬ確率が高いとは限らない.
HLAが一致した人が骨髄バンクへ登録した人に複数人いたかもしれない.
全身麻酔以外にも感染症などのリスクがあるかもしれない.



それでも客観的にリスク対価値を考えて,選択をした.
選択しないというリスクは,
ボクの場合は特別な環境と文脈があって具体的にイメージできた.

白血病などによって子供を失った親,あるいは親を失った子供,
骨髄移植で子供の命を救うことができた親,あるいは親が生き返った子供.
移植で健康な身体を取り戻した後に再発して,亡くなった親あるいは子供.

ボクは中学生ぐらいの頃から何人かの人に会ったこともあるし,
会わなくても文章を読んだり,物語を聴いて知っていることもあった.
生きること,死ぬことは想像を超えているということは,想像できた.

感動や使命感というのとは,少し違った受け止め方をしていた.
献血とまったく同じ感覚で,協力できる人が善意で参加するボランティア.
移植がもたらす成果や感動体験などの見返りを,期待しないものだと思う.






少し話がズレるけど,震災後のボランティア活動にも似ていると思う.
自分が体験したことは正しく価値があるものだから他人もやるべき,だとか,
自分の貢献がどれだけの人に役立ったか伝えたい,という見え隠れする本音.

彼らの主張に共感はできないが,努めれば理解はできる.
ただ,あくまで個人の意見として胸に抱えていればいいのに,とは思う.
それもボクの個人的意見なので,これもまた黙っていればいいんだけど.

話を戻して,まとめる.

意思決定は感情にまかせ,行動は理性にまかせる.
意思決定を理性にまかせればリスクが無限に現れて行動できず,
行動を感情にまかせればリスクに対応できず意思は実現できない.


・・・まとめ方を間違えた.やり直し.


なんくるないさ.


誤解されているので補足するけど,「なんくるないさ」はその前に,
「まくとぅそーけー」という言葉が本来はある.
まくとぅは,文字では真と表す.

「くじけずに正しい道を歩むべく努力すれば,いつか良いが日が訪れる」
という定型句で,すべて楽観視しようという意味では,全くない.
人として正しいことをして,誠実で,努力したなら,何も心配ないよ.

何が正しいか,わからない.
だからこそ,
自分には誠実でありたいね.