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2010/12/27

ストーリー発掘 is Fan!

ADOC(作業選択意思決定支援ソフト)は
関心のある活動、作業の項目をチェックするためではなく、
作業のストーリーを引き出すために開発しました。

でも、それは開発動機です。願いのようなものです。
したがって、「正しい使い方」を指定していません。

正式に学ぶ必要もマニュアルを精読する必要もありません。
でも、クライエントとストーリーを発掘することを促します。
発掘されたストーリーはどの理論で解釈しても構いません。

考えの違う人たちを批判しません。否定もしません。
作業療法士に対して「あるべき姿」を強く求めません。


クライエントのストーリーを発掘することは、楽しい。


それで十分です。
楽しいという動機さえあれば、
OTもクライエントも自分で変わることができる。
チームADOCは、信じています。


下地勇「おばぁ」




2010/12/26

目標と支援計画設定の透明化 Goal setting and support the transparency of planning

回復期リハ病棟に勤めていた頃。
担当クライエントの希望をCOPMなどを使って引き出していた。
しかし、その情報をカンファレンスで提供しても、
なかなかリハ実施計画書に反映することが難しいなあと思っていた。




あ、そうなんだ〜、それ知っていたよ、それよりまず歩行とADL向上・・・
情報はそれぞれ持ってはいるけど、持っているだけ。
2年目に、カンファレンスに本人、家族を同席するシステムを提案した。

予後予測など伏せておいた方がいい情報もある、
カンファレンスはチームで実施計画を立案する場である、
報告という形であれば担当看護師が直接手渡しているから必要なし、
説明は医師、相談はケースワーカーの仕事・・・

ボクはOT4〜5年目、身障OT2年目で、他のセラピスト、看護師、医師は
急性期病院での臨床経験が10〜20年目のベテランだった。
それでも、ぜったいに譲れないと思っていた。
初回カンファレンスと退院前カンファランスは必須、
その他は必要に応じて参加してもらうという形にボクも妥協した。

脳のココの部分が損傷されています、現在の薬は○○です、
病棟廊下歩行は少し手伝えば20m可能です、日中のトイレはほぼ自立になりました、
介護保険の申請を来月から行いましょう、手すりもつけれますからね・・・

あ〜そうですか、はいはい、ありがとうございます、よろしくお願いします・・・

「そういえば、○○さんは退院したら園芸がしたいんですよね、
日中は奥さんが付き添えるんでしたっけ。畑まで歩けるか心配しているんですよね。
畑までは車いすで移動することは譲れても、畑では立って野菜を眺めたいんですよね。
それと夜間のトイレは自分でポータブルトイレを使えるか気にしているんですよね」

「え〜と、担当医としてはどれくらい手足の麻痺は回復すると予測していますか。
それから担当PTは最終的に具体的にどれくらいの介助量で歩行できると思いますか。
それと、奥さんに歩行の介助方法を教えてもらってよろしいでしょうか。
看護師は夜間のトイレで危ないなと思ったことはありましたか」

「それじゃあ、この空けておいたリハ実施計画書の目標と本人の希望部分を
今ここで書き込んで、来月のカンファレンスで達成度を一緒に確認しましょう。
予定より目標が早く達成したり、達成していなかったら、
最終的な目標を見直しましょう。機能回復の状況も一緒に確認しますね」

「○○さん、あなたがどこで誰とどのように生活するかを話してくれたら、
私たちは全員でそれができるようになる方法を考えます。
あなたの生活のことなので、次回もカンファレンスでに参加してください」



一部チームメイトからの抵抗は激しく、導入して1年後も続いていたが、
クライエントが意志を、時には泣きながら、チームに向かって発言する機会は
ほとんどのチームメイトが新鮮だったからという理由以上に大切にしたと思う。

疾患名、障害、症状、生活状況だけを切り取ってリハ目標を設定しないこと。
記録に残した文書だけではなく、発言内容にも反映されていること。
簡単に数値化できない目標ではあったが、
知識や技術よりも大切なことだと思っていた。

情報をたくさん持った専門家が集まって練り上げたリハ実施計画書を手渡して、
それでいいですよ、とクライエントや家族が言ったからといえども、
クライエント中心の支援だとは限らない。

目標、支援計画を設定するプロセスも共有するべきじゃないかな。
情報が多いと混乱するという理由でクライエントと家族を排他せずに、
もっと透明化した方がいいんじゃないかなあ。
クライエントのためではあるが、それがチームのメッリットにもなると思う。

ADOC開発の理由
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2010/12/25

10年おでん Oden's 10 years

ミケランジェロは彫刻について、
「石の中には、すでにあるべき姿がある。
私は、ただそれを取り出すだけ」
と言ったらしい。


彼女は特養ホームに入居して、ちょうど10年の年月を過ごした。
車いすを自走してホールまで出てくる。
が、そこで時間を持て余しているように見えた。
同僚が彼女にADOCを使用してインタビューをした。

おでん屋の女将だったことは、みんな知っていた。でも、
レクリエーションやADLよりも大切なことが、
「おでんを作りたい」だったとは、みんな知らなかった。
知っていたとしても、これまで支援計画には反映されなかった。
同僚はカンファレンスでADOCで確認した大切な作業と、
それにまつわるエピソードをチームと共有した。

それじゃあ、おでん屋を復活しようという流れになったらしい。
集団調理という活動は過去にも行われたことはあったらしいが、
1人のために調理ができる環境を提供する前例が、
施設には12年間なかったそうだ。
それでも順調に計画が展開していったのは、理由があると思う。


調理という活動ではなく、
特養ホーム入居者女性というプロフィールではなく、
おでん屋の女将だった自分を今も大切にしているエピソード。
組織変革を図る技術や知識よりも、
変化を起こす力があるんじゃないかなと思った。

クライエントが中心に立っていれば、
必要な物、人、空間、時間は必然的に決まってくる。
しかも、譲ってもいいこと、譲れないことを尊重できる。

ADOCによって料理がしたかったことを確認できた別の女性入居者にも
事情を説明して参加してもらった。
他にも4人の元主婦、元商売人の入居者に手伝ってもらって、
おでん屋が開店した。






彼女が施設内に設けられた店頭に車いすに座って職員に販売した。
施設長のコップにノンアルコールビールを注ぐ彼女の顔に、
控えめな誇りが見えた。気がした。
にじむ涙は気のせいではなかったと思う。


それは12月9日、2週間前のこと。
今日、12月25日に再評価をした。

活動の項目は「炊事」
コメント欄にしっかり「おでんを作りたい」と記録。
満足度は1点から3点に変化。






「もう無理だと、あきらめていたが、
やってみて,思ったよりはできるんだなと思った。
そしたら、もっと上手くやりたいと思うようになったさ」


彼女の体重、関節可動域、筋力、ADL介助量は変化していない。
彼女が選んだ、意味と目的のある作業に対する満足度だけが、変わった。


それでいいじゃないか、と思う。

それがいいじゃないか、と思う。


10年間煮込まれていた、やりたいこと。
大根に、足てびちに、昆布に、深いところで染み込む。

彼女に必要な支援は作ったのではなく、
彼女の中にこそあった。

ADOC(作業選択意思決定支援ソフト)

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2010/12/23

一粒の種

先日、宮古島出身の歌手、砂川恵理歌さんが
うちの施設で歌を捧げてくれました。




「一粒の種」


その看護師が見回りで病室に入ると、ある末期がん患者がベッドの側で立っていた。


「死にたくない。一粒の種でいいから生きていたいよ


絞り出すような声で訴え、大粒の涙をボロボロこぼした。
まもなく彼は昏睡状態に陥り、3日後に息を引き取ったそうだ。




「一粒の種」


作詞:中島正人・高橋尚子・下地勇 作曲:下地勇


一粒の種に
一粒の種に


ちっちゃくていいけど
あなたにだけ 

気づいてもらえる
種になる




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2010/12/19

OTが考える健康の定義

3か月ほど前に畑間さん夫婦と沖縄の民謡ライブ酒屋で
お酒を楽しみました.

畑間さん夫婦とは昨年のOSセミナーで出会いました.

ライブの様子→http://youtu.be/NT_CeDPGdnA

※畑間さん夫婦と13回セミナー実行委員長の村井さんの承諾を頂き,
youtubeに投稿しています.(葉山さん,よろしいですか?)




お酒を飲みながらご夫婦に尋ねました.

ボクら作業療法士って,ADLとか上肢機能に注目しがちなんですが,
それって何のためかって言うと,いわるゆる健康のためだと思うんです

でも,健康ってなんでしょうね.
お二人はどういう状態を健康と定義しますか?

(畑間さん)
「確かに定義は難しいよね.
でも,少なくてもボクは健康だと思う」

(奥さん)
「そうね,車いすだけど,この人は健康だと私も思う」


ですよね~

じつは待ち合わせに遅れてきた2人.
空港でちょっとした事故があって,病院にいくように言われたらしい.
しかし「そんなことより大切な約束があるから」と断って直行したとのこと.
もちろん,治療の必要性を夫婦で判断した結果の選択だった.



病院での生活なんて最大で6ヵ月,訓練施設でも長くて2年.
そこから先の生活は何百ヶ月,何十年になる.

筋力向上訓練やADL訓練は成果が期待できるなら,必要な作業療法だと思う.
それでも,その機能や活動の「訓練・練習」は,
どこで,誰と,どんな生活を,どのように過ごすのか,
作業療法士は確認するべきだと思う.

目標によって訓練・練習の選択肢が変わることを,
知っていることが大切だと思う.
支援の成果は筋力やADLの介助量ではなく,
クライエントが期待する生活を自分で選択していると感じることだと思う.

「訓練・練習」はその手段に過ぎないし,
作業療法士はそのメッセージを伝える責任があると思う.

べき,とか,責任,とかいう表現は使いたくない.
誰かの価値観を否定するつもりもない.
だた,個人的には揺るがずにそう思うし,
同じような視点を多くの仲間が自分のものにすることを願う.
それはクライエントの性格だとか,
時期的に適切ではない人もいると主張するOTもいると思う.
だからこそ,作業療法士は目標を協業して決めるという作業に挑戦して欲しい.

そのプロセスにこそ,
クライエントと作業療法士が期待する関係性がある気がする(?)

・・・文章の着地点が見えなくなってきた.今日はここまで.

担当したクライエントが,
人生を楽しんでいる,と言ってくれたら,
それが作業療法士の健康になるんじゃないかなあ.

2010/12/18

天井と青空 3  Ceiling & sky 3

若い頃の彼は遠洋漁業船に従事し、漁に出ると2ヶ月は海の上で生活をしていた。


12年前から徘徊、異食行為が出現し、2年後に認知症治療病棟に入院、
その4年後に老健に入居した。さらに3年後、誤嚥性肺炎を繰り返して胃瘻を造設、
それから2年後に特養ホームに入居し、1年が経過していた。

入居時の家族の希望は、
「話すことやできることは少ないが、最後まで人間らしく過ごさせたい」だった。
施設サービス計画は栄養、健康管理を行い、安定した生活ができること、だった。


機能訓練員のボクがこの8ヶ月間に実施したことは、
関節が固まらないようにベッドに寝た彼の手足を動かすことだった
それは機能訓練員に期待されている役割だったが、
作業療法士である必要があるか疑わしいと思っていた。


3ヶ月前に家族との面談で、作業療法の説明を行い、目標を協業して決めた。

別の彼も離島育ちで15歳から海の男だった。
妻子と別れてからは天涯孤独となり、14年前に脳梗塞を患ってからは苦しい生活だった。
7年前に特養ホームに入居した時は車いすで移動は自立していたが
ここ数年は意思疎通が困難で日常のほんとんどベッド上で過ごしてた.








12月の漁港で潮風を浴びる元海人たち&支援者たち






「これは外出行事ではありません.
家族面談と施設内のカンファランスに基づいて計画的に行われた
個別支援です.作業療法です」


「看護師と介護士のみなさんが一生懸命に関節が固まらないように,
皮膚を傷つけないように生活を支援してきた結果であり,
これからの目標と目的になるはずです」


「手足の関節は今までと同じくらいの角度しか動きませんが,
本人の心や気持ちは動いたかもしれません.
そして,家族が声に出して成果を与えてくれるだろうと思います」




ネギトロを口から食べてもらった時には,
さすがに看護師は強い戸惑いを表したが,決して止めはしなかった.
見ないふりをしてくれた.
1人の介護士を同行させるために,
介護チームは忙しい中でどうにか業務を調整してくれた.


入職して8か月が経過したが,先週になってようやく
ボクが作業療法だと思える仕事ができた.


「これはチームで決めた個別支援です.
これが始まりです.残り98人分の個別支援を半年かけて行います.
なるべくみなさんの業務に支障をきたさないように計画しますが,
もし協力を依頼したい時は前もって連絡しますので,協力の検討をお願いします」




何をするかよりも,なぜするのか.


はっきり見えていれば,
次の一歩を踏み出そうと思えるかもしれない.


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2010/12/17

仲直りのプロセス

保育園が終了した後、娘が4名の友達と運動場で遊んでいた。
1名の友達のあだ名をつけ、3名で連呼する。
あまりにしつこく、その子は親のところに駆けつけ、泣いてしまった。
3名はその場から動けずに、ごめんねーと大声で謝るが、返事はない。
そのうちに3名で、謝っても許さない人が悪い人だと言い始める。

「おい、お前なんだよ、それ」と娘にローキックをしたが、これは違うなあと思った。
ほっとおいてもいいんだろうが、黙ってもいられないなあと思っていた。

「おまえが友達を悲しませたり、傷つけて、泣かせてしまったことに
何とも思わないんだったら、そのようにすればいいさ。謝らないでいいよ」

子供たちが喧嘩をすると、ムリに謝らせて、ムリやり握手させる。
仲直り、という言葉すら強制しようとする人もいる。この方法が好きではない。
子供だからって子供扱いするのは、好きじゃない。





同じように、
学生、作業療法士、医療福祉職者、クライエント、クライエントの家族、
彼らの感情や思考をコントロールできるとは思えない。

「悲観しているクライエントの思考パターン解析と前向きにさせる10の法則」
みたいな本を読むよりも、
村上春樹の「ノルウェーの森」を読んだらいいと思う。

さて、うちの娘は翌日まで口数が少なくて表情も硬かった。
自分に向き合って後悔や反省することを自ら選択したのであれば、
それが彼女にとっての「健康」だろうと思う。
彼女は自分で気づくことができるし、自分で変わることができる。
それを知っているから、向き合うべき自分と向き合えよと促す。
学生にも作業療法士にもクライエントにも、自分にも同じように。


映画館でノルウェーの森を1人で観たいなあ。

2010/12/15

14回作業科学セミナー(実行委員として)

おかげさまです。
沖縄らしいって言葉を頂いても、
沖縄しか知らないのでよくわからないのですが、
褒めてくれたのだろうと思うことにしてます。
感謝。


開催前夜の誓い


進行、会場、受付に責任ある立場で携わりましたが、
管理や指示をするというよりも、
仕事の方法、姿勢を教えてもらうことの方が多かったです。
感謝。
ボクのせいでスタッフがかなり不安とストレスを感じてるのは承知していました.
忍耐強さにも感謝.

準備が大変だったでしょう、と参加者の方々に言われましたが、
ボクはあまり大変という思い出はないです。・・・長い会議だけは疲れたけど。
ボクも含めてみんなが自分の仕事を自分で判断して選択、決定していたと思います。
だからこそ楽しかったですし、みんな同じ気持ちじゃないかなと思います。たぶん。


準備に費やした時間と労力が報われるとするならば、3つあります。

1つめは、責任がもたらした達成感を沖縄チームで共感できたこと。
2つめは、知的欲求が満たれた、楽しかったと参加者が感じること。
3つめは、得られた知識や視点が臨床で活かされ、その先のクライエントが満足すること。

この3つは勉強会で目指していたことですが,
勉強会メンバーだけでは実現不可能な目標でした。


セミナー参加者のみなさん、参加者のみなさんの同僚の方々、
実行委員のみなさん、実行員の家族と同僚の方々、
発表演者のみなさん、演者の同僚と家族の方々、
講演や司会を引き受けてくださったみなさま、講演依頼をされたみなさん、
翻訳を引き受けてくださった上地さん、会場の琉球大学事務局のみなさん、
ありがとうございました。



空間、時間および参加するという作業の共有

2010/12/08

天井と青空 2 Ceiling & sky 2

固くなった関節は、元に戻すことが困難です。
筋肉に力が入っているなら和らげることは可能ですが、
効果は一時的です。
関節や筋肉が固まるのを予防するという意味はあると思っています。

でも、不安と疑問が私にはあります。
それで生活がどう変わるんだろう、と思っています。
痛みなく、床擦れの心配なく、転落の危険なく、
長らく座ることが目標になるかもしれません。

でも、それじゃあ座ってから何をするのか
私がよく見えていません。







高齢者だから、男性だから、施設生活が長いから、
という理由で何かを見せたり聴かせたりすることはできると思います。

でも、この方だからこそ、この方だけの、
という目的が見えるようにしたいと私は思っています。
それは、私と職員のためでもあるんです。
これでいいのかといつも不安なんです。

ご家族が考えることが本人の意思に1番近いと思いますし、
応えたいとも思っています。
車いすでいわゆる寝たきりの状態でも
現実的に考えて参加ができると思う、
この方らしいすることを一緒に考えてほしいと思っています。


・・・・・・


自分で意思表示ができないクライエントの家族と面談をする時、
なぜ話を聞きたいと思っているのか必ずこの説明をする。

ボクは面談をする時、
話を伝える技術よりも、話を聞く技術よりも、
話を聞く目的と意味を伝える技術に集中する。

14回OSセミナー公式テーマソング

作業科学セミナーin 沖縄
テーマ:結(ゆい)
テーマソング:作業の花を咲かせましょう

育てましょう 自分の気持ち
咲かせましょう あなたの気持ち
咲き誇る自分らしさ
つなげよう つながる
ゆいまーるの輪






14回作業科学セミナー
2010年12月11日(土)、12日(日)
琉球大学法文学部大講堂(沖縄県中頭郡西原町字千原1番地)

もうすぐ。

2010/12/07

天井と青空 1 Ceiling & sky 1

特養ホームに入居する高齢者のうち、60名がボクの担当となっている。
そのうち30名は意思の疎通が難しく、1日の大半をベッド上で過ごしている。
何ヶ月も、何年も。






支援計画書を手渡すため、3ヶ月毎に家族の方々と面談をしている。
入職してすぐの面談は、受け身的に話を聞いているだけだった。
いつもお世話になってます、とくに希望はありません、という意思が多かった。

8月の面談では積極的に話を聴いた。
関節を動かす訓練は続けますが、目的と目標をはっきりしたいと思っています。

どこで、だれと、どんなことを楽しんだり、熱心にやる人でしたか?

2010/12/05

人間にとって科学とは何か

先日、職場の健康診断で問診票を老医師に手渡したら、
「逆」と一言放って突っ返してきた。
読みやすい向きで手渡せ、という意味だと気づくのに数秒かかった。
高校の頃は何をやっていたんだと聴くので、何もやっていませんと答えると、
「バカかお前は、刑務所にいたんか」と言われた。もちろん、殴らなかった。


科学哲学者の村上陽一郎が書いた「人間にとって科学とは何か」がおもしろい。

プロトタイプの科学研究活動について、
「知識の生産、蓄積、流通、活用、評価、報賞までを含んで、それらがほぼ完全に
科学者共同体の内部で「自己完結」したままで、一世紀近く発展してきたという
顕著な事実が〜

「〜共同体の外部にクライアント(活動の成果の恩恵に浴する人々)が存在しない、
と言ってもよいでしょう。」(p.23)

ドキっとした。それは抵抗あるなあ。
たとえ、そのプロセスで偶然的に社会貢献をするような発見があったとしても、
好奇心駆動型のままだと発展しないような気がする。
少なくても、作業療法においては。

社会心理学者の故・山内隆久氏の引用も興味深かった。

「医師には治療を依頼はしても、人生を預けるわけではない。
人生を決めるのは自分の権利だし、また責任でもある」(p.64)

作業療法士にとって馴染みやすい言葉であると思うが、
果たして臨床でどれだけの人が理想を実践できていると感じているのかな。
麻痺手の随意性やトイレ動作の自立度ならいくらでも滑らかに説明するのだが、
それはどこで誰とどんな生活を送るためなのと質問して
即答できるOTは少ない、と思う。

さらに医療分野における「(患者ー医師間の)知識の非対称性」、
「専門的知識の独占」は崩壊しつつあり、時には逆転する場合もあり得るという。





少しだけ引用
「患者やその家族が病気について十分な知識を持つことは、
むしろ自己管理能力を高め、
医療チームとのコンプライアンスを増大するのに役立つと考えられます」(p.67)

ずっと後半に飛んで長めに引用
「非専門家のプラットホームへ専門家の知識をどうやって乗せるのか、
橋渡し役の人たちは非専門家の人たちが持っている恐れや疑問を大事にし、
専門家の持っている知識や活動も大事にしなけれならない。
その両方を大事にすることがいかに難しいか。その難しさを
どうやって克服できるのか、少なくても今すぐにきれいな答えが出ないけど、
取り組んでいかなければなりません」(p.179)

なるほど。今やセラピストの思惑や願望には関係なく時代は変わりつつある。
提供されるサービスに疑いを持つということは、自分のことに責任を持つことである。
そのような態度に戸惑うセラピストもまだいるかもしれないが、
ほとんどの人は受け入れているように思うし、受け入れさる得ないはずだと思う。

それが変えることのできない流れなら、新しい仕組みが必要かもしれない。
サービスがどのように提供されるかについて、
クライエントが意思決定に参加できる場面を作る仕組みが求められている、
と思う。(ん〜うまく書けない)

その仕組みが繰り返し利用されるようになれば、
専門家と非専門家の意識はさらに新しい形へと変わっていくかもしれない。

ADOCは新しいシステムではなく、新しい価値を目指す。

悪意のない見当違いの優しさ

今日は施設の事務所で日直。
日曜日に子供に会えないのは寂しいなあ。




先日、3ヶ月ぶりにシェービングクリームを購入し、ひげ剃りの刃を換えた。
買い物の時にいつも忘れてしまって、痛い思いをしながらひげを剃ってした。
しかしまあ、なんてスムーズに剃れるんだ!びっくりした。

そこで・・・。

滑らか過ぎると、ひげ剃りの接触面と皮膚の間に生じる摩擦からの感覚情報が少なくなり、
効率的効果的に手を動かすことができなくなる可能性があります。
ひげを剃る時には手だけでなくて、頭部と頚部が無意識的に自動的にもっともふさわしい
運動反応を引きこしていますので、それらの機能低下を招きかねません。

また、700円もするクリームと4本で1200円もする替え刃を年に数回も購入すると、
あなたの経済状況を圧迫する危険もありますので、お勧めできません。
あなたのあるべき身体機能と生活の保障を真剣に考える立場からすると、
はっきり言ってクリームと替え刃は購入するべきではないと思います。考えてください。

・・・はぁ。

そういうことを若い頃のボクは、
患者さんやご家族に向かってマジメな顔で言っていたんだろうなあ。
はずかしいさ。
でも、未だにそう言っている人もいるのかなあ。
でーじ、こわいさ。

期待する役割のギャップ Role expectation gap

九州で働く卒業生から、たびたび相談がある。
急性期病院が併設する通所リハで、初のOTとして勤めることになった彼女。
先日、上司であるベテランPTと感情的な口論になったらしい。

彼女は上肢の機能訓練と集団手工芸を期待されているという。
しかし、これがほんとうに自分が期待していたOTなのかと悩んでいた。
ついに先日、数名の男性利用者から庭の掃除がしたい、園芸がしたかった、
という話を引き出せたという。
そこで、作業療法の目標を利用者が望んだことに決めて、
一緒に方法も考えたそうだった。

すると、
「せっかく歩けるようになった人を、なぜ地面に座らせるんだ」と
上司に怒られたそうだ。
勝ち気な彼女は、利用者が望んだことをやって何が悪いんだと強く反論したらしい。

「じゃあ、利用者が船に乗って釣りがしたいと言ったらどうするんだ!」と切り返され、
そういう希望があったらできる方法を考えたいですね、と答えたそうだ。
すると、「そんなバカな、そういうことじゃないんだ」と怒られたらしい。




ボクは答えた。
君の考えが正しいかどうかは問題ではない。個人的には好きだけどね。
理論武装をして論理的なプレゼン内容を組み立て、巧みな交渉技術を使えば、
上司の意見を徹底的に叩きのめすことは不可能ではない。

でもさ、それで何が得られる?

君がやるべきことは、先を見ること。
上司はこれまで積み重ねた利用者と体験した喜びが、
仕事の誇りと自信に形成している。
それが例え君の好みではなかったとしても、否定してはいけないし、否定できない。
上司の考え方や価値観を変えようと思うな。変えきれると思うなよ。

でも、上司だって利用者と感動したいと思っているはず。達成感を共感したいはず。
もし園芸を望む利用者を支援したいのであれば、
その情報を逐一報告、相談するんだよ。

その上で、自宅で園芸をやろうとして転びそうになったらしいので、
下肢筋力増強訓練とバランス訓練の導入を検討してほしいですって
お願いするわけさ。

つまり、上司が求めている感動を、上司がわかりやすい形で届けるってこと。



利用者のために支援したいと思わないセラピストはいないよ。
セラピストだけじゃないよ、介護士も看護師もみんなそう思っているんだよ。
同じ状態を見て、同じ目標を目指しているのに、ちょっと切り口が違うだけさ。
おかげで庭掃除ができましたって利用者に言われたら、
ぜったいに上司は嬉しいはずよ。

そういう状況になるのは、今すぐにはムリ。
だって、年月をかけて築かれたものだから。

周囲が期待している自分の役割と、自分が期待している自分の役割のギャップ。




そうとうに苦しいけど、考えてみて。
役割のギャップがない組織。あり得ないし、あったとしても、それはそれで危ない。
自分やチームのことを深く考えなくても済むから、一生前進しないよ。こわいだろ。
そう考えたらさ、今の状況ってチャンスじゃないか。成長するためのチャンス。

クライエントと自分と上司の全員が満足できる目標を考えて、
シェアする方法については少しだけ工夫を考える。
そのために誕生したとして言っても過言ではない評価法があるよ。

ADOC'newPV2→http://youtu.be/LrVvO3sky5Y?hd=1

なっ。

JAY'ED「ずっと一緒」

娘は、JAY'Dの「ずっと一緒」を聴くと、
「友達と遊んだ楽しいことを頭の中で考えるようになる」
から好きだという。

なんてセンスがいいんだろう。
さすが、ボクの娘。
なーんて。




COPMやOSA2そしてADOCを使用してクライエントと面接をすると、
希望する生活において共通する点がある気がする。

一緒にいたい、というよりも、

ずっとつながっていたい人。

昔とは違って車いすや杖を使用するかもしれないし、
言葉以外の方法で交流をするのかもしれない。
手段は何でもいいから、つながっていると感じることが大切。かな。

ADOCの使命  ADOC Mission

ひさ〜しぶりに日記を書く。
新しい名刺にブログのアドレスを掲載したから更新しよ。

11月、32回九州PTOT合同学会でADOCのポスター発表をした。

これがポスター↓


学会2日目、朝一番、特別講演中、400演題近いポスター発表、OT参加率は比較的少なめ。
という状況の中ではあったが、
多くの方がプレゼンに参加してくださった。

プレゼンをバックアップしてくれたチームADOC沖縄メンバーのみなさんと、
ポスター発表に参加してくれたみなさんに感謝。

質疑応答などを通して感じたことは、
PTやバリバリの機能訓練主義者と思っていたOTからの好意的な態度だった。


あくまでも主観だが、この仕事を選んだ人っていうのは
根本的に同じところで感動すると思う。

歩けた、手が動いたというクライエントの喜びは、生々しくて熱い。
その瞬間に立ち会えて、しかも何かしら自分が貢献できたことが、素直に嬉しいと思う。
しかし、損傷部位と範囲によっては回復の早さも到達度も全然違ってくる。
この現実に直面したクライエントと向き合った時、人として、専門職としても心揺らぐ。

その上さらに、
祖母くらいの年齢の女性が泣いてしがみしきながら「手を治せ!」、
親くらいの年齢の男性がものすごい形相で「それが仕事だろ!」
と訴えてくる。

・・・つらい。

だからあえて、話題に触れたがらないクライエントに合わせて、未来の話をしない。
どれくらいの期間で、どれくらい回復するのか、どういうことができるようになるか、
どんなことができなくなるのか、という話をせず、
求められるまま淡々と機能回復訓練をする。自他ともに認める一生懸命さを示す。
身障1年目の頃のボクは、そうだった。が、それもまた、つらかった。

でも、歩けるようになった、手が治った、という喜びよりも、
強くて大きく深い喜びがあることを知るようになった。
歩けない、手が動かない、という苦しみよりも、
鋭くて固く重い苦しみがあることを知るようになった。

その足で歩いて、会いたい人がいる。心配をさせたくない夫や妻がいる。
その手で作って、贈りたいものがある。抱きしめたい子や孫がいる。




その喜びを可能な限り支えたい。
その苦しみをできるだけ軽くしたい。
そう願って、うまくいくこともあったが、うまくいかなかったことが多過ぎた。
何が大切ですかって、聞かなければ互いに傷つくこともなかったと思ったりもした。


踏み込まずに関わることは可能だし、それでも仕事はできる。
でも、
クライエントと成功した経験はぜったいに心から離れられない。
できることなら、目の前の人とも同じように感動したいと思い続けている。
これは介護士も医師、看護師もケアマネージャーもPTもSTもケースワーカーも、
どんな職種だって、どんな経験年数だって、どんな領域だって等しく願っていると思う。


具体的な治療、支援方法は人それぞれだろうが、
その糸口を見つけ出すことが一番大切なことではないかと思った。
抽象的な助言や権威者の言葉は、ボクの場合は救いにならなかった。
自分とチームのために、もっと現実的で具体的な手段が欲しかった。


ADOCは開発することが目的ではなく、
以前のボクと同じように葛藤しているセラピストや支援者の
願いを支援することが目的。

2010/11/14

yourfanboxスパムメールに注意

friendsアットマークyourfanbox ドットcom
というスパムメール感染しました.




知人から届いたメールのリンク先を開いたので感染したようです.
そのメールを送った人は身に覚えがないそうです.


私が登録したメールアドレスからランダムにメールを送っているようです.
私からメールが届いてもyourfanboxと書いてあるメールは
開かずに削除してください.


すでに届いてる方,大変申し訳ありません.
ご迷惑をおかけしています.
ウィルスなどに感染はしませんし,
悪意的なプログラムがインストールされることはないようです.


削除をお願いします.
すいません,よろしくお願いします.

2010/11/11

希望することの背景にあること

最近、1日1回は眺める、伝説の解説。

梅佳代「視点・論点」

ほんと、元気が出る。


平行棒を歩くことが人生の目標ではないんだって。
100年以上の歴史が刻まれたシワの中に隠されていたのは、
トイレだけは自分でやりたいという願いだったらしいよ。
でも、もっと奥深くに隠れていた願いは、生け花をすることらしいさ。

生け花の先生を90歳を過ぎてもやっていたらしく、
若い人から高齢者までいろんな人の尊敬と信頼を集めていたらしいさ。

またトイレですか、って介助する人は言わないで欲しいんだけど、
どう説明したらその理由を理解してもらえるんだろうか。

この人も少し前までは自分と同じように自信と誇りがある人だったと、
気づいてもらえるように、この人らしいエピソードを家族から引き出して、
できるだけ正確に、できるだけたくさんの人に手渡す方がいいだろうと思っている。


ADOC


エピソードを引き出せるなら、どんな理論でもどんな技術でもいい。
何を守りたいのか、何を育みたいのか。っていうこと。
しがらみやコネよりも、大切なことがボクにはある。

2010/11/10

OT評価のメッセージ

回復期リハ病棟で評価実習生を担当した時に、
初日で決まりごとを伝えた。

「ROM、運動麻痺、ADL介助量などの機能評価は、
なぜ集めるのかを説明できるまでは実施してはいけない」

「どこで、誰と、どんな生活を送るために、
機能評価を行うのか自分と相手が納得するまでは、
指一つ触れてはいけない」


目的がはっきりわかっていれば、
必要のない評価とやらなければいけない評価が
必然的にわかるようになるはずだと思う。

退院後に夫に入浴の時に背中洗いを手伝ってもらい、
料理は自分でやりたいと思っているクライエントは、
入浴動作の評価、背中へのリーチは必要がないことだと話した。

朝の限られた時間に台所で立って簡単な料理ができるための、
立位訓練と食器が入った具材を持って運ぶ訓練は
必要なことだとわかった。



何をするのか、ではなくて、
何故するのかを考える。

その答えはセラピストの知識と技術の中ではなく、
クライエントの希望の中にこそあるものだと思う。











したがって、
まず初めにすることは、できないADLを調べることではなく、
ましてや、関節可動域、表在感覚、運動麻痺の程度ではなく、
再びやりたい、上手くやりたい、やる必要のあること(作業)を
クライエントに聴くこと。

このプロセスは、
作業療法士が何をする人なのかとい
メッセージを与えると思う。

ADOC(作業選択意思決定支援ソフト)は、
そのために誕生した。

2010/11/05

作業と学校

て,久しぶりに日記.


何から手をつけていいのかわからず,
何にも手をつけられない仕事のやり方を
変えきれないなあ.


まあ,なんくるなるって.




日本作業科学研究会HP → http://www.jsso.jp/


去る9月17日、沖縄で第43回沖縄県婦人の主張大会が開催され、琉球リハビリテーション福祉学院に努める仲間知穂さんが、「作業」の視点を小学校の先生方に理解していただけるよう努力した経過と、実践を通してあげた成果を一般の人に向けて発表し、見事、「沖縄県教育長賞」を獲得されました。仲間さんの発表の一部は琉球新報にも取り上げられ、沖縄の多くの方々の目に触れることとなりました。
この後、仲間さんは、沖縄県教育長や金武町長などに面談する機会があり、町長からは、「作業」の視点が、教育だけでなく、地域全体の活性化にも役立つのではないか、作業療法士を通じて街造りにこの視点を活用することを真剣に考えたいという言葉をいただいたそうです



すばらしい!

2010年9月17日の43回沖縄県婦人の主張中央大会はもちろん参加した.
2010年9月24日に掲載れた新聞,琉球新報はもちろんスキャンした.

半年前まで同僚だったので,彼女のことはよく知っている.
地域に介入することは目的ではなく,
どのように介入するかが大切だと思う.
その意味で,彼女の取り組みは関心がある.




いわゆる,社会的に受け入れ難い行動の治療,訓練の専門家としてではなく,
何かしていること,やりたいこと=作業,に介入する専門家として存在すること.
クライエントを児童や両親だけではなく,
学校の先生や学校という組織として定義していること.

しかも,それを実践していること.

すばらしい.


14回作業科学セミナー → http://www.mmjp.or.jp/oki-ot/


いろいろ書きたいけど,今日はここまで.





2010/10/30

グライダー能力と飛行機能力

外山滋比古さんの「思考の整理学」を久しぶりに読み返した。
初版は1986年なんだが、2008年あたりに急に流行して、
それに乗っかる感じで購入した本。


冒頭から結論に入る。
現在の学校教育について、
先生と教科書に引っ張られて勉強するタイプの人をグライダーと呼ぶ。
自ら動力を持たず、風に乗って滑空する機体という意味だった。




「人間には、グライダー能力と飛行能力がある。
受動的に知識を得るのが前者、
自分でものごとを発明、発見するのが後者である」








教員になって1年目のころ、一生懸命に図書室にこもってプレゼン資料を練り上げ、
正しい知識をたくさん詰め込めば良い教育になると思い込んでいた。
実習生が帰ってきてから初めて、間違いだったと泣けるくらい痛感した。




自分で考える機会を提供するのが教育なんだと思うようになってから、
PBLのような講義を組み立てるようになった。
深い知識を多く与えられても、
自分で問題を解決しなければならない臨床では、
あまり役に立たないのではないかと思っていた。


これはクライエントにもOTにも当てはまるんじゃないかなと気づいたら、
そういえば確かにそう考えて関わってきたなあと思い出した。




知識や技術を与える、受け取る、という関係は
どちらにもとっても負担が少なくて、楽だと思う。
考えなくてもいいし、やるべきことをやったぞーという安心感もある。


でも、指定された文献を読破した時のやる気とインプットの質は、
臨床で目の前の人のために自分で考えて選んだ本を読んだ時のそれとは、
比べものにならない。


学生だった頃に、実習前や国家試験前にとりあえず文献を読んだという行為に
満足していた自分を思い出したらよくわかった。


何でもリハビリ担当者に任せてください、と優しく言い続けて、
退院は明日ですね、これからは自分で考えてください、と言う。


これを読め、あれを読め、こう考えろ、ああ答えろ、と言われて、
今日から実習ですね、何をどうやるかは自分で考えてね、と言われる。




同じことだと思う。
さて、いまのボクはどうだろうか。
教えてもらえると思っていないだろうか。
教えてあげると思っていないだろうか。


外山さんが言うように、グライダー教育もまったくムダで危険というわけではなくて、
メリットはあると思うし、時と場合によっては必要性もある。
バランスかな。どこで崩れるのかラインは見えにくいけど、あると思う。




大切なことは、
「なぜ?」と積極的に自分で考える能力と習性が人にはそれぞれにあるのだから、
その機会を奪わないようにすることだと思う。


そうだな。
それさえ守ることができるなら、他の妥協は小さいことだ。



自分で飛べたら、楽しいさ。

2010/10/24

ADLの背景を共有

回復期リハ病棟ではFIMを使用していた。

看護師と介護士が入浴介助で成果を出したと報告した。
重度の片麻痺が残存する方に対して、
入浴の時に非麻痺で体幹の前面と片方の下腿を洗えた、という。

必要以上に介助をせずに、自分でできることを支援したことで
ADLの能力が高まったと感じているようだった。
それは仕事に対する自信を育む大切な体験だったと思う。

でも、伝えなければいけなかった。

その方は退院後は通所介護で入浴サービスを利用する予定だった。
身体機能の大きな回復は期待できず、
これから先に練習を重ねて入浴の介助量が軽減していっても、
背中を洗うことや衣類を持って移動することは難しいことが予測できた。

可能性をあきらめない、という類いの話は嫌いではない。
だが、能力の限界ギリギリの方法を生活の中に取り組むのは、
安全性、安楽性、効率性を考慮すると推し薦めることはできないし、
病院ではなく自宅での現実の生活に定着するとも思えなかった。

回復期リハ病棟の構造や備品といった物理的環境や、
介護する人の数や技術といった人的環境は、
自宅や通所介護のそれらより優れているかもしれないし、
劣っているかもしれない。良いか悪いかではなく、事実としてある。

回復期リハ病棟の浴室で看護師、介護士が入浴介助をして、
身体の一部を自分で洗えるようになってFIMの点数が向上したことが、
患者さんの退院後の生活に影響を与えるものでなければ、何の意味があるのか。
努力を否定する気はないが、残念ながら何の意味もなさない。

ここで重要なことは、情報の質と量をシェアできていないことだった。
ADL向上は大切なことだが、それはあくまでも手段であって、
それ自体が目的ではない。
(入浴が趣味の人の場合は、カテゴリの話になるので今回は話題にしない)

入浴に対する価値観はどれほどか、家族は介助することを負担と思っているのか、
という情報も慎重に取り扱う必要がある場合もある。
これらの情報を吟味した上で、入浴介助の方法を検討しなければいけない、
と思っていた。



「すごいじゃん、いいねえ。でもねー、この人さ、
帰ったらデイサービスで入浴するさね。なんかね、奥さんが介助するのに不安だって。
でもね、着替えは奥さんができるようになりたいんだって。
だからさ、入浴はぱぱぱって介助しちゃってもいいので、着替えは見守りでお願いです。
たぶん、退院する頃には着替えは自立までいくと思う。奥さんも望んでいるみたい。
もちろんボクも入浴と着替えに入るので、その時に具体的な介助法を伝えますね」

担当看護師には伝えた情報ではあったのだが、
連携が不十分だと担当者を責めても何も得られるものはない。
もっとも大切なことは、その患者さんが退院した後の入浴状況をリサーチして、
入浴を介助していた看護師、介護士にフィードバックすることだと思っていた。

「ほら、あの時にさ、手伝えば早く済むのに、着替えを見守りにしていたさね。
そのおかげで今は奥さんが少し手伝うだけで着替えができるみたい。
すごい助かっているんだって。なんかさ、うれしいよねえ。
入浴はやっぱりデイサービスを使っているみたいね。ほぼ全介助らしいけど、
まあ、本人はそんなに不満ではないらしいよ」

一連の経過を含めてワンセットで伝えることが大切だったと思う。
なぜなら、この経験によって思考パターンに影響を及ぼすはずだと思っていた。
そのADLはどこで、だれと、どのようにしたいと思っているのか?

自分が介入したことが数値化して表れる成果は、仕事の自信と誇りになる。
FIMだけではなくて患者満足度という数値もあった方が、
もっと仕事が楽しくなるんじゃないかなと思う。

作業選択意思決定支援ソフト(ADOC)

伝えたいことが複数あって、文章の焦点が絞れていない。
こりゃあ、書き直しだ。でも、これもこのまま残しておこう。