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2011/06/29

希望の連鎖  Chain of hope

あなたが琉球オジさんですか、と尋ねられて、
そうです、私が琉球オジさんです。と答えたのは3日前のこと。

3月11日に書いた日記を思い出していた。


yui-maru


大切な友人らが心配だった。
次に、想像した。
大切な友人らにとって、大切な人が傷ついたり、
悲しい思いをしていたら、
大切な友人らも、きっと傷ついたり、悲しむ。

さらに、大切な友人らにとって大切な人の、
大切な人たちが・・・。
どこまで行っても、ボクにとって大切な友人らにつながる。

悲しみ、苦しみ、痛みは、連鎖する。




でも、
大切な友人らの大切な人たちが、
喜び、誇り、希望を感じることができれば、
ボクにとって大切な友人らも、同じようになる。

喜び、誇り、希望もまた、連鎖する。

先日、埼玉で開催されたOT学会で友人らに出会った時、
そのことを確かめようとしていた。
ひとりひとりが選択した言葉と行動が、
どこで、誰と、どのようにつながっているのか、
イメージしようとしていた。

それぞれの気持ちが、
化学反応を起こして変化しながら連鎖していくようすを、
感覚を研ぎすまして確かめていた。

そこには喜び、誇り、希望の存在を感じた。
それはすぐに、次の人へと紡がれつつあった。
希望には、互いを引き込み合う力があるみたい。


ADOC


苦しい時にがんばってきた希望は、
しっかりと自分で歩いていく。

2011/06/19

特養ホームのOTとADOC ADOC and OT and nursing home

先日、沖縄の特養ホームに所属する機能訓練員部会の研修会で、講師を担当させていただいた。参加者はほとんどがベテランと呼ばれるほどの年齢で、半分はPTとOT、半分は看護師や介護士だった。



これまで出会った特養ホームのOTは、機能訓練に専従するか、レクに専従するかに二分されていました。機能訓練に専従しているOTはレクをやらなければと焦り、レクに専従しているOTは機能訓練をやならければと焦っているみたいでした。でも大切なことは、何をやるかよりもなぜやるのか、だと思います。

「実現可能なできるようになりたい何かすること」が明確でなければ、結局は同じように悩むだけだと思います。本当にクライエントにとって何か役に立っているだろうか、他の職種のお手伝いをしているだけじゃないかと、不安になると思います。「何かすることに焦点を当てた目標」を明確にして支援をすることは、クライエントだけではなくOTにとっても自分が望む自分らしさに近づくための手助けになるんじゃないかと思っています。それはOTだけではなく、PTもSTも柔道整復師も介護士も看護師も同じだと思っています。

名前を伏せたら誰だかわからない計画書を書いて、不安を抱くのは私だけでしょうか。そうじゃないと思います。私たちが病院に勤めていれば、機能回復を目標にすることは、時に正しい選択だと私も思います。でも、どんなにがんばっても完全に正常になるわけでもなく、身体機能の低下を永遠に完全に予防できるわけではありません。

私は、入所して初めてのカンファレンスで本人と家族に伝えています。

「機能訓練を続けても、完全に機能の低下を防ぐ事は困難です。週に2回、1回で15分程度の機能訓練よりも、残りの23時間45分、週に5日間の過ごし方が大切です。その点は、介護士に任せてください。必要以上に介護をしない仕事をしています。この点は私が保証します。こんな説明をする私は、機能訓練がやりたくないわけではありません。確かな必要性があれば、必要なだけ提供します。しかし、もっと価値のあることに時間とエネルギーを費やしてもいいんじゃないかと思っています」と伝えています。

あきらめたことを、できるようにするための支援は、実現できると思います。その支援を私たちが全員に、毎日、提供することは現実的ではありません。しかし、身体と精神の能力がある程度あれば、本人が自分の意志と身体を使って日常的にできるようになるかもしれません。いわゆる寝たきりの方でも、家族がその支援をできるようになるかもしれません。もちろん、私たちも週に2人くらいであれば、業務に支障なく実施できるはずだと思います。




毎日、関節を動かす事が、体操をすることが、レクリエーションをすることが、絵画や手芸をすることが、ムダとは言いません。でも、それは提供して効果がある場合に限ってもよいのではないかと思っています。そうでなければ、いつか必ず私たちは迷います。

仕事をやるほどに、苦しい思いをする支援者がいるのは、良いことだとは思えません。あきらめることを暗に強制される高齢者がいることは、良いことだとは思えません。互いの望む自分らしさに近づけるための、仕事のやり方があるはずだと思います。

それは、目標をはっきりさせることです。目標をはっきりさせるためには、聞く人の技術と、聞かれる人の能力がある程度は必要です。もちろん、他にも難しい理由もあります。ただし、この2点については、解決するための方法を1つ私は知っています。




それが、作業選択意思決定支援ソフト、ADOC(エードック)です。

2011/06/08

こえをかける  Greet

案内1
第9回沖縄県作業療法学会
2011年11月13日(日)

特別講師:山田孝先生
演題募集(意思確認のみ)5月16日〜6月10日


案内2
平成23年度社団法人沖縄県作業療法士会総会
平成23611()  午後 700

正会員は必ず社団法人沖縄県作業療法士会総会にご出席ください。
事情により総会を欠席なさる場合は、
議決を委任する正会員個人名前を明記するようにし、
必ず同封の委任状を68日までに事務局にご返送ください。


てぃーあんだ:軟骨フーチバーそば

高校野球チームのメンタルトレーニングを担当している精神科医師に、
教えてもらったことをよく覚えている。

「エラーをするな」、「ミスをするな」

という呼びかけは絶対にしてはいけない。
言葉が耳に入ると、無意識のうちにエラーする自分をイメージする。
ダメだと思いながら、そのように行動してしまうらしい。

望ましい声の掛け方は、

「よく見て」、「しっかり捕って」

当たり前のようだけど、
エラーを誘発するような言葉を、よく考えずに選択していることに気づく。
とくに、クライエントと練習している時、子供を注意する時、学生指導の時。

いつも意識しているつもりなのに、ついつい出ちゃうんだよね。
そんな時の自分に対する言葉かけも選ぶ。


「〜やるなと言わないこと」じゃなくて、
「どういう状態になればいいのか、イメージできるように話してみて」


案内だけでは寂しいかと思って小話を入れてみたけど、
着地点を見失ってオロオロしているので、今日はここまで。

2011/06/05

目標をつなぐ Connecting the target

昨日、ADOCを貸し出していたリハ病院のスタッフから、
使用感想などを頂いた。
大浜病院は沖縄の活動分析研究会を10年以上リードしてきた病院で、
その実績と伝統は沖縄のOTなら誰でも知っている。
待ち合わせは、あえて近隣にある別法人の急性期病院にした。
そして、急性期病院のベテランOTと新人OTに同席してもらった。

(回復期OT)
「話を聴いているつもりだったけど、新たに発見できたことがあった。
それは財産管理、政治活動、家族との交流などだった」
「漠然とした更衣の練習をしていた人が、
更衣は家族にやってもらうから優先順位が低いことがわかった」
「リハ病棟で担当2日目の患者さんは、
子供や家族に迷惑をかけないかと不安が強いことがわかった」


「認知症のためか、入院の必要性を感じていない患者さんには
やりたいことを確認できなかった。高次脳機能障害がある方も同じたった」
(それはクライエントが誰なのかを考えてもいいかな)
「iPadの文字入力が慣れないと難しい、という要望が多かった」
(ワイヤレスキーボードは必須アイテムかな)

「患者さんが集中できない等の理由で、途中保存機能はよく使った」

「OT課長がiPadとADOCの購入伺い書を作成すると言ってくれた」








なるほど。
ところで、回復期リハ病棟のOTとして、
急性期の病院から送られてくる申し送り書に要望することは?

「疾患、症状、動作の分析と経過の情報だけだと、
患者さんの人柄がわかりにくいために初回面接でとても緊張する」



なるほど。
それらの情報についてはリハ病棟で改めて初期評価として確認するので、
むしろ始める前に確認したいことは、どんな生活を送ってきた人なのか、
という情報が欲しいのかな。


たとえば、法人が同じ病院なら急性期、回復期の患者さんの情報を
電子カルテなどで閲覧することは可能だろうか。

(急性期OT)
「急性期から回復期の経過を電子カルテで確認することはできる。
しかし法人内に限り、閲覧することしかできない」



「急性期から回復期リハ病棟に転院してまでやりたいことがあると、
回復期の病院に伝えたいが、申し送り書の書式上むずかしいこともある」

「COPMや対話の中で発見した希望を、

回復期リハで実現できたかは確認できず、それが最も知りたい」



急性期において、作業に関するやりたいことを引き出すには、

セラピストの視点と技術が影響すると思う。
患者さんの混乱の程度や病状によると思うが、
セラピストの影響もあるとボクは経験から仮説を立てている。






法人を超えた急性期、回復期の連携、
しかも、作業に焦点を当てた協議や双方向性の情報提供ができれば、
急性期のOTは意味と目的のある作業に目標を置くことに自信を持てるし、
回復期のOTは急性期OTから作業に焦点を当てた情報を提供してもらえる。


具体的には、
ADOCのPDF資料を急性期から回復期への申し送り文書に添付する、
回復期は急性期へ退院前のADOC再評価を申し送る。
個人情報のリスクも時間的コストも費やすが、それだけの価値はあると思う。



ボクは回復期リハで勤めている時に急性期OTからの情報提供書、

通所リハと通所介護で勤めている時に回復期OTからの情報提供書を読んで、
OTというよりはPT助手だな、と思った経験があまりに多すぎた。


だから、いま話しているあなた達のことは信頼できるが、
やはりそれは個人の信念、視点、技術に依存しているのではないかという、
疑念を完全に取り除くことができない。


あなた達と同じように考えているけど、
いろんな事情でできない人もいるかもしれない。
そういう人たちのために、もちろん自分のためにも、
作業に焦点を当てた情報共有の仕組みを考えたいね。




急性期、回復期を経て、生活期を迎えた方と直面するボクのためにも、
作業に焦点を当てた要望を伝えることができる文化を作っていきたい。


発症から数年以上が経過した運動麻痺や認知症状を治すことが、
OTの本来の目的ではないと生活期になって伝えても届かないことがある。
あなた達の言葉や態度が、
ボクの今目の前にいるクライエントの価値観に影響を与えると思っている








共に作業に焦点を当てた地域連携の仕組みを考えよう、作ろう。
急性期、回復期、生活期のOTそしてクライエントが望んでいること、
だと思う。


それは、作業に焦点を当てた目標をつなぐこと。

2011/06/01

機能訓練は作業か?2 Or occupational therapy functional training?2

よく誤解されるので、書いておく。
機能訓練に抵抗があるわけではない。
それしか選択しないことに、強い抵抗がある。

その時、ボクは26歳で彼は30歳だった。
脳動脈瘤の破裂により、運動麻痺が出現した。
急性期病院ではベッドの上で一日を過ごし、
回復期リハ病棟のあるボクの職場に転院してきた。

初日にCOPMを聴取し、目標を明確にした。
農業試験場に勤める彼は、豚の世話をすること、
1人で生活すること、通勤は車が必要であることを話した。

どんな自宅で、どんな車で、どんな仕事内容で、
仕事に関してはどこまで職場の協力が可能であるか確認した。
どこまで妥協できるか、何は妥協できないか、
それはなぜか確認した上で、作業療法の目標と方法を
一緒に考えた。

その上で、病棟廊下歩行訓練から始めた。
1ヶ月ぶりに歩いたと話す彼は、10m歩いて廊下に嘔吐した。
ベッドに運び、すぐに脳外科の医師にリスクを再確認したところ、
CTの結果を見直しても再発の危険は少ないから気にするな、と
言ったので、危険と判断する状態を細かく確認した。

その後でボクが彼に伝えたのは、1時間後に歩行訓練を再開する。
その時に再び嘔吐した場合は、さらに1時間くらい空けて再開すること。
今はやればやるだけ変化が期待できるので、
無理をしてもやるべきだと伝えた。
そして1ヶ月後の変化を確認して、
継続するか、終了するか判断すると伝えた。

1時間後、彼は再び廊下で嘔吐したが、さらに1時間後に再開した。
成果が期待できるという根拠がある限り、機能訓練はするべき。

ここで主張したいことは、2つだけ。
1つめは、機能訓練は何のためにという目的と、
どこで何をしている状態になるという目標が必要不可欠。
2つめは、機能訓練を選択して開始する時には、
客観的根拠に基づいて終了する時を始めに決めておくこと。

同じ情報量と同じ情報の質を共有することを前提に、
フェアな関係が成り立ち、表面的ではない協業が可能になると思う。

そうして初めて、
機能訓練という形態ではなく、意味が有る、無いではなくて、
どんな意味があるのかという議論ができるんじゃないかと思う。

機能訓練は作業か?
ただの機能訓練かもしれないし、
個人的に特別な意味のある作業かもしれない。

作業療法の問い Question of Occupational Therapy

Q.作業に焦点を当てた作業療法を主張するのはなぜですか?

A.十分に実施していない作業療法士が多いと予測しているからです。

Q.手芸や積み木重ねなど作業活動は提供していますが、それは作業療法ですか。

A.手芸や積み木重ねが手指機能、認知機能の改善だけを目的としたものであれば、作業療法の専門知識を活かした支援といえるか疑問があります。

Q.手芸などの作業活動を行わせることが問題なのですか。

A.機能回復だけが目的である場合は、作業療法と呼べるか疑問があります。

Q.それでは作業療法とは何ですか。

A.たとえば、手芸をすることによって自分らしさを取り戻そうとしたり、作品がつながりたい人と本人を結びつける場合は作業療法だと思います。(ちょっと説明不足だけど省略)

Q.つまり手段と目的が違うということですか。

A.そうです。作業活動は手段で、役割再獲得や自分らしさを取り戻すことが目的です。

Q.それはどうやって判断するのですか。

A.クライエントに確認することで判断できると思います。

Q.患者さんが疾患や症状のために自分の意思を表出できない場合は、どうやって判断するのですか。

A.2つのことを考えます。家族やカルテから患者さん、利用者さんの文脈を辿り、何を期待しているのかを想像します。もう1つはクライエントの定義を考え直すことです。つまり、共に暮らす人々をクライエントとして判断し、彼らが患者さん、利用者さんにどうなって欲しいのか、あるいは自分が支援者としての役割をどのように獲得したいのかを確認します。それは結果的に患者さん、利用者さんの満足度を高める可能性が高いと考えているからです。

Q.はじめの質問に関係しますが、機能が完全に回復すれば患者さんのやりたいことが実現できると予測した場合、機能回を目的とした手工芸や運動療法だけを提供することは患者さん中心の作業療法だと言えませんか。

A.心身機能が完全に元に戻ると予測できる場合は、クライエント中心の作業療法だと言えるかもしれません。そうではないのであれば、それは作業療法士が中心の作業療法だと思います。

Q.人は作業をすることで健康になると主張していますが、根拠はありますか。また、作業をしないことで不健康になるという根拠はありますか。

A.厳密に言えば、私は知りません。しかし、作業をしないことで不健康になるという根拠がないという理由で、作業することを支援の目標としないことは正当化できないと思います。このまま進めると悪魔の証明ごっこになるので、ここまでにします。

Q.作業療法は何でもできる、必要があれば何でもやるという考え方だけでは不十分ですか。

A.あなたがそれで十分だと思うなら、それでよいと思います。手段として知識、技術を何でも活かすという意味であれば同意できます。しかし、作業療法ではなく個人的見解として伝えた方がよいと思います。なぜなら、私はその考えで作業療法を説明するのは不十分だと思うからです。

Q.それでは、あなたが考える作業療法は?

A.また今度ゆっくり。

意味の重み Mean weight

クライエント中心、クライエント協業の定義を、
違うレベルで解釈することがすれ違いを生んでいると思う。

ADOCやCOPM、OSA2を使用してクライエントの希望を引き出した、
という時の「話をよく聴きました」と、
家族の愚痴、病気への不安を語るクライエントの話をじっと聞いた、
という時の「話をよく聴きました」を混同しているのではないかと。
クライエントが話し、セラピストが聴く、
という形に意識が向かっていると、議論はすれ違ったままで終わる。

どうして手を治したいと思っているのかをちゃんと聞いてよ、
と言っているのに、
どうしても治して欲しいと思っているんだよ、
と返しているようなものだと思う。

夫のために再び簡単な料理ができるようになりたいと話した、
と申し送っているのに、
若い頃は甘いもの好きだったけど最近はそうでもないと話した、
と情報を提供してくるようなものだと思う。

知り得た情報の重みづけがされないままで、
議論が展開されていることに気がつかないと終着点は見えない。