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2012/01/29

介護保険サービスの作業選択意思決定支援

昨年、10月に沖縄県福祉施設職員研究大会で発表した。演題名はADOC(作業選択意思決定支援ソフト)の開発と使用経験。別会場では職場の栄養士と介護士によるADOC事例報告が発表されていた。先日、沖縄代表として選抜されたと連絡があったので、7月10日〜11日に開催される九州福祉施設職員研究大会で発表する。会場は、沖縄!





まず始めに伝えることは、
介護保険の目標として厚生労働省が主張していることで、私たちもわかっていることです。筋力増強訓練、歩行練習、トイレ介助、手芸、レク活動、散歩などは、手段です。利用者のためを思ったすべての支援に、その人だけの意味と価値があることを発見することは大切です。


すべての利用者に、毎回、特別な支援を提供するのは難しいかもしれません。
特別な支援は、人によっては数ヶ月に1度でもいいと思っています。その機会が大切です。日々の支援が、そこに向かっているためだと利用者と職員もイメージできるからです。

目標はどのように確認したらいいか。
私たちが利用者に希望を尋ねると、ほとんどの場合は同じ反応です。「お風呂に入れてもらいたい、困っていません、腰が痛い、歩きたい」そのままニーズとして記録し、目標に設定されていることがあります。それはニーズではなく、嘆きです。好きだったことで再びやりたいことは何か、何ができるようになる自分を期待するか、腰の痛みなく歩いてどこに行きたいか。それが、希望です。


情報が少ない、と言っているわけではありません。
それぞれの職員が様々な情報を持っており、カルテなどに集められています。でも、重み付けがされず、すべて同じ重さの情報として扱われます。結果、カンファレンスで本人が大切と思っていないADLについての議論が延々と続きます。ADLが重要ではないという意味ではなく、人それぞれ重みが違うということです。


トイレができなくて在宅生活が継続できないほど困る人もいます。
トレイの支援を負担と思わない家族がいつも一緒にいて、困らない人もいます。ここにいる私たちと同じことです。情報をたくさん集めることではなく、重み付けをすることが大切です。何が重要であるのか、何に満足しているのか、利用者に決めてもらうことです。




満足度を決定してもらうことの大きなメリットがもうひとつあります。
私たちの支援の成果が、目に見えることです。病院では機能回復が期待できる時期なので、関節可動域や筋力やADLを支援の成果を図るモノサシとして使えます。関わる時期は長くても6ヶ月間というのも特徴です。

介護保険領域で支援をする私たちが関わる時期は、
著しい機能回復は期待できません。良い変化があったとしても、それは永久的に変化し続ける現象ではありません。そして私たちが関わる時期は、5年、10年以上に継続します。運動機能やADLの変化を目標にすれば、いつか私たち職員と利用者は疲れてしまうでしょう。でも、利用者がやりたい活動、自分が期待する役割への利用者満足度は、変わります。



さて、
個性的な目標を明確にして共有すること、ほんとうの希望を引き出すこと、希望の優先順位を決めてもらうこと、満足度を確認すること。なぜ大切かは説明しました。でも、うまくできないと思う人もいるかもしれません。面接技術の差があるかもしれません。利用者自身の表現力や自己洞察力の差もあるかもしれません。それでは、どうすればいいのでしょうか。




何が必要かを考えました。
そして、レキサス沖縄さんとの共同開発によって誕生したのが、

ADOC(エードック)、作業選択意思決定支援ソフト、です。


作業療法士のために開発しましたが、iPadとADOCアプリがあれば明日から誰でも使えます。

あきらめることをきめる

何を読んだらいいですかと実習前の学生に問われたら、
江國香織、中島らも、重松清、村上春樹の本と答える。
まじめに教えていたんだけど、誰も本気にしなかったね。




いくつもの葛藤を経た上で退学を選択しようとする学生、
職場を辞めることを選択しようとする作業療法士に、
伝えようとしてきたことがある。

まず、山田ズーニーの「たった3円の意志」を読んでもらう。


生きることが苦しいほど悩むなら、次のステージに行けばいい。
生きることへの希望よりも執着するべきことは、ないでしょ。

置いてゆくことで失うことは、取り戻せないことも、
時間が経てば違う形で取り戻せることもあるけど、
その時になればそんなに大切なものじゃないかもしれない。


君がこわいのは、向き合わなかった自分と向き合うこと。
それなら、向き合うこともどこかに置いていけばいい。
そうしてしまっても、命が危険になることはない。

君がこわいのは、大切な人々から失望されること。でも、
彼らは君が苦しみを置いてけぼりにしても、君を見捨てない。
君が彼らの立場なら同じ選択をするはず。


違う道を選択する時に、大事なことがひとつだけ。
苦しいから辞めるのではなくて、
希望があるから次に進むと思い込むこと。

いつになるかわからないけど、後になってから君は、
逃げた自分というレッテルを一生懸命に貼ろうとする。
そいつは、頑固で偏屈なやつだから、
現れないように準備をしてたらイイ。まじめに話し合う必要なし。

ふさわしい時期が訪れたら、
苦しいことに面会する許可を、自分で出してあげたらいい。

その時になって初めて、
いまの経験がその時の君に何かの力を与えるかも。
それまでは向き合う必要はあんまりない。
ふさわしい時期は必ず、向こうから自分で歩いてくる。

もし、あきらめきれないことがあるなら、
立ち止まって今の場所でどうにかしたらイイ。
それもいい。自分で決めたなら、それがいい。




泣かないで恋人よ.THE BLUE HEARTS

あきらめきれぬことがあるなら
あきらめきれぬと
あきらめる
あきらめきれぬことがあるなら
それはきっといいことだ

2012/01/28

NICUのOTプロセス

ADOC(作業選択意思決定支援ソフト)の小児版を開発するプロジェクトが着々と進行している。ボクは作業療法士として児童と関わった経験がほとんどない。中心メンバーは現役の学校、地域、施設で活躍しているOT(作業療法士)の方々なので、期待に胸を膨らませて応援している。



ボクがはじめてCOPM(カナダ作業遂行測定)を使用したのは回復期リハ病棟に勤めていた頃で、交通事故による後遺症で遷延性意識障害(いわゆる植物状態)児の母親だった。その時からクライエント中心あるいは協業の作業療法について考えること、実践することが始まった。それから3年後に病院で最後にCOPMを使って支援したのは、NICU(新生児集中治療室)に入院する乳児の母親だった。その時、ボクは20代後半で娘が1歳だった。

当時、48床の病棟に専属のOTは1名で、担当は15名前後だった。診療報酬は請求しない条件下で、乳児に介入してくれと上司から依頼があったので引き受けた。


生後すぐに現れるはずの、吸てつ反射が消失していた。つまり、乳児は母乳が吸えなかった。まず、乳児には触れず母親との面接に1時間費やした。医師からどのように説明を受けているか、退院後に自宅で暮らす時にできるようにしたいことは何か、ゆっくり確認をした。目標をはじめに明確化することが最優先だと思っていた。

その後、発達障がい児への治療、支援の経験が豊富な他施設のOTに助けを求めた。NICUの中で嚥下訓練をベテランOTから母親と一緒に手取り足取り教えてもらいながら、その様子をビデオ撮影して母親に渡した。NICUに入院できる期間はごく限られていた。救急の必要がないと判断されたら即退院しなければいけないと調べて知った。




「退院後、あなたとお子さんに私が今と同じように支援することは難しいと思います。もちろん、勤務外ではあれば可能ですが、あなたも気を遣うでしょうし、私も十分に応えきれない時があるかもしれません。お子さんへの支援が継続的に必要な状態であれば、あなたがあらゆる状況に対応できるようになった方がいいと私は思います。それは訓練手技を極めるという意味ではなく、特定の課題に対応できる専門家に相談や依頼ができる能力を育む、などの意味です」


「そのためには、まず何が課題と考えているのか、何ができるようになった時に課題は解決できたと思うのかを、書き出してみましょう。判断のために必要な病気の情報提供は、私からも医師に依頼します。ケアについては看護師に依頼します。はじめての出産、初めての支援で混乱していることは想像しているつもりです。でも、この子が自分で意思決定できるまでの期間は、あなたが代理で選択した方がいいと思います」


「まず、退院後すぐの生活のこと、1ヶ月後、3ヶ月後のことを考えてみましょう。生まれつきの反射のことだけはなく、あなたや旦那さんや親御さんなど関係者の、子供と関わる時間外も含めた生活全般のことをイメージして、何が必要なのか一緒に考えてみましょう。イメージを見えるようにするために、ボクはまず外泊を勧めます。NICUは外泊ができないようなので、23時間の外出なら可能かもしれません。それから課題を明確化してもいいと思います。できるようになりたいことの優先順位を決め、それぞれの満足度を教えてください」


「嚥下訓練に没頭する、退院した後は地域の専門家に委ねる、という選択肢がボクにもありますが、ボクは作業療法士なので、この目標を決める過程がとても大事だと思っています」




この態度には問題があったかもしれないし、過剰なことや不足していることがあったかもしれない。その時もそう思っていて、不安でよく夜中に目覚めた。でも、もし再び同じ機会に巡り会うことがあったなら、やはり同じような目標を目指し、同じような経過を辿るんじゃないかと思う。もし、ADOCの小児版があったら、どうなったんだろうと最近は眠る前に思い出す。

2012/01/11

結婚7年祭り Seven-year marriage anniversary

2011年10月、ささやかな結婚式と披露宴を開きました。




26歳で出逢ってすぐに結婚を決め、
入籍ちょっと前に長女を授かり、
結婚式は開いていなかったんです。
2011年の始めに、
今年やるぞと決めたわけです。
結婚式したいと7年間も言い続けた、
カミさんの歴史的な勝利です。

いくつものプライダル店を巡り、
3月頃にようやく納得できる担当者に出会えて、
プランニングを始めようとした時。
1つだけ譲れない主張を、
プランナーとカミさんに伝えました。

Stay Hungry !
Stay Foolish !

伝わっていないような表情でしたね。
仕方がないので丁寧に説明しました。





誓い

私たちは、
それぞれに3つのことを誓います

私、夫は、
週に一度、子供のために、
子供と一緒に海や公園で遊びます

月に一度、私のために、
夫婦でディナーを楽しみます

年に一度、家族のために、
健康診断を受けます

私、妻は、
週に一度、子供のために、
子供と一緒に料理をします

月に一度、私のために、
夫婦でランチを楽しみます

年に一度、家族のために、
一日かけて女を磨きます


私たちは、
みなさんにも3つのことを誓います

私たち夫婦は、
自分の誓いを、いつまでも忘れません
相手の誓いを、いつまでも忘れません
みなさんの前で誓った意味を、
いつまでも忘れません




謝辞

私たちは結婚してから、
7年の月日が経ちました。
この7年間で3人の子供達を
授かり、育む中で、
私たちを築いてきた、
人との出会いやつながりを、
意識するようになりました。

今日、参列いただいた
皆さまの支えがあり、
今の私たちが成り立っています。
この家族を形作ったのは、
みなさまです。

私たち夫婦は互いの「絆」を確認し、
自分の絆と同じように大事にします。
良い、正しいで判断せず、
家族と同じように、
無条件で、大事にします。

ここにおられる皆さま、
そして、招待できなかった大切な方々のおかげで、
この日を迎えることができました。





私たち家族と今後100年に渡り、
家族のような深い
「絆」を結んで頂けるよう、
どうかよろしくお願い申し上げます。

成人の日に  谷川俊太郎  Coming of Age Day

人間とは
常に人間になりつつある存在だ
かつて教えられたその言葉が
しこりのように胸の奥に残っている

成人とは人に成ること
もしそうなら
私たちはみな
日々成人の日を生きている

完全な人間はどこにもいない
人間とは何かを
知りつくしている者もいない

だからみな問いかけるのだ
人間とはいったい何かを

そしてみな答えているのだ
その問いに
毎日のささやかな行動で

人は人を傷つける
人は人を慰める
人は人を怖れ
人は人を求める

子どもとおとなの区別が
どこにあるのか
子どもは生まれでたそのときから
小さなおとな
おとなは一生大きな子ども

どんな美しい記念の晴着も
どんな華やかなお祝いの花束も
それだけでは
きみをおとなにはしてくれない

他人のうちに
自分と同じ美しさをみとめ
自分のうちに
他人と同じ醜さをみとめ

でき上がったどんな権威にも
しばられず
流れ動く多数の意見に
まどわされず

とらわれぬ子どもの魂で
いまあるものを組みなおし
つくりかえる

それこそがおとなの始まり
永遠に終らないおとなへの出発点

人間が人間になりつづけるための
苦しみと喜びの方法論だ


『魂のいちばんおいしいところ』より