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2013/11/27

三十春(みそしゅん)

何かを始めるには,変えるには,
やり直すには,遅すぎた.
人に言われる前に,思うことがある.

でも,本当に,もう遅いのかな.

男の平均寿命80歳を1年に換算した場合,
36歳は6月14日
・・・これから夏じゃない.








大騒ぎの正月を過ぎ,耐え難い寒さの冬を越え,春風が吹き去り,
ゴールデンウィークに浮かれて,梅雨に打たれた日々も忘れ始めた,
やっと夏が来たね,っていう頃だよ.

11月では遅過ぎることも,6月なら何だって間に合うね.

26歳なら4月29日で日本は桜見,沖縄は海水浴.
46歳なら7月30日で子供は夏休み序盤,大人は夏祭りにビール.
80歳なら12月31日で6月の思い出に少し悔やんだり,大いに笑ったり.

30代は春

何かを始めるなら,
何かを変えるなら,
早くも遅くもない.




第1回日本臨床作業療法学会
演題募集は11月30日まで.


2013/11/22

葉山靖明さんが沖縄に来る

6年か,7年前でしょうか.
大分で開催された九州PTOT合同学会で発表しました.
温泉と酒と鳥天ぷらに溺れてフラフラなままで,会場に足を運びました.

しかも,急な仕事で参加できなくなった,
いきがいのまちデイ田村さんデイつむぎの原田さんの代理もしました.
並びだったので,3演題続けてポスター発表という異形のプレゼンでした.

2つのCOPM事例報告と1つのOSA−Ⅱ事例報告でしたが,
その時に発表を聴きに来てくれた葉山さんと初めてお会いしました.
今でも昨日のことように,覚えています.なぜなら,



学会発表が終わって2,3日後,職場に葉山さんから電話がかかってきました.
「あの報告にあったクライエントは作業療法に出会えて幸せに違いない.
 作業療法とは,通所とは,どうあるべきか伝えたくて電話しました.聞いてください」

という下りから始まった葉山さんのメッセージを,
手元にあったA4封筒の裏に書き込んでいたら全面が埋まってしまいました.
高いビジョンを明確に持っている,自称,いや,事実,元患者さんだと思いました.

おそらく,その前後だったと思うのですが,
彼は作業療法士が輝き,クライエントが自分を取り戻すために,
通所介護を起業しました.



それから毎年,学会や研修会で葉山さんに会いますが,
作業療法士とクライエントのために貢献したいという葉山さんの使命は,
少しも薄れることなく,むしろ,強く,高まっているように感じます.

今や,毎月,毎週のように日本各地で講演会や研修会で講師を務める葉山さんです.
彼の実績よりも私たちが注目するべきことは,
経営者,多様な団体の理事として多忙に働いているにも関わらず,
迷える作業療法士と悩めるクライエントに貢献する作業へ,
時間とエネルギーを惜しみなく費やしていることです.

私たちは彼の想いや実績を受け取るだけでは不十分です.
葉山さんの使命バトンを受け取って,私たちの近くで実践することです.
私たちの環境に合わせて,私たちにできる範囲で,適切に伝播することです.

義務ではありません.
望む人が,望むように,自分に導かれたらよいと思うのです.
沖縄の作業療法士に,導きを手助けをする機会が巡ってきました.






葉山さん,勝手に本から写真を転載します,事後報告ですいません.
沖縄臨床作業療法実践研究会のみなさん,勝手にポスターを作って,
しかも締め切り日を消しました・・・許してねぇ.

まくとぅそーけー,なんくるないさね.

葉山さんに出会った学会で発表した時,大ベテランの座長OTがコメントくれましたた.
「理論についての議論は言い尽くされた感がある.これからは理論を実践する時代です.
そしてこれらの発表が,その実践報告です」

ありがたいですが,私たちは不十分でした.今週末,十分な報告が明らかになります.


2013/11/08

事例報告のススメ

40分前に36歳になったよ.この1年で10年分の身体と頭と心を使ったね.
ヤバいと2回ほど思ったけど,今になって思えばそうでもない.
36歳までの10年を振り返っていたら,事例本に辿りついた.

先日,2013年度の九州PTOT合同学会の抄録集を開いた.
指定演題の一発目がADOCの事例報告だった.
しかも会場は熊本県.

初めて沖縄県外の学会で発表したのが九州PTOT合同学会で,
それがちょうど10年前で熊本だったことに,巡り合わせを感じた.
琉球OTの臨床を変えた事例報告と,それからの10年について.






学院始まって以来の最低な頭と心を持った学生と言われたOT養成校を卒業して,精神科に就職して3年が経ってから回復期リハ病棟に就職した.それまでの4年間,学会なんて参加したことも無く,発表する人なんて自信があって,時間があって,臨床力のある一部の人だけだと思っていた.今なら,間違いだと気づくけれど,その時は信じて疑わなかったし,自分を救うために必要な理由だったのかもしれない.

それからtomoriくんに導かれて作業科学,作業行動理論,カナダ作業遂行モデルを学び始めた頃に出会ったクライエントは,交通事故にあって植物状態と診断された6歳児だった.8時から20時まで病棟で介入や面接をする生活に,日曜日も公休日もなかった.このクライエントの人生に貢献できなければ,仕事を辞めようと覚悟していた.6ヶ月後に児童の身体機能,ADLと,クライエントに定義した母親に理想的な成果が出た.

作業科学,カナダ作業遂行モデル,人間作業モデルを実践しているOTも少なかったし,成果も得られたので学会に発表しようと思った.それでtomoriくんに助けてもらって抄録を作成したのだけど,抄録作成の3ヶ月間がクライエントに関わった臨床の6ヶ月よりも濃厚だった.自分が感じたこと,考えたこと,伝えたこと,クライエントや周囲の反応,そしてまた感じたこと,考えたこと・・・と,振り返ること.



考えて,感じていたつもりだったけど,不十分だったこと気づいた.改めて客観的に考え,感じることができた.これは報告しようと思って行動しなければ,いつまでも得られない経験だと知った.自信と時間はなかったし,臨床力だって思い描くようにはなかったけど,事例報告を作成することは止められなくなっていた.他人の声に対して必要以上に敏感にならなくなった.

自信を持ってからやるものではなく,時間が余ってからやるものではなく,臨床力が高まったと感じてからやるものではない,と気がついた.作業療法士が自信を持って,時間を大事にして,臨床力を高めるために,事例報告を多くの人ができるようになった方がイイと思うようになった.そのために沖縄の作業行動研究会,作業科学研究会,作業療法教育法研究会の発起,運営に時間とエネルギーを費やした.この期間はいつも焦っていた.

それで,つむぎOTのharadaくんいきがいのまちOTの田村,田中さん,ちびっこOTさんに対して,研究会を運営すること,研修会を開催すること,事例報告をすることについて執念深く問いを投げてきた.彼らは意味と価値をわかっていたけど,そのための方法がよくわかっていなかった.ボクはわかっていなかったけど,だからこそ,何をするべきかと互いに問いを立ててきた.



侍OTとtomoriくんがめがねOTさんと一緒に事例本の企画を提案したきた時に,同じような道を歩んで臨床と教育と研究をしてきた人なんだとなと再確認した.何のために事例報告をするのか=Why,事例報告をした結果=Whatはわかっていたのに,事例報告をするための方法と効果=Howが曖昧だったってことに気がついた.思い描いていた社会貢献のためにできることは,コレだと思った.いま,事例本は順調に仕上がりへ向かっている.

今までの10年を振り返り,次の10年を考えて,自分のための日記.