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2013/08/27

第1回日本臨床作業療法学会学術集会の申込みスタート 

SNSで50万回以上共有され、6億ページビューを超えた,
ニューヨークにあるHOLSTEE社が掲げるマニフェスト.
シンプルなポスターがものすごく売れているらしい.






特に好きな部分は,

「新しいことや人々との出会いに,
心を,腕を,そしてハートを開きなさい」

「私たちは,それぞれの違いで結びついているのです.
周りの人たちに,何に情熱を傾けているのか聴きなさい.
そして,その人たちにあなたの夢も語りなさい」

「人生とは,あなたが出会う人々であり,
その人たちとあなたが作るもの.
だから待っていないで,作りなさい」






さて,第1回日本臨床作業療法学会 学術集会の参加申込みが始まりました.
演題募集要項も公開されました.→日本臨床作業療法学会
学会テーマをよく確認ください.

「今一度,作業療法の核を問う」

マニュフェストポスターで澤田学会長が強調している言葉は,
「臨床が変わらないと,何も変わらない」
私たちの意思と手で,私たちを創り上げましょう.


2013/08/22

タガハナ(誰がために花は咲く)

夏目漱石の草枕は読んでないけれど,冒頭の一説は気に入っている.

「智に働けば角が立つ.情に棹させば流される.意地を通せば窮屈だ.
とかくに人の世は住みにくい」

理屈で動けば,衝突する.感情で動けば,自分の考えを伝えることができない.
自分の意地を主張すると,動きにくい雰囲気になってしまう.という意味かな.
でもね,ぶつかり,流し,からむ人にも理由があるとは思うんだよな







ADOCで園芸がしたかったと話した特養ホームの入居者と,
面接の時に園芸が趣味だったと家族が教えてくれた入居者だけで,
5月にホーム庭園で植樹祭を開催した.

自宅で草木が生きているのであれば,家族に運んでもらった.
枯れていたなら,できるだけ一緒に園芸店で購入してもらった.
何を植えるかは,自分たちではなく入居者と家族に選択してもらった.

行事ではなく,個別支援が集まっただけという形式にこだわったので,
当日になって参加を希望する入居者がいても,頑なに断った.
それは私の自己満足ではないかと考えていた.



新しくやってきた,しかめっ面の彼は歩けるので歩く訓練を始めた.
彼が歩ける限りは,歩く訓練をすることになるだろう.
それは私の自己満足ではないかと考えていた.

寡黙な彼は歩きながら庭を眺め,興味のあることを目で語った.
歩行器のまま庭まで出て歩いた彼は,ゆっくりと視線を踊らせた.
この先につながる未来が見えなければ,私の自己満足ではないかと・・・

車いすに座った後,再びに庭へ出ようとする彼の側についた.
ホースを渡すと,黙って水を丁寧に花木や野菜に与え始めた.
車いすに乗って水を撒くことは,翌日から彼の習慣となった.






作業療法士として作業の個人的意味や次への展開をイメージできなければ,
私の自己満足ではないかと考えていた.
疑問や不安を抱きながらも,彼が選択したことに従うことにした.

彼と園芸の経験がある入居者と通所利用者が毎日,丁寧に水を撒いた.
3ヶ月が過ぎて,色も形も立派なゴーヤーやオクラの実が育った.
収穫に合わせて毎週のように料理をすることになった.

料理と会食はADOCで料理がしたかったと話した入居者と,
習慣的に園芸をしてきた入居者らと家族に限定した.
自ら動けない利用者を想い,私の自己満足ではないかと考えていた.







回復期リハでも,通所リハでも,OT養成校でも,通所介護でも,
前例から外れないことを,必要のないリスクを招かないことを,
効果よりも実績が残ることを,特別よりも平等な支援をやりなさいと言われて,
反発しながらも,私の自己満足ではないかと考えるように意識していた.



車いすや歩行器を歩きながら庭で収穫した島野菜を運び,
(生活)機能訓練ホールに並べたテーブルで彼女たちが野菜を切り刻んだ.
ムリに何かをやらせないで欲しいと,
ボクらの口や手を押さえていた彼女たちの手は,野菜がよく似合っていた.

その姿をじっと眺めていた寡黙な彼に,あなたのおかげですと伝えた瞬間,
顔をくしゃくしゃにして手をふるわせて,声を出さずに泣き始めた.
側にいた職員たちが一瞬驚き,涙ぐみ,笑い声がこぼれた.

過去から途切れないように,その手は明日からもホースを手にするだろう.
私が満足したことは,今日の彼や職員の涙や笑顔ではなく,
明日からの歩行訓練への意味づけと,花を育てる習慣を再び取り戻すこと.

ただ楽しいだけの園芸や料理だけでは咲かず,
ただ苦しいだけで動かなかったとしても咲くことがなかった花.
やっと私の自己満足ではなかったと思えた瞬間だった・・・はず.

これは同僚が6ヶ月かけて丁寧に育てた作業の物語.

2013/08/06

作業療法士による料理男子の作り方

お袋が不在の時に,
おれのメシはどうするんだ,と
うろたえる親父をみて,これはイカンと思った.

40歳までの5年間で料理が作れる男になろうと決め,
ずっと避けてきた料理に挑戦することにした.
できればやりたくないことだ,と思いながら始めた.

毎日作る必要のある息子の弁当.
初めて作ってみたら,意外と美味かった.
キャラ弁はいつか作るね,と息子には謝っておいた.




息子へ話した直後に,いつ作るんだ?と思った.
具体的に何ができるようになったら,
キャラ弁が作れるようになるんだろうと思った.

あれ?いつもボクは言ってきたじゃないか.
まず,やってみる.
やってみきゃ課題がわからないから,対策もできないよ,と.

子供が使うおもちゃの包丁で粘土を切る練習は,
まず初めにやることでも,何週間もやることではないと思った.
翌日,仮面ライダー・ウィザード弁当を作ってみた.




びっくりした.説明文があったとしても,何か分からない.
初めて使ったとはいえ,クックパッドを見ながら作ったので,
どうにかなると思っていた.

ひどく落ち込んだけど,これはチャンスだと思うことにした.
作業療法士らしく活動の分析をしてみようと決めた.
何十回もやってきたことじゃないか,と勇気を自己栽培しながら始めた.


対象物への直接的な扱いと道具の使い方に,ぎこちなさがあった.
しかし,これらの課題は料理に関する手と道具を使う機会を失わなければ,
効率的で効果的な動きを少しずつ習得することは可能なレベルと判断した.

技術の不足はアフォーダンスの優れた道具でフォローできると考えた.
しかし,原因は慣れない手指と体幹の使い方など技術的な問題だけではなく,
課題に取り組む最中でも次にやることを考えていたことも影響していたと思われた.

そのために集中力は分散し,目の前の課題への配慮は不十分になっていた.
また,使った後の道具の配置も効率性が考慮されておらず,
遂行している課題を妨げたり,余分な手順と注意を費やしていると考えた.


動作の拙劣さを補える判断力が,十分に働く準備が必要と考えた.
さらにクックパッドで事前情報を収集する時間が不十分であること,
情報を集めている最中も解釈を始めて最後まで読んでいないことに気がついた.

これらの影響によって本来やるべき手順や,次に準備することを怠ったり,
ショートカットしたことで生じた新たな課題に対応できず,
手と判断を中断せざるえない状況を招いていることも確認できた.

中断している状況そのものに混乱し,次にやるべき課題への配慮と準備が遅れ,
手の動きや道具からのフィードバックを効率的に拾えず,
動きや使い方など技術的な課題はさらに増悪する,という悪循環が生じたと判断した.


課題が分かれば対策は可能.
事前準備と道具でフォローできる課題はすぐに対応し,
経験を蓄積しなければ解決できない課題は,原因を分析するための情報収集を継続.

で,1週間後のトトロ





2週間後のアンパンマン




3週間後のトトロ





4週間後のウルトラマン&バルタン星人




5週間後のパンダ





人間の手と頭は,やっぱスゴいぞ.
まずは課題の発見をしてから,問題となっている動作への対策だな.
課題が分かれば対策は可能だと再確認.

ということで,まずやってみよう.
・・・何を?
それはADOCで確認できます.

ADOCによって人的環境からの期待,料理への価値観が明確になり.
課題へ継続して取り組むために必要な環境と意欲を沸き起こす鍵もわかります.
意欲と物理的・人的環境が改善される過程で.新たな解決方法も発見できます.

・・・ダラダラ長くなって不安だったけど,カッコよく結べたぁ 笑