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2013/08/22

タガハナ(誰がために花は咲く)

夏目漱石の草枕は読んでないけれど,冒頭の一説は気に入っている.

「智に働けば角が立つ.情に棹させば流される.意地を通せば窮屈だ.
とかくに人の世は住みにくい」

理屈で動けば,衝突する.感情で動けば,自分の考えを伝えることができない.
自分の意地を主張すると,動きにくい雰囲気になってしまう.という意味かな.
でもね,ぶつかり,流し,からむ人にも理由があるとは思うんだよな







ADOCで園芸がしたかったと話した特養ホームの入居者と,
面接の時に園芸が趣味だったと家族が教えてくれた入居者だけで,
5月にホーム庭園で植樹祭を開催した.

自宅で草木が生きているのであれば,家族に運んでもらった.
枯れていたなら,できるだけ一緒に園芸店で購入してもらった.
何を植えるかは,自分たちではなく入居者と家族に選択してもらった.

行事ではなく,個別支援が集まっただけという形式にこだわったので,
当日になって参加を希望する入居者がいても,頑なに断った.
それは私の自己満足ではないかと考えていた.



新しくやってきた,しかめっ面の彼は歩けるので歩く訓練を始めた.
彼が歩ける限りは,歩く訓練をすることになるだろう.
それは私の自己満足ではないかと考えていた.

寡黙な彼は歩きながら庭を眺め,興味のあることを目で語った.
歩行器のまま庭まで出て歩いた彼は,ゆっくりと視線を踊らせた.
この先につながる未来が見えなければ,私の自己満足ではないかと・・・

車いすに座った後,再びに庭へ出ようとする彼の側についた.
ホースを渡すと,黙って水を丁寧に花木や野菜に与え始めた.
車いすに乗って水を撒くことは,翌日から彼の習慣となった.






作業療法士として作業の個人的意味や次への展開をイメージできなければ,
私の自己満足ではないかと考えていた.
疑問や不安を抱きながらも,彼が選択したことに従うことにした.

彼と園芸の経験がある入居者と通所利用者が毎日,丁寧に水を撒いた.
3ヶ月が過ぎて,色も形も立派なゴーヤーやオクラの実が育った.
収穫に合わせて毎週のように料理をすることになった.

料理と会食はADOCで料理がしたかったと話した入居者と,
習慣的に園芸をしてきた入居者らと家族に限定した.
自ら動けない利用者を想い,私の自己満足ではないかと考えていた.







回復期リハでも,通所リハでも,OT養成校でも,通所介護でも,
前例から外れないことを,必要のないリスクを招かないことを,
効果よりも実績が残ることを,特別よりも平等な支援をやりなさいと言われて,
反発しながらも,私の自己満足ではないかと考えるように意識していた.



車いすや歩行器を歩きながら庭で収穫した島野菜を運び,
(生活)機能訓練ホールに並べたテーブルで彼女たちが野菜を切り刻んだ.
ムリに何かをやらせないで欲しいと,
ボクらの口や手を押さえていた彼女たちの手は,野菜がよく似合っていた.

その姿をじっと眺めていた寡黙な彼に,あなたのおかげですと伝えた瞬間,
顔をくしゃくしゃにして手をふるわせて,声を出さずに泣き始めた.
側にいた職員たちが一瞬驚き,涙ぐみ,笑い声がこぼれた.

過去から途切れないように,その手は明日からもホースを手にするだろう.
私が満足したことは,今日の彼や職員の涙や笑顔ではなく,
明日からの歩行訓練への意味づけと,花を育てる習慣を再び取り戻すこと.

ただ楽しいだけの園芸や料理だけでは咲かず,
ただ苦しいだけで動かなかったとしても咲くことがなかった花.
やっと私の自己満足ではなかったと思えた瞬間だった・・・はず.

これは同僚が6ヶ月かけて丁寧に育てた作業の物語.

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