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2011/07/30

PTみたいなOTか、OTみたいなPTか  Like OT or PT, OT or PT like

卒論を担当した3年目のOTさんと半年前くらいに話した。
PT学科に入学しようかと、少し迷っていると言う。
君が選んだのなら、それでいいんじゃないのとは言ったが、
どうしてそう思うんだと尋ねてみた。

勇気はいらない、飛ぶだけよ


PTに負けないくらいバリバリに機能評価と治療をして、
カンファレンスで協議できるくらいになりたい、と。
患者さんのためならいいんだけど、負けたくないが動機か。
それならボクはあまりおススメできないねぇ。

結局のところ、自分の不安を解消することが目的なら、
きっと君はPTになったところで同じように悩むことが、
今の時点で想像できるだろ。
すごい人がいるもんだ、次はあの資格を取得しようって。

努力が報われない気がして、自分が少しかわいそうよね。
自分の強みを活かして、弱みは他の人の強みを借りる、
って考えることもできると思うし、
OTでもすごい機能評価や治療を勉強もできるよね。

信頼できるPTさんがいるから自分は自分の強みに専念できる、
そう考えることもできるよね。
担当患者さんにとって、作業療法士は君しかいないのだから。
OTの強みを活かして、やりたいことができるように。

この先にあることを言えるのかな

もちろん、患者さんの話は引き出しましたが、
実現する方法はわかりませんでしたっていうのは良くなくて、
機能回復する可能性があるならバリバリに訓練もしないとね。
プロを名乗るなら、効果があるという根拠が必要不可欠だけど。

君のところは医師も一緒にCI療法にも熱心に取り組んでいるよね。
CI療法の結果、上肢機能に改善がみられると期待できるなら、
PTさんと一緒に取り組んで、その上肢機能をどんな生活のために、
どのように使うのかとOTの強みを活かして支援してもいいと思う。

機能回復のためのCI療法ならPTの仕事では?

彼はいま元気かな。
何かできるかもしれないと、感じるようになったかな。

CI療法って何? ー脳卒中の機能訓練と患者教育 ー


輝きたいように輝けばいい

PTみたいなOTか、OTみたいなPTかって?
どっちでもいいよ、自分とクライエントが報われるなら。

ボクはOTが好きだから、
ボクに相談をする人がいれば、OTの魅力と可能性について話すよ。

2011/07/22

追究すること  To pursue

回復期リハ病棟にいた頃、看護師に言われた言葉を、
ずっと覚えている。覚えているし、何度も思い出している。
「1人の患者の話を聴く事を30分保証されているリハ職員は、
羨ましい。だって、私たちはそのために看護師になったんだから」


みんな、同じ方向を向いている

3年前、担任をしていた県外の実習生から連絡があった。
「事例を担当させてもらえず、研究をさせられている。
研究ではなくて、事例を担当して、事例報告がしたい」
実習を辞めたいとまでいう。待てよ、それは同じことだと説いた。


たとえば、
事例を担当して、望みたいことがわかったとする。
それをどのように実現するのかを考えた時、
急に湧いてきたアイデアだけで支援をするのは不十分。

極端な話、
いつも表情が暗く寡黙な高齢者が、よく笑いしゃべり出したとする。
それは良いことだと思って、同じように続いて欲しいと考えたとする。

その時、なんでこの日は変化があったんだろうって考えるよね。
あ、今日はチョコレートを食べた、
きっとこれはチョコレートの効果に違いない、もう間違いない、
チョコレート療法だ、明日もチョコレートを食べてもらおう、
もし変化がなくてもいつか効果がきっと現れるはずだ、
だってもう1人同じような人がいたんだもの

と、現象を解釈することも可能でしょ。
これは分析でもなんでもないと思うかもしれないよね。
それじゃあ、どうしたらいいわけよって思うでしょ。
チョコレートを食べた時と食べなかった時を比べたらいいよね。
もちろん、この人だけの結果だけじゃ不十分だし、
他にこの日はどんなことがあったか調べてないといけないよね。


何が正しいか見極めようとする姿勢が正しい

研究とは手段だと思ってみてはどうかな。
目の前の方にとって必要なことを支援をしたいと思うなら、
それを偶然や説明できない個人技ではなくて、
患者さんに関わる人が誰でも確実な方法で支援できた方がいいでしょ。
そのための手段と考えることは可能さね。
研究、臨床と分けることが間違えている。
みんな、同じことをやろうとしていて、
手段が違うだけなんだよね。良い、優れている、正しいは、ない。

研究っていうのは臨床経験年数に関わらずにずっと必要なことで、
それを止めたらさっきのチョコレート療法みたいになるよ。
そうなっても自分では気がつかないからね。こわいでしょ。
よく晴れていたから快晴療法だ、とか言いかねないさね。
支援が趣味ならいいんだけど、お金をもらっているからねぇ。
いずれ身につけないといけないことを体験しているわけだから、
むしろ幸運だと思う事もできるんじゃないか。


それで、どんな研究をしているの。

「認知症高齢者を集めて、かなひろいテストをして、
その集団に通所利用日は1日中、漢字の書き取りや朗読をさせて、
1ヶ月後に再びかなひろいテストをして作業療法の効果を判定する」

・・・・・・・・・・・そうかぁ


もうひとつだけ助言するよ。
研究というスタイルそのものが、難しくて立派というわけではない。
これが社会の悩み苦しむ人々にとって何の役に立つのか、
疑問に思う研究も世の中にはある。いずれわかると思う。
それはやっているうちに気がつかなくなることもあるらしいが、
気づくにはやってみるしかないんだよ、たぶん。
だから、そういう意味でも勉強ができてラッキーと思えばいいさ。


走るな、でも、止まるな。


「ふぅ〜先生みたいに何も悩まない人間になれたらいいですよね」

あららら。

2011/07/10

支援する評価法  Supported evaluation method

ブログを印刷して部署内で読み回してます、
PTの上司から読むようにと言われました、
印刷して実習前の学生に配布しています・・・

読んでいる人はあまりいないハズなんだけど。
人格が疑われるようなことはもう書けないなぁ。
すでに、ツーアウト。


あの人にホットライン


もっとも人気があったのは、10年おでん


これは、ほんとに、嬉しい。
ボクの介入ではないから。

作業療法理論マニアで、愛はあるか!と争ってばかりで、
臨床10年ちょっとの経験がある、ボクの実践ではない。
同僚がはじめてADOCを使った時の、介入経験になる。
いい介入だよね、と同業者から高く評価されたら、
ちょっと自信を持ってもいいと思う。
やっぱりなぁ、みたいな自信。

ボクは漫画を読むように文献や論文をむさぼり読んで、
古くて強い体制に反抗しながら積み上げた経験で、
これがボク流だと言えるくらいの自信を育んだわけだが、
ADOCがあれば、そんなに無理しなくてもいいかもしれない。
その実例なんじゃないか、と思う。


あ、これ昔やっていたんだよね

研修や学会に参加しない人は自己研鑽していない、とか
クライエント中心の臨床をやっていない人がいる、とか
言う人がいる。かつて、ボクもそう言い放った頃があった。

研修や学会に参加できない理由がある人は、
自分にがっかりする必要はないと思う。
参加を遮っている理由が解消するか軽減したら、
新人の頃みたいに勉強する、実践できるんだって
自分が思っているハズで、ボクもそう思う。

職場の体制や雰囲気に抵抗できなくて、悩んでいる人も同じ。
強靭な精神力、完璧な知識、高等なコミュニケーション技術が、
必要だけど自分にはないと思い込んで、落ち込んでいる人もいる。
でも、できるハズだと思っているハズで、ボクもそう思う。


誰よりも自分が見ようとしている自分

そういう人たち全員に対して、
まずADOCを使ってみてよ、
自分が思い描くような仕事ができるかもよ
と、つぶやきながら熱く優しく抱きしめたいね。

できれば、女性がいいなぁ
・・・スリーアウト!

2011/07/08

ADOC、登場。  ADOC debuts.

2011年7月8日、
ADOC、社会に登場。




この日はゴール記念日ではなく、
スタートの記念日になるだろう。





誰でも簡単に。
クライエントと対等に。
特別な物語を共有し、
選択を決定できる支援のために。

2011/07/04

娘の選択  The daughter's selection

左目のことで嫌なことを言われるのは辛い。
でも形成手術は怖いからイヤだ。
と、6歳の娘がいう。

彼女の心の痛みは、彼女だけが知っている。

お医者さんから納得できるまで話を聴いて、
手術の方法と危険なこと(リスク)を一緒に確認しよう。
その上で選択すればいい。

辛さと怖さを天秤にかけて、
選びたい方を決めたらいいさ。

お医者さんの意見もあるだろうから、
手術ができるとも限らない。
危険なこと、手術をしない方がいい理由、
納得できるまで聴いた上で一緒に決めよう。


難しい選択であっても、
自分の人生に影響を与える選択には、責任を持った方がいい。
選択する機会を奪わないことは、ボクにもできる。

ふさわしい選択までの過程を共有しよう。




勝手に座ろうとするユウウツに、4往復ビンタ

2011/07/01

結びを育む花  Flower that raises relation

ブログいつも読んでます、留年した人ですよね、
と声をかけて頂きました。
あぎじゃびよぉ・・・えぇ、私です。


とりあえず歩行訓練をちゃんとしてください、と
スタッフに指示されました。
それは何故ですか、と私は尋ねました。
入居者が希望しているから、と返ってきました。

あなた達が私に期待していることは何でしょうか、と
本人と家族に尋ねました。
歩行訓練をして欲しい、と返ってきました。


完全に1人で、転倒の危険なく安全に、昼夜を問わずにいつでも、
歩けるようになる事は難しいと私(OT)は考えています。
車いすで移動する方が安全で楽で確実だと思いますし、
そうやって車いすで移動しても、できるようになりたいことは、
できるかもしれないと私は思っています。

さて、できるようになりたいことは何でしょうか。
特にないから、とにかく歩く練習をして欲しい、と返ってきました。


私は、例の評価ツールを使うことにしました。
私はiPadを彼女に向けて画面を見せながら、
ここに描かれた何かすることが描かれたイラストの中で、
あなたがやりたいこと、できるようになりたいこと、うまくやりたいこと、
期待されていることがあれば教えてください、と伝えました。


数日後、特養ホームの初回カンファレンスに本人と家族が同席しました。
他に介護士、ケアマネージャー、相談員、看護師、栄養士が参加しました。
彼女が歩行訓練を強く希望していることは、参加者全員が知っていました。
私はまず、全員がいる前で彼女と家族の要望を確認しました。
何もやることがない、とにかく歩行訓練がしたい、と彼女は伝えました。

私は例の評価ツールから印刷した紙を取り出して、
参加者全員が見えるように机の上に置きました。


ADOC

あなたは、歩けるようになりたい、トイレができるようになりたい、
車いすの乗り移りができるようになりたい、と教えてくれました。

自宅ではとても難しかったのに、今は少しできるようになっています。
これはリハビリを頑張ったからというよりも、
介護士があなたの能力を最大限に生かした生活支援をしているからです。
オムツは使わずにトイレに誘導してくれるので、
1日に何度も起きて、乗り移って、立ち上がって、立つことを保ち、
ということを繰り返してきたからです。

この生活を続けることが、あなたの望みを叶える手助けになるでしょう。
歩行訓練よりも効果的で、効率的な身体の訓練になっています。
それでも平行棒歩行や歩行器歩行を強く望むなら、提供します。
でも目標は、はっきりさせましょう。
歩くことは目標ではなく、手段です。


あなたは、ランの花を育てることが大切だと教えてくれました。
工夫と練習をすることによって、それはあなたにできることだと思います。
ご家族が自宅にあるランの植木を持ってくるというのはどうでしょうか。

その植木をあなたが自分の責任で、自分の身体と経験を使って育ててください。
ランの植木を育てることは、あなたにとって趣味であり、
今のあなたと自宅にいた頃のあなたを結びつけることであり、
身体と頭と心をあなたが思うように使うことを、手助けすると思います。


そしてあなたはもうひとつ、できるようになりたいことを選びました。
家族とのつながり、結びつきです。

家族と一緒に育てることもいいと思います。
花が咲いた時に、離れて暮らす手渡したい家族に贈るのもいいと思います。
それは花を育てながら、あなたが自分で考えて決めてください。
あなたが選んだ選択が、あなたにとって一番いい選択だと思います。


歩行訓練はその目標を実現すること、継続するための手段として、
これからも続けていきましょう。
車いすに乗ったり、移動したり、遠くに手を伸ばすために必要な、
身体の能力を維持させる働きがあるかもしれません。


植木を置く場所や、水をあげる道具、水を入れる場所、
それに伴う移動については、介護士や家族の方と相談して決めましょうよ。

最終的には、ランの花に水をあげるなどの世話を1人で、
やりたいと思う時に、やりたいと思うような方法で、
できるようにしましょう。一緒に、できる方法を考えましょう。
ランの花を育てることに関してはあなたが詳しいので、一緒に考えましょう。


届きました。

ここは確かに施設ですが、
あなたが暮らしてきた自宅と同じような場所だと思ってください。

やり方は違っても、あなたがやりたいと思うことができる場所です。
自宅と同じようものだと思って、思い描くように暮らしてください。

今ここにいる全員が、それを望んでいます。
それがあなたのリ・ハビリテーションです。