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2018/01/06

「より満足したい個人,もっと前進したい国家」

沖縄フォーラム2017「沖縄の未来をデザインする」に,さっきまで参加していた.
以前から興味はあったけど,OTの友人たちに誘われて,やっと初参加.

経済産業省の若手官僚30人で構成されたプロジェクト
「不安な個人、 立ちすくむ国家」の中心メンバーである藤岡さんによるセッションと,
沖縄で社会課題や観光業発展などで躍動されている経営者も登壇してのシンポジウムだった.

ジョン・F・ケネディが大統領就任挨拶で放った言葉を思い出した.
「国があなたのために何をしてくれるのかを問うのではなく,
 あなたが国のために何を成すことができるのかを問うて欲しい」

もし,国家が崩壊したとしても,同じ役割を担う組織が再構築されると思う.
国というのはあくまでも虚像で,異なる利害を調整し,
社会の秩序と安定を維持していくことを目的に存在してる.

だから国に依存して与えてもらうことを期待するのではなく,
個人と集合体のために意欲と能力を発揮しよう.国はあくまでサポート役に過ぎない.
これは団体,会社というコミュニティにも通じる,と解釈した.



色々な批判もあるらしいけど,タイトルを変えればいいのにと思う.
「不安な個人,立ちすくむ国家」ではなく,
「より満足したい個人,もっと前進したい国家」が内容的に適している.

不安は探せばキリがなく,多種多様なので国が解決できない原因や背景もある.
不安がないことではなく,より満足していることが目標だと思う.
若者,高齢者,障害者,非正規社員,母子家庭者という枠で縛らない.

自分の潜在的な能力を活用できる機会を創ることが目的で,
手段として人,制度などの環境をコントロールできること.
具体的な行動が仕事,趣味,育児,生活と呼ばれていること.

作業療法を提供する時に,いつも考えていることだった.またOTの話か.
でも視点が狭いというよりは,使いやすいレンズを選択しているだけのこと.
流れを本題に戻そう.えいっ.

能力を活かせていると感じることができれば,満足できる.
それを支援できていると判断できれば,前進していると感じる.
これは団体,会社,それに家庭というコミュニティにも通じる,と解釈した.

だからタイトルは,キャッチーではないけれど伝えたいことの本質である,
「より満足したい個人,もっと前進したい国家」
だったらいいのに,という感想メモ.

明日,子供の部活当番でなければワークショップにも参加したかったなぁ.
ただ,明日の役割も父親として潜在的に望んでいる仕事なので,
より能力を活かして満足したい子供たちと自分たちのために楽しんでくる.

企画,運営のみなさま,そして誘ってくれた友人たち,
考える機会を頂き,ありがとうございます.

この一年くらい考え続けてきた疑問の答えが,見つかりそうな気がする.

参考 → 「不安な個人、 立ちすくむ国家」

#沖縄フォーラム2017