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2016/07/13

高齢期作業療法を考える会 in 浜松

先日,静岡県浜松市で高齢者作業療法を考える会の研修会で,
介護保険施設における作業療法実践について臨床家として話す機会を頂いた.
会場入り口で参加者らしき方に何処からと尋ねられ,
沖縄ですと答えたら意欲的ですねと褒められた.嬉しかった.






前日,高次脳機能障害者の就労支援NPO法人えんしゅうnet
ピアサポート事業としてのナイトサロンに見学者として参加させていただいた.
報告書や議事録では読み取れない現実の厳しさと希望があった.
事業を継続するために成果を追求し続ける姿勢には,
臨床家としての情熱と運営者としての責任感があった.

さて,当日はえんしゅうnet.の理事であり,
研究会の世話人でもある鈴木達也さんの挨拶からはじまった.
まず京都大学の小川真寛先生は認知症高齢者の作業療法について講話.
認知症をもつ人の行動背景と潜在ニーズについて,
作業療法理論とパーソンドセンターケアの視点から解説.
Graffらの研究もわかりやく紹介し,
支援戦略について新たな道を示した.

神奈川県立保健福祉大学の小河原格也先生は老健の作業療法がテーマ.
施設入所の長期化による役割や存在価値の喪失感が問題と熱弁.
臨床時代の経験として,作業活動を手段とした地域参加を紹介.
利用者の主体性と社会貢献を主軸に,集団力動とマスメディアを活用.
重要なことは活動の形態ではなく,意味であることを強調した.



同じく神奈川県立保健福祉大学の長山洋史先生が医療経済と実践についてプレゼン.
俯瞰的な鳥の目,注意深い虫の目,未来を読む魚の目で臨床を考えようと提案.
費用効果は施設ではなく,利用者,家族,職員そして国民のためにあると断言.
高齢化率を考慮した上で,効果と費用のバランスへの課題について,
社会存続を実現するために資源を効率的に活用して解決しようと説いた.

一歩踏み込んで,世界的にみて作業療法は費用効果的かと問いを投げ,
システマティックレビューの紹介,メタアナリシス概要と領域ごとに成果紹介.
そして長山先生の研究,意味のある作業の支援と健康に関する老健RCT.

老健入所高齢者は
ADOCを用いたOBPによって
通常の作業療法と比較して
ADLやQOLなどに効果があるか,
費用効果的であるか

結果と解釈は長山先生に問い合わせるか論文の精読に委ねるとして,
研究命題と手法から日本国民の未来に挑む覚悟を感じた.
研究者は臨床家よりも臨床家だと,あらためて確認した.



研究者は社会的な責任よりも知的好奇心に突き動かされる.
この個人的なイメージは5年で変わった.
関わってきた研究者たちの影響だろう.

知識の生産,蓄積,活用を,
自分と研究者共同体の内部だけで自己完結して満足する人もいるだろう.
しかし作業療法という領域においては,他を知らないので想像だが,
研究活動の成果の恩恵を受ける人々の存在ありきだと思う人が多い.

わかりたい,おもしろいという欲求を持つ人だけではなく,
資金提供者への義務達成としての道義的責任もあるだろうが,
社会的に良い影響を与える使命が動機にある人たちが目立つ.

作業療法の効果をさまざまな視点から妥当となる真実を追求し,
作業療法士が自信をもって確実な治療,支援を提供し,
患者や利用者および関係者が利益を得るべきという使命.



高齢者の障害内容および生活環境と歴史に多様性があるため,
支援によって生じた差よりも個人差が大きいことが
作業療法の効果判断を難しくしているかもしれない.

不確実性があるなかで研究者は成果を期待され,
一人歩きした仮説の後片付けをさせられている.
いま求められるのは臨床家の理解と行動力である.

臨床家一人ひとりが研究の情報を吟味して判断する能力,
いわゆる研究リテラシーに関心を抱くことで,
個人レベルの臨床力から政策レベルの意志や意見まで,
意思決定の質を高めるべきであろう.

研究者によってもたらされた恩恵を受けている臨床家は,
研究者を尊敬し,共に未来を創る責任を分担することは
義務といってもいい.
それは研究者の専門知識を得るということだけではなく,
協力者を求めていると知った時は積極的に手を挙げよう.


臨床家に研究者と社会が何をもたしてくれるか期待するならば,
臨床家は研究者と社会に何をもたらすことができるか考えよう.

私たちは役割が異なれど作業療法士であり,
国民の健康に貢献する医療福祉従事者であり,
唯一無二の子供でもあり,親なのだ.

しあわせに近づくための義務と責任があることを喜びに思う.



僕が一番欲しかったもの