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2013/07/27

批判はちゃんと聴かない

利用者の病院受診に付き添って待合室にいる時,壁に掲示された「うつ病チェックリスト」を見た.やべぇー,ほとんど当てハマるよと思ったけど,「自分という人間に価値はないと思うことがある」という項目で,ボクは完全に大丈夫だなと思ったよ.10人中9人からお前に価値はないと言われても,残りの1人と抱き合って「価値あるさね」と言うね.






あなたは間違えている,と
面と向かって言う人たちがいる.
その人たちの話は,まともに聴かないようにしている.

目を見ながら心がえぐられる言葉を投げてくる人は,
お前のためでもあるし,みんなのためだと言う.
騙されないでね.反撃されないように先手を打っているだけだよ.

本当にボクらのためを思って注意や助言をする人は,
批判と同じくらいか,それよりもずっと多くの,
褒める言葉や勇気が湧いてくる言葉を与えるでしょ.


批判だけする人の話を真剣に,聴く必要はない.


聞き流しておこうと思うのは,
「あなたはいつも」と「あなたのことをみんなが」
というフレーズが出てきた瞬間.

「この件について,あなたは間違えていると,私は思う」
と言ってきた場合は,よく耳をすませて聴くことにしている.
少しの違いのようだけど,大事な違いだとボクは思う.

「いつも」は,これまで全てのことをイメージさせるし,
「みんな」は.1人も賛同者がいないことをイメージさせる.
「いつも」と「みんな」が出てきたら,心のダメージがデカい.


傷ついたら反射的に猛反撃したくなるけど,戦争ごっこには付き合わない.


相手を傷つけないように,意見を伝えた後で行動が変化できるように,
表現に配慮することを放棄したら,
ボクらは彼らと同じ過ちを選択したことになって,いずれ後悔する.

「目には,目を」では世界が盲目になるだけだ,
と言ったのはマハトマ・ガンジーだけど,
あれは名言だよ.相手の目を潰さないで自分の耳を塞げばいいんだよ.

そう言った途端に,批判から逃げ回っていたら成長できないじゃないか,
批判にこそ広くて深い視点を学ぶことがあるじゃない,
と言われるし,自分でも思うよ.でもさ,ほんとうにそうか?


山田ズーニーさんのコラム,大人の小論文教室から→優しの芽生え


かつてボクらを成長させ,視点を広げてくれたのは,
優しさに欠けた批判ではなかったハズ.
批判は苦しみを大きく残してゆき,賞賛は自己反省の機会も与えていった.

ボクらのことを真剣に想っていない人のために,
ボクらが真剣に思い悩むことがムダな時間とエネルギーだと思うんだよね.
間違い探しよりも,ボクらは互いに価値あること探しをしよう.






毎日は感動的なことでいっぱいなんだから.
あなたは,いつも私が好きな仕事をしている,
みんなも好きと言っているよ,と互いに伝えよう.


2013/07/26

機能訓練加算と作業療法 2

わからない人は作業療法は楽しいと話し,
わかる人は作業療法は難しいと話すけど,
よくわかる人はやっぱり楽しいと話すよ.

よくわかる人,とは読んだ本の数が多い人のことではなくて,
一生忘れられない支援をした対象者の数が多い人のことです.
難しさを知った上で,挑んで成果を出して,わかった人です.

今日も和歌山の回復期リハ病棟で働く友人から嬉しい報告があった.
それはムリだと,本人,家族,職員に言われながらも,
ADOCに基づいて,家族のためにカレーを作る自分を取り戻す挑戦を支援したという.






県社会福祉協議会からリハ専門職を対象にした研修会を依頼された時,
伝える内容に間違いがあってはいけないと思って,
監査や指導を担当している市役所と保健所に確認をした.


保健所編

Q.通所介護と特養ホームにおける機能訓練加算は,
歩行訓練,立位保持訓練,関節可動域訓練などの機能訓練でなければ,
請求できないのでしょうか?

A.そんなわけないでしょ.
通所介護,特養ホームに限っていえば,Ns,PT,OT,ST,マッサージ師等の
誰でもいいわけですよ.現在の介護保険制度だとね.

その施設にOTとかSTやNs,マッサージ師しかいない場合もあるわけで,
まさかNsやマッサージ師に歩行訓練をしなさいとは言わないでしょ.
OTは活動,STは嚥下訓練などを通して機能訓練をするに決まっているでしょう.

Q.でも,多くの施設や職員はリハビリ=歩行訓練,関節可動域訓練と思っていますよ

A.介護保険白書などをちゃんと調べて読んでいない一部の人だけじゃないの.

Q.いやいや,そんなことないですよ笑.ちゃんと指導した方がいいですよ.

A.そうなの?じゃあ,研修会でしっかりあなたが伝えておいてくださいよ.






市役所編

Q.通所介護と特養ホームにおける機能訓練加算は,
歩行訓練,立位保持訓練,関節可動域訓練などの機能訓練でなければ,
請求できないのでしょうか?
デイサービスで担当50名,特養で100名となると現実的にムリなんですけど.

A.あのね,私たちはずっと以前から指導しているんですよ.
平行棒の中で3mしか歩けなかった人が,5m歩けたから何なんですかって,ね.
歩いて園芸ができるとか,買い物に行けるとか,料理ができる,とか,
そういうことを計画書の支援目標に書きなさいって言ってきたんですよ.

歩行訓練が良いか正しいかとかじゃなくて,
目的がやりたいことにつながる,現実的に到達可能なら歩行訓練でも算定可,
筋力維持とかADL維持が目的の歩行訓練なら算定不可とまでは言わないけど,
何のために歩行訓練しているのかを本人からちゃんと聴きなさいってね.

計画書をちゃんと作っていれば生活介護や行事を通して加算は請求できるでしょ.
園芸や料理や手工芸をやってもらって機能訓練加算を算定可能かと言えばね.
それが生きがい作りとか,趣味作りなら算定不可と判断することもあるわ.


Q.あー,趣味とか生きがいって他人が何をやらせて与えるものじゃないですよね.
計画書の目標に本人がやりたいと訴えたことを入れなさいってこですね.
ここにあるADOCのように,ですね.

A.そうよ.老健やデイケアならもっと明確に到達時期を入れなければいけないし,
それを実現するための機能訓練も実現可能なら組み込んだ方がいいわね.
でも,特養やデイサービスは生活を支援する場所でしょ.

目標が明確なら,実際にそれができるように支援したり,
それが継続してできるような支援だって機能訓練加算を請求することは可能ね.
それはちゃんと介護保険白書などに書いてあることでしょ.

Q.このADOC評価表を機能訓練計画書にしても問題はないのですね?

A.いいと思う.でも,モメるでしょうね.
今までのやり方を否定するんですかって言う人がいるだろうし,
逆にこの計画書を書いた人に任せますって丸投げする人もいるでしょうね.

Q.ええ,そうですね.でも,やらなければいけないでしょう.
いつか,誰かが,このような形で価値観の変換を促さなければ,
いつまでも何も変わらないと思いますよ.






A.そうなのかもしれないね.じゃ,がんばって.

Q.やるなと言われてもボクはやりますよ.
やらなきゃ課題もわからないし,課題がわからないと対策もできないので.
・・・あのぅ,でも何かあったら相談に乗ってくださいね.

2013/07/11

ADOCと認知症高齢者

ADOCプロジェクトに関連するデータを集めてもらう時,
「集めてもらうのは数値ではなく,将来の希望です.
経験,勘や一般論に頼らず,目の前にいる事例に貢献するためです」と伝えています.




量的研究が「大丈夫だ,このまま進め」と背中を押す人,
事例報告が「おーい,ここに進むんだよ」と先導する人,
というイメージをボクは抱いています.

認知症高齢者にADOCを利用することは可能ですか?
よく質問されることです.
認知症の程度がわからないと答えにくいことでした.

この質問の背景には,認知症高齢者でも意思を尊重したい,
という願いがあるように感じていました.
おそらく,臨床経験の勘から可能だと思っているのでしょう.



意思の引き出しと尊重が上手く展開できる場合もあれば,
互いに混乱のままで終わってしまうこともあったのでしょう.
ボクは齋藤さんが心を込めて書いた論文を紹介しています.


機関誌に掲載されなかった論文に書けなかったオススメポイント!


なるほど,こうやればいいんだ,できるかもしれない,
と「感じて」行動を促すことが紹介の目的です.
まずやってみて,課題がわかれば対策すれば良いと思うのです.

でも,その事例がたまたま上手くいっただけじゃないか,とか
それは齋藤さんの面接技術があったから可能だったんじゃないか,
という意見を抱いている人もいるだろうなと思っていました.

先日,大阪で開催された日本OT学会にtomoriくんが報告した研究結果は,
ADOCで意思決定を支援できるクライエントはMMSE8点がボーダーライン,
というものでした.


第47回OT学会発表 その2


ボクは主にMMSE0点から15点だったクライエントからデータを集めました.
MMSE5点の方でも正しく意思を表出できたと判断できたことがありましたし,
MMSE10点の方でも記憶が混乱していると思われることがありました.

あくまで概ね8点というこですが,この成果の価値は大きいと思いました.
「認知症だからね」という言葉は,今までは免罪符でした.
認知症高齢者が意思決定に参加できない機会を,自分に許してきました.

MMSE8点だった方の臨床症状は,中程度よりは重症に近いです.
それでも目標設定に参加することは可能だと証明されたのです.
できると「信じて」,面接をやってみて欲しいのです.




じつはボクもデータを集める過程で反省と発見がありました.
意思決定への参加は難しいと予測して面接をしていなかった方に,
調査の動機で面接をところ,間違いに気がつきました.

無口であっても,行動に落ちつきがなくても,食事に介助が必要でも,
人生を振り返って大事だったことを思い出して,
言葉に換えることが可能な人は予想上に存在していました.

作業をすることも語ることもできる存在だったのに,
ボクが見落としていたんだと,はっきりわかりました.
自分に対する失望が襲ってきましたが,しばらくして希望もやってきました.


次に出逢う人に,話を聴こうとするボクが見えました.


集めていたのは数値でなくて,
いま関わっている人たち,これから出逢う人たちと,
共に人生を再構築することが当たり前の将来でした.




共に人生を構築できればイイ,と思っているだけです.

2013/07/06

第47回日本作業療法学会in大阪

深夜2時半に侍OTさんめがねOTさんたちとラーメン屋へ寄って,
つけ麺に顔を突っ込んだまま爆睡したらしい.
覚えてないけど,いい夢を見たんだろうねぇ.


COPM,AMPS,OSA-Ⅱを使った事例報告を何年もしたけど,
学会ポスターの前に集まる人は多くなかった.
寂しいような,無力感が残る経験だったことを覚えている.

振り返れば,「おれはやったぜ」感があったかもしれない.
承認されて誇りを確認する,という意識が少しはあったと思う.
貢献というよりは自己主張がやや上回っていたかもしれない.

それでウケが悪かったかもしれない.でもそれだけじゃないとも思う.

2010年の仙台学会から始まったADOCプレゼンは,
埼玉,宮崎と続いて今回の大阪で4回目になるけど,
毎回のように多くの人がポスター前に並んでくださる.

ボクらはADOCが誕生する前から同じことを伝えていると思う.
「お喋りじゃなくて面接をして欲しいんですよ」とか,
「まずやってみなくちゃ,課題もわかんないよね」みたいな.

ADOCがこんなにも評価をされているのは,
「自分にもできそうだから,やってみようかな」と,
聴き手が感じるからなのかなと思うことがある.

ADOCに携わるようになって,プレゼンの目的と意味が変わったのは事実.

新しいことを教えよう,とか,成果を見てくれ,とかいうよりは,
「迷ったり,悩んでいるんですね.ボクらにできることが少しあるかもよ」
という伝え方に変わったのは,方法じゃなくて意味じゃないかと思う.

伝わることによって,受け手がどう変わるかが大事と思うようになった.
そのために,メッセージの受け手が何を求めているか知ろうと努め始めた.
ADOCプロジェクトが始まってから,プレゼンの勉強も真剣に始めた.

何を伝えるかが一番大切だけど,
まずはポスターの前に立ってもらわなくちゃ,伝えることもできない.
それで,こんなポスターになっちゃった↓




批判される可能性も覚悟の上で,記述したのは言葉だけ.


「歩行訓練だけしてください」,「・・作業療法士の仕事がしたい」
「本当はずっと園芸がしたかった」,「昔の母に戻ったみたいです」
「他の利用者にもこんな支援をしようよ」,「これが作業療法です」


このポスターの作り方はこちら→tomori kounosukeつぶやく

伝えることの目的が受け手の行動変容だと考えるようになってから,
自分よりもチームメイトのプレゼンの評価が気になるようになった.
なぜなら,彼女たち彼たちがボクらのプレゼンの目的を満たしていた.

変えたいと思っていた自分へと,自分で自分を変えた人たちだった.
誰ひとりとして,簡単に楽に変わることができた人はいなかった.
あきらめずに少しずつ進み続けた人たちだった.

そんな彼女たち彼たちのプレゼンを聴いて,
泣いている人や「自分も変わっていいんですね」,「変われそうです」
っていう言葉を届けているのを目の当たりにして,泣きそうだった.

自分のプレゼンの評価より,ずっと嬉しかった.

個人的に,そして周囲の人々にとっても,
意味と目的のある特別な何かすることに参加できていると感じていたから,
これは自分自身への作業療法だね.




ありがとうよ,愛している