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2012/10/18

なんくるなるさ

優しい人になりたい.
頭良い人になりたい.
心強い人になりたい.


いつかなれるよ.
きっとなれるよ.
泣いても笑っても,なれるよ.





ケ・セラ・セラ

私がまだ小さい少女だった頃ね
私,お母さんに聴いたの
私,どうなるのかなって

可愛くなるかな?
お金持ちになれるかな?って

お母さん,こう言ったのよ

ありのままでいいのよ
すべてなるようになるのだから
将来なんてね,誰にもわからないのよ

ありのままでいいのよ
すべて,なるようになるのだから

僕がまだ小さい男の子だった頃にさ
僕,お母さんに聴いたんだ
僕,どうなるんだろうって

カッコよくなる?
お金持ちかな?って

お母さん,こう言ったんだよ

ありのままでいいのよ
すべてなるようになるのだから
将来なんてね,誰にもわからないのよ


ありのままで生きなさい







ありのままでいいのよ
すべてなるようになるのだから

2012/10/15

ゴールデン・ディナー

アンチ・エイジングとは加齢への抵抗.
ゴールデン・エイジとは古き良き時代.
ゴールデン・エイジングという言葉があってもいいよね.



回復期リハ病棟に6ヶ月入院後,通所を利用して1ヶ月が経過していた.
彼は胃瘻から栄養剤を摂取し,ADLは全介助で要介護5だった.
言葉を聞いたことがなかったので,話せないだろうと思っていた.

ADOCを使って作業療法の目標を一緒に決めることにした.

食事のイラストを指差して,「食べれるようになりたい」と彼は話した.
「毎食,口から食べれなくもいい.
夕ご飯の時だけは,家族と同じご飯が食べたいんだ」と泣きながら話した.









泣き終わるのを待って,作業療法士としての意見を伝えた.
事前にカルテを読みました.医師はムリだと書いてありました.
その根拠は,病院のリハスタッフの評価でした.

でも詳しく書いてありませんでした.
楽しみ程度の少しの食べ物もあげてはいけせん,と書かれていました.
検査の時に,どれくらいムセましたか?

「はじめに少しムセたかもしれない.口に水を入れたのは1回だけだった.
ボクはね,納得していない.7ヶ月前からずっと納得していない.
お腹に管を入れたことは,理解できないとずっと思っていた」

話しながら滑舌と会話内容を観察していますが,唾液を飲み込みましたね.
飲み込みが可能か判断するために水飲みテストを,今すぐ実施しましょう.
課題があれば,どこに,どんな課題が,どれほどあるか意見を伝えます.
家族と夕ご飯が食べれることを目標にするか,その時に一緒に判断します.



・・・問題ありませんでしたね.それではリハ目標にしましょう.
いま,看護師と相談員と介護士に立ち会ってもらいましたので,
これからリハビリテーションの目標にすることを説明して,同意を得ました.
しばらくは嚥下評価としてゼリーを食べることから始めましょう.

1ヶ月後に再評価をして,問題がなければ普通食に移行しましょう.
ただし,医師とケアマネと家族の同意を得る必要があります.
私たちからも依頼しますが,あなたも彼らに意思を伝えてください.
専門職と家族の同意をどうやれば得れるのか,一緒に考えましょう.



1ヶ月後



ケアマネさん,娘さん,今日は忙しいところを,ありがとうございます.
まず始めに伝えておきたいことがあります.
これはADOCという作業療法評価とリハ計画書です.
彼は家族と夕ご飯を食べていた頃を,とても大事にしていました.
ずっと言えなかったそうですが,あきらめていなかったそうです.

今から初めて普通食を食べる場面に立ち会ってもらいますが,
これは嚥下の評価でも食べる能力の評価でもありません.
家族と一緒に夕ご飯を食べる生活が,将来的に可能か一緒に考える機会です.
この彼の希望を忘れずに,参加してください.

ムセずに食べることができたら,介助方法について教えます.
料理法,食器,望ましい姿勢,観察するべき点,介助のタイミング,
予測される危険な状態と対処法,段階づけなどについて説明します.
栄養士,看護師,相談員,介護士と一緒に説明します.
でも,どうやるか,何をやるかよりも,意味を知って欲しいのです.


ゴールデンタイムのテレビを観ながら,
家族で一緒に,家族と同じご飯を食べる生活を送るためです.
彼が伝えた,食事を食べることの意味と目的を,共有しましょう.
すべてはこのADOC計画書に書いてあります.

今,彼は歩行器を使えば少しの介助で,歩いてトイレに行けます.
シャツも自分で着けることができます.
日々,ここで介護士と看護師がそうなるように支援しているからです.
これらも彼の希望でした.その理由はすべて,家族のためでした.
食事を口から食べること,と同じ意味でした.







彼は慎重に咀嚼して,飲み込んだ.後半は自らの手で食べた.
その様子を見た家族が尋ねた.
「家族と同じご飯を食べるなら,調理の時に注意することは何ですか」



その瞬間,彼は言葉をつまらせて,

号泣した.

彼に見えたゴールデン・ディナーな日々がボクにも見えた.

2012/10/07

Next to the future of 作業療法

あんたの話は8割が冗談で,1割が言葉になっていない.
まともな話は1割しかないよね

と,先日カミさんに言われた.
そんな人とよく生活できるねー,と言い返してみた.




9月16日にYMCA米子作業療法学術集会で,
「作業に焦点を当てた作業療法実践」について90分プレゼンしました.
特別講演という枠でしたが,特別なことは伝えていません.
一般演題の内容は,特別に素晴らしかったです.




学術集会と懇親会が無事に終わって,翌日は9時間かけて沖縄に帰りました.
ホテルから大きな駅までharadaさんが車で送ってくれました.
その時に彼と話した内容をメモしておきます.忘れないために


イイね!と言ってくれる人がいるなんて,不思議な感じだね.
だってボクらの動機は,他人に認められることではなかったよ.
作業科学と作業行動の勉強会を毎月開催していたけど,
参加者が4人という時があったね.それが半年間続くこともあった.

時間とエネルギーはいくら注いでも足りなかったし,
お金にもならなかった.むしろ,出て行く方が多かった.
親ほど年の離れた同僚や先輩や著名人に怒られたり,
圧力としか定義できない言葉も正面で受けてきた.

ボクらがいつも確認したことは,
「どのように活動するのか」よりも「なぜ活動するのか」だった.
どこで,だれが,どのように,作業療法ができるようになるのか,
クライエントがどのように生きるのかを,いつもイメージしていた.

やりたい仕事ができないのは,環境のせいと言わないように努力した.
時に愚痴をこぼすのは悪いと思っていなかったけど,
それを打開するための視点と方法を,イメージするよう互いに促した.
「どう変えるか」よりも「なぜ変えるのか」を知ろうとしてきた.




ボクらは,作業に焦点を当てた作業療法を実践することで,
クライエントがどんな言葉を伝えてくれるか知っていた.

手が挙がった,真っすぐ歩けた,という感動とは異質だった.
家族のために妻として家事が再びできるなんて思ってもいなかった,
あきらめていたけど友人と行きつけの店に行けるようになった,
というクライエントの言葉の重さ,強さ,彩りを知っていた.

ボクらはそのクライエントの言葉を受けて初めて,
作業療法士としての自分がわかるようになった.
作業に焦点を当てた実践をする以前よりも,
ボクらもクライエントも自分らしさを感じれると知っていた.

それが言葉にできるボクらの目的であり,広げることが目標だった.
勉強会の活動は手段だった.勉強の内容も理解することも手段だった.
手段でわかり合えない人はいたけど,目的はだれとでも理解し合えた.
今のボクらが立っている場所は,そうやって歩いてきた道だったね.

作業に焦点を当てた作業療法の実践によって,
作業療法士が作業療法士としての自信を,当たり前のように蓄積できること.
クライエントが本来の自分らしさを,当たり前のように獲得できること.
この目標が実現できるなら,ボクらは手段を選ばない.




鳥取に向かう2日前,アメリカに在住するCOPM開発関係者から,
ADOCに関する問い合わせメールがあった.
丁寧だったが,危惧していることがあるというような内容だった.
tomoriくんが返信したメールは,シンプルで真摯的だった.


We want to contribute to promote the Occupation-based practice.

「私たちはOBPの推進に貢献したいと思っている」

ボクと侍OTさんはメールのやり取りを見守り,この想いが届くと信じていた.
OTとOTを取り巻く環境に課題があることを知っているハズだし,
何よりも国籍や文化や制度や歴史が違っても,ボクら互いに作業療法士だった.

YMCA米子の講義室でスクリーンの前に立ったボクは,
書籍や対話でボクに影響を与えた国内外の先輩たちを思い出して感謝しつつ,
これから同じ目標に向かう仲間のひとりひとりを見つめて,確信していた.
作業に焦点を当てた実践は,特別なことではなくなる.



未来は僕らの手の中
僕らは泣くために生まれてきたわけじゃないよ

(THE BLUE HEARTS)

2012/10/03

認知症専門OT × ADOC

日記をちゃんと書けよ,と娘に毎晩説いています.先日,tomoriくんと新橋のガード下で酒を飲みながら,同じ事を言われました.これから週に1回以上は日記を書きます.その時に話したのですが,Yhoo!ブログ時代の琉球OTが生々しくて丸くなれず純粋で,ボクは好きです.







9月8日,認知症専門作業療法士取得講習会Ⅲで,講師の手伝いを少しだけした.日本OT協会事務局が入るビルの10階で,新しい東京タワーを初めて見た.テーマは,介護老人福祉施設における認知症高齢者のOTだった.ボクは今,沖縄の特養で勤めている.10年前,この施設に面接に来たが就職できなかった.前日に面接した後輩が即日,採用されていた.仕方なく,回復期リハ病棟を開設する予定だった総合病院に就職した.でもそれが良かった.そこで作業療法に目覚めて研究や教育に関心を抱くようになって.養成校に就職した.



大きな目標を達成する目的と,前向きで家庭的な理由で再び臨床で働こうと思った時,この施設の門を再び叩いた,すでに内定を頂いた病院もあった.何度も誘ってくれる病院もあった.県外の大学院に誘ってくれる先輩たちもいた.それでも今の特養ホームに1月で3度も足を運んだ.



1度目は笑顔で断られ,2度目は苦笑で断られた.3度目,頂いた恩をボクが仇で返してしまった方が、力を貸してくれた.その方にボクを今回の恩は利用者にすべて返します,一生ここで働きますと誓った.祖母が軽費に2年,特養ホームに12年も暮らしていた.だから生活の様子やリハビリテーションについては経験的に少し知っていた.特養で働くOTの友人たちから話も聴いていたので,何を悩んでいるのか,何を望んでいるのかも少し知っていた.


MMSEやCDRで評価をして認知症ではない高齢者はほとんどいないので,今回のテーマは特養ホームの作業療法としてプレゼンした.スライドの1枚目は,


「特養ホームに作業療法士は必要ですか?」


おそらく,ピンとこないと思う.特養ホームで働くOTは日本の作業療法士の中で1%くらいしかいなかったハズ.同じ作業療法士でも特養で働いているOTの声はあまり聴いたことがないと思う.それから特養ホームにおける作業療法士の位置づけ,入居者や職員に期待されていること,人員配置,ボクが知っている全国各地の特養で働くOTの悩みと希望を伝えた.そこで再び,尋ねた.


「特養ホームに作業療法士は必要ですか?」


はじめの質問と違って,はっきりと答えをイメージできたと思う.残念ながら「必要ないかもしれない」と心の中で答えただろう.その上で,ボクが同僚の作業療法士と介護士と看護師と相談員と家族が一緒になって支援している実践についてプレゼンした.大事なことは,「特養ホームで,チームと一緒に,何をやったのか」ではない.何をやったかよりも,なぜやったのか,が大事.何ができたかよりも,どのような過程を踏む事ができたか,が大事.迷わず進むためには,作業の物語が重要な役割を担う.1つ1つの失敗や成功に一喜一憂しながら,今は誰にも見えていない大きな目標に向かって進むこと.入居者ひとりひとりの作業の物語を全員で支援できること.







作業療法と同じこと.自分に作業療法をすること,組織に作業療法をすること.そのために,まず自分に対して作業のインタビューすること,チームメンバーにも,家族にも作業に基づいた面接をする.認知症高齢者が症状にジャマされて作業についての対話をうまくできなかったら,変わらない生活に慣れてしまってイメージすることが難しかったら,実現不可能だと言われることを恐れて言葉を慎んでいるとしたら,ADOCを使って欲しいと伝えた.それはすべての問題を解決するためのツールにはならないかもしれないが,今より少しでも作業療法士が作業療法士らしくなれたと思うかもしれない.認知症高齢者が作業療法を通じて自分らしくなれるかもしれない.







特養内デイサービスは一見すると単なる書道や手工芸に見えるかもしれない.気晴らしの散歩や園芸に見えるかもしれない.でも,年齢や疾患や居住フロアや性別や要介護度や物理的環境で,活動は決めていないし,参加者も参加方法も決めていない.入居者ひとりひとりの希望をすべての職員で確認し,希望を話せない入居者は家族に確認し,集められた100の希望に基づいて活動を運営している.OT同士でインタビューもした,すべての職員にアンケートで業務を通して支援したい利用者の人生についても確認した.


その成果をボクは作業療法士なので作業療法の視点で分析し,チームや入居者や家族に語り伝える.過程ではいつも作業療法の視点で考える.作業療法の成果は,機能評価だけではなく,クライエントの個人的物語に関係する作業への参加度や参加による満足度で判断する.その実例を余す事なくプレゼンして,最後のスライド.


「特養ホームに作業療法士は必要ですか?」


特養ホームに作業療法士は必要です.法的には作業療法士である必要はありませんし,始めは職員と入居者にも必要とは言われないかもしれません.でも,認知症高齢者に作業療法は必要です.根拠となる実践報告は示しました.量的根拠も必要です.作業療法士が作業療法士らしくありたいと思うなら,誰かが働きやすい環境を整えてくれまで待ってはいけません.なぜなら,誰もやってくれないからです.私たちで,私たちのために,私たちに作業療法をしましょう.


老健の作業療法も同じことです.共同研究者を募集しています.(←案内へリンク)


私たちと社会のために,私たちで可能なことをやりましょう