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2013/12/31

全く新しい年,2013年に感謝

今年は,新しい人生を,ボクらしく歩きました.

ちょうど1年前,私生活が慌ただしく,
すべてのプロジェクトから1年間だけ外れたいと,
tomoriくんや係っている団体,職場の人たちに告げました.

あらゆる選択肢をシミュレーションした決意表明でした.
自分のペースでいいから外れるなと,
みんなが言ってくれました.


いま,この1年で関係したすべての人に,感謝しています.


今年はいろんな人と仕事をしました.
老健における作業療法の効果を検証する研究で,沖縄の老健で学生時代からのマブダチ飯田尚子,そして砂川厚くん,上地ゆかりさん.ありがとう.

県作業療法学会で発表した認知症デイの徳里なおみさん,回復期リハの浦崎みづきさん.
ドリームプレゼンテーション沖縄で発表した,いきがいのまちデイの田村浩介,田中.
そして,うるま市市民公開講座やADOC-Sで共に進んだ琉球リハ学院の仲間さん.ありがとう.

研修や研究で職場を空けることの多かったボクに不満も言わず,そのせいでクソ忙しくなった業務なのに日本作業療法士協会の研修会や沖縄県とNPO法人が主催する研修会で講師を担当したヨヘナ亜紀子さん,ボクが一緒に仕事しようと新卒で引っ張ってきたのにあまり会う時間がない上にYMCA米子OT学術集会で発表した久志仁くん.ありがとう.

職員研修会に招聘してくれた豊見城中央病院の村上典子さん,ゆうなの会デイサービスせんりょうの知花朋弥くん,沖縄協同病院の屋良喜一先輩,ありがとう.

今年は沖縄県外でもお世話になりました.佐賀の上城先生,旧姓)山口みきさん,ありがとう.佐賀の老健OT,池尻さんに出会えたことも大きい転機だった.福岡の渡部夏子ちゃん,西尾絵里香ちゃんはすべてを任せることができる.これからは彼女たちがボクよりも人に影響を与えると思う.ありがとう.

今年,鳥取がすごかった.大西千香子さん,鬼木徳子はボクよりも多くの人に希望を渡してくれた.福岡の渡部,西尾と同じだけど,ほんとうに苦しい中であきらめずに前進しました.そして,デイサービスつむぎの原田伸吾.苦しい時代を乗り越えてきたね.ありがとう.

和歌山の回復期で奮闘する沖田直子ちゃん,ほんと頑張ったね.職場が理解してくれないって話はよく聴くけど,自分が変われば職場は変わるってことを実現してくれたね.関西地域は平田さん,伊藤さん,平松くんに病院で作業に焦点を当てることの難しさと楽しさをリアルタイムで見せてもらいました.関東では重度小児施設でも意思と行動は支援できると教えてくれた天野智美さん,ボクのすべての行動管理と急性期OTの可能性を教えてくれた大野勘太くん,ありがとう.藪脇さん,藤本さんと仕事ができて得るものがたくさんあった.ありがとう.


あぅ,眠い.てか,酔っぱらってる.


竹林崇,齋藤佑樹,澤田辰徳,そして友利幸之介は,今年もボクの価値観と行動を全く新しく変えてくれました.この人たちの努力と結果に,ボクは一生追いつけないとわかった.でも,ボクにできることもあると教えてくれたのは,この人たちだった.ありがとう

高校時代からの親友,神山博之くん,介護情報誌の会社を立上げる過程で一緒に仕事ができて良かった.この1年はお世話になっているので,2014年は恩返しをします.ありがとう.釧路の金城正太,沖縄の和宇慶亮士,苦しい時に助けてくれてありがとう.彼らにも恩返しできる年にしたい.

職場の介護士と看護師の一部が,今年は特に協力してくれた.ありがとう.だから実践ができる.それを人に伝えて,受けた人が新しい知見と技術を教えてくれる.それをまたそれぞれに貢献できる.ボクは小さいし,愚かだし,弱い.でも,それぞれを繋げることが,一部だとしても,できるならがんばろう.ありがとう.


2013/12/27

介護保険制度の見直し(平成26年度改正に向けて)

厚生労働省介護給付費分科会が17日前の平成25年12月10日に「介護保険制度の見直しに関する意見(素案)」を公開した.ので,タブーに優しく触れてみます.

メインテーマは地域包括ケアシステムの構築と認知症施策の推進.まず,平成23年度の介護予防事業の実績を確認.





   


二次予防事業のうち主にセラピストが関係する,運動器機能向上をメインにした通所型介護予防事業は約115億円弱.訪問型介護予防事業は約9億円.二次予防事業の対象者か確認するための25項目の基本チェックリストの郵送と判断に費やした費用は150億円.


・・・費用対効果は?


確かに予防の場合は効果を判断することが難しい.感染症と違って健康の定義は広く,健康に影響を与える要因は多過ぎる.「何か」を予防できたのか,何もしなくても予防できたかのを比較するにも難しい.でもだからといって,このまま効果を求められない支援で請求し続けることに不安を感じる.職域拡大のチャンスだと飛びつくのは怖い.やっぱ辞めた,と急に国から告げられる可能性がある.

これを踏まえて,介護予防の推進と在宅サービスについての意見から一部を抜粋します.



「これまでの介護予防の手法は,心身機能を改善することを目的とした機能回復訓練に偏りがちであり,介護予防で得られた活動的な状態をバランスよく維持するための活動や社会参加を促す取り組みが必ずしも十分ではなかったという課題がある」



「これからの介護予防は,機能回復訓練などの高齢者本人へのアプローチだけではなく,生活環境の調整や,地域の中に生きがい・役割を持って生活できるような居場所と出番作りなど,高齢者本人を取り巻く環境へのアプローチも含めた,バランスのとれたアプローチが重要である」



「このような効果的なアプローチを実践するため,地域においてリハビリテーション専門職等を活かした自立支援に資する取組みを推進し,要介護状態になっても,生きがい・役割を持って生活できる地域の実現を目指すことが適当である」



やったー,やっとわかったか!・・・で,具体的な手段は?



農作業をやっている人は筋力があるからといって,野球が上手くなるわけではない.運動機能が向上→活動性が向上→自信と意欲が向上→生きがいある人生を送れる,という滅茶苦茶な学習転移の理屈だけど絶対的な神話に,疑問を投げかけるだけでも前進と思う.


でも,セラピストが地域に多く配置されるようになっても,セラピストの習慣と価値観が変わらなければ何も変わらないだろうなぁ.「あ,生きがいですね,じゃあ下肢筋トレと骨盤の可動域訓練から始めます・・・10年くらい?」と,なるんじゃないかと思うのは,ボクが心配性だからです,きっと.

大事にしていたランの花を育てるための,特別な日は家族にご飯を作るための,孫に手工芸を作品を送り続けるための,機能訓練であれば,正確ではなくても良いので具体的な期日があれば(たとえば6ヶ月とか9ヶ月とか),リハビリテーション専門職としての存在価値は社会的にある.作業療法士であろうと,理学療法士であろうと.



さて,この資料を集めたのは,通所の責任者らから「作業療法の考え方に基づいてシステムを改変するので,通所利用者の考え方を変換してもらうために講義をしなさい」と言われことが動機.まぁ,こうなるように1年かけて準備をしていたわけだけど.私見は極力控えて,事実はできるだけ正確に伝えた.介護保険の歴史と現状,健康や運動学習の理論,介護保険が向かう未来とその根拠について,わかりやすさを意識してプレゼンした.


「あなたたちの未来は,あなたたちが作るのです.私たちは手伝いをするのです.あなたちがそれぞれ,自分はやりたいことができているから不健康ではないと感じるために,私たちと共に模索し,計画し,実施し続けましょう」と伝えた.

根拠も手段も曖昧ですが,でもだからこそ共に,と付け加えて.これが良いか正しいかはわからないけど,隠したり誤摩化すよりは誠実だと思っている.少なくても,運動しないと寝たきりになりますよと,運動の程度と寝たきりへのプロセスを曖昧にしたまま脅すよりは後味が悪くない.


何をやるかよりも,なぜやるのかを初めに伝えることが重要だと思っていた.今回の介護保険の見直し案は役に立ったけど,データや施策案はあくまでも手段.様々な立場から批判的に吟味できる余地がある資料であることを理解しつつ,自分が伝えたいことはブレないように伝えたい.自分を批判できる余裕も保ちつつ,謙虚かつ批判だけの専門家にならないように利用者,家族,職員に伝え続けたい.



2013/12/20

デザインするプレゼン

デザインとは派手さや装飾ではなく,
「より良くする行動」を促すための手段.
アートというよりは戦術としての,デザインについて.

先日,作業科学セミナーの懇親会で,
ML(メーリングリスト)の紹介についてプレゼンした.
プレゼン資料を作成する過程についてメモ.

まず,Macへ向かう前に無印のノートを広げた.
MLの機能や効果を伝える意義を,延々と自問.
MLはなぜ必要か,なぜプレゼンする必要があるのか?



MLはネットワークや学問追求につながる.
それらは目的と思われがちだが,おそらく手段.
ネットワークや学問追求は何の為に必要か考えてみた.

作業科学を学ぼうとすることや,
作業科学セミナーに参加する意味と同じことだと思った.
つながりや知ることで,何を得ることができると期待するのか?

ある課題が存在していて,それをどのように解決したくて,
課題が解決した状態とは何かをイメージしてみた.
ADOC' Missionを思い出した.



大切な作業(Meaningful Occupation)の実現が,
やりがいのある仕事(Meaningful Occupation)を実現する.
自分と自分に関係する人が,より良い自分になるため,だ.


・・・なるほど.


それが目的で,参加者がそれが実現できたと思えた状態が,目標.
構成は決まった.
作業科学のML紹介という場なので,もう少し深めてみる.

ゴールデン・サークルの理屈で全体の流れを組み立て,
さらにゴールデン・サークルと作業科学を結びつけてみた.

作業的意味を目的(Why),作業的機能を実現する方法(How),
作業形態を結果として現れた行動(What)として考えてみた.
毎日,考えに考えて,この結びつきが思い浮かんだ時,見えた.





「みなさんが自分と,自分に関係する人の作業的公正を,
実現するための鍵を手の中に握っているのは,
・・・6分後です」








MLというシステムを紹介する場ですが,
MLに参加するという作業の,
作業的意味を,考えてみます.











「作業科学研究会は今年度,作業科学を研究するための研修会と,
作業科学と作業療法を結びつけるための研修会を開催しました.
基礎科学か応用科学かという議論に決着がついてないにも関わらず.です」

「これはおそらく,挑戦です.踏み切ったのは,なぜでしょうか?
みなさんとみなさんに関係する人が,より良い自分になるため,です.
他の理由が私には,思い浮かびません」









「次に,みなさんと,みなさんに関係する人々が,
より自分らしくなるために,必要な方法を考えてみます」












「ネットワークの構築と,作業に関する学問を追求することです.
私たちはこれが目的だと思いがちです.
ですが,忘れてはいけません,これは手段です」










「それでは最後に,目的を実現するための方法を遂行した場合,
何が観察されるか,評価してみます.
私たちのほとんどは作業療法士なので,これは得意です」













「まず,メールを開く」











「次に,メールを打ち込む」











「最後に,送信する」










「形態を見るとシンプルです.
シンプルですが,MLに投稿するのは気が引ける.
バリアがあるのです.
このバリアを作っているのは,私たちです」



「このバリアは高くて固いように見えます.
でも,作業的意味を思い出してみましょう.
作業的意味を満たすことをイメージできれば,
バリアが低いことに気づくハズです」



「私たちは,メールを開くことから始まる作業形態に,
囚われ過ぎです.イメージしましょう,作業的意味を.
私たちは,今ここで,なぜ出会っているのか,考えてみましょう」














「私たちは,私たちと,私たちに関係する人々が,
より良い自分になることを実現するために,ここで出会いました.
MLへの参加は作業形態が異なりますが,意味は同じことです」




「私たちが,今,手に入れたのは,
私たちと,私たちに関係する人々が,より良い自分になるために,
私たちにできる1つの方法です」













「続きは,MLで.
静かに聴いてくださり,ありがとうございました.
6分を過ぎましたが 笑」



2013/12/18

生活期リハビリテーションの効果についての評価方法

平成24年4月の介護報酬改定においては,「自立支援型サービスの強化と重点化」の観点からリハビリテーション,機能訓練の充実が図られた,ことになっている.ただし,リハ専門職と介護職の連携強化など生活期リハのあり方は検討するべきとされており,さらにリハ効果の評価手法について検討することになっていた.

平成24年度介護報酬改定の効果検証および調査研究に係る調査の結果(最終版)が,平成25年9月4日に厚生労働省の介護給付費分科会からHPで公開されていた.

要支援者.要介護者のIADL等に関する状態像とサービス利用内容に関する調査研究事業や,認知症の人に対する通所型サービスのあり方に関する調査研究事業,介護サービス事業所における医療職のあり方に関する調査研究事業など11事業についての最終報告書になっている.

それぞれの事業報告書は100ページ以上にわたるが,最終報告書は簡潔に各事業報告がA4用紙1枚に整理されている.今回は生活期リハビリテーションの効果についての評価方法に関する調査を紹介しますよ.



調査の目的は生活期リハビリテーションのアウトカム評価に活用できる可能性のある11指標について評価・検討し,生活期リハビリテーションのアウトカム評価の可能性について検討すること.対象は全国老人デイ・ケア連絡協議会などの推薦によって選ばれた49事業所で,回収率は100%

これらの事業所より同一利用者について2ヶ月毎に3回評価を実施.利用者は500〜600名.調査の実施後に通所リハ,通所介護,訪問リハの各1事業所に対してヒアリングを行い,本調査で評価を行ったアウトカム指標についての意見や感想を収集.

面白そうでしょ.ちなみに事業報告をしているのは三菱総合研究所.結果に移る前に,最終報告書には記されていない11のアウトカム指標を確認しましょう.それは高齢者生活機能調査基本チェックリスト,Life-Space Assessment,要支援者等の活動能力指標,手段的日常生活動作検査(Lawton IADL),基本的日常生活能力(Barthel index),機能的自立度評価表(FIM),意欲(Vitality Index),情緒・気分・高齢者抑うつ尺度(GDS-15),健康関連QOL(SF-8),長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R),Zarit 介護負担尺度日本語版 短縮版でした.


さて,結果です.


「通所リハについて,いずれに指標においても,1回目→2回目→3回目に継続的に改善または悪化する傾向はなく,また変化の水準も小さいことから,これらの指標によって生活期リハビリテーションの効果を評価することは困難であることが示唆された.なお,通所介護および訪問リハにおいても同様の結果となっている」






・・・効果を調べるための調査ではなく,効果の評価法を探すための調査だったので,このように解釈されています.結果だけを見るとショックですが,興味深いです.リハ内容は議論されていませんので,この結果ですべての判断はできないと思う.ちなみに,関節可動域,筋緊張,筋力の評価は指標の中に入ってません.



各評価指標における変化の妥当性について

「『適切な連携の基で急性期・回復期リハ病棟からの退院者については,改善する利用者が多い』といった限定的な条件での変化について検証.この条件であれば,FIMはリハ効果を捉える可能性があると判断」・・・ごもっとも.


各評価指標と生活期リハの効果との関係性について.

「4ヶ月という短期間で効果の判定を行うことは難しい.専門家らは身体状況等を『維持』できることも十分な効果であるとの意見も挙げられた」

・・・んー,目的と目標のないサービスを正当化する可能性があると思いました.

繰り返しますが,今回は提供したリハビリテーションの内容は定義されていません.たぶん.研究のことはあまり分からないのだけど,リハ効果の判断基準となる指標を模索するなら,リハ内容の定義は大事だと思う.CI療法(Constraint-induced movement therapy)のようなエビデンスが保証されている介入なら,今回の結果は変わったでしょう.そうなると,通所リハと通所介護という機能分化の形態も変わる可能性がある.預かり型,自立支援型,機能訓練型に分かれるかもしれない.

どれが正しいか,良いかという議論ではなく,サービスが類型化されるということ.続きは次の機会に.


最後にもう1つ.


「生活期リハビリテーションの『効果』そのもの定義を検討するべきという意見が多かった.例えば,個別計画において位置づけられているような『地域の中での社会活動に参加ができるようになる』,『目標としていた場所に行くことが可能になる』といった目標の達成は,身体状況等の改善がなくてもできる場合もある」

・・・あ!




ADOC


それから生活行為マネジメント表(簡易版),COPM,OSA-Ⅱとか他にいろいろ.個人的にはOPAがイチオシ.作業療法の評価は,この課題に貢献できる可能性があると個人的には思う.それはボクが作業療法士だからそう思うだけのことかもしれないけど,そうだとしても提案や意見は構わないよね.むしろ専門職としての意見を提案できるからこそ,専門職としての存在価値があるんじゃないかな.だよね.


2013/12/05

共に歩む OSセミナー福島

先週末,福島で開催された作業科学セミナー(←抄録集にリンク)へ参加した.楽しみにしていたのは,侍OTの夢が実現する場に同席できること.そしてセミナーで発表する3人の仲間たちが成長する機会に参加できること.3人ともADOC関連の事例報告だった.







OSセミナーで発表したいと相談があった3人に対して,純粋な作業科学者ではないボクがサポートすることに抵抗があった.抄録のたたき台を読んだ時は,作業科学ではなくて作業療法の事例報告なので,別の場に発表した方が良いと勧めた.

でも,彼女らは自分たちの臨床を展開する上で,心強い存在だった作業科学のセミナーに発表したいと強く訴えた.彼女らを作業療法のクライエントと定義し,共に歩むことにした.そこからは半年ほどメール,Skype,電話でずっとインタビュー

何を伝えたいの?なぜ伝えるの?目的が実現したかどうかは何で判断するの?という感じで共に模索.特に和歌山の沖田さんは相談があった時点で介入中の事例だったので,目標設定や介入計画についても一緒に模索した.



それはtomoriくんに教えてもらったやり方だった.めがねOTさんも侍OTもやっていることだった.どんなに困難な状況でも,ムリだと言われても,誰かに助けてもらうのではなく,自分で変われると信じていた.

当日の彼女たちのプレゼンは情熱的な瞳で,真摯な語り口だった.プレゼンを聴いている方々の視線,言葉は,自分が関係しているクライエントやチームメイトをイメージしているようだった.事例報告の成果や過程よりも,未来を共有しているように見えた.



木田さんの講演は過去に聴いたすべてのプレゼンの中で,最高だった.震災や原発事故からの避難が生々しかったからではない.思い描く未来が理想的だったからではない.生々しさと理想を結ぶ過程が魅力的だった.

木田さんが伝えたかったのは,どんな環境でも作業療法士は作業療法ができる.どんな状況でもクライエントに作業療法は求められている.作業療法士とクライエントとチームを含めて誰にでも,自分と環境を変える力は備わっている.ということだと思った.







それは作業科学セミナー福島の運営メンバーも,参加者も理事会も同じことを期待しているんじゃないかな.何をやるかではなく,志でつながっている.


名刺交換して,感動して,発表して,終わりじゃない.
未来を作るために,共に歩む.







最後に,発表した仲間から今朝届いたメールを紹介.

「みんな同じように悩んでいるんだなってわかりましました.そして,もっと自分にできることがあるんじゃないかって心残りが出てきました.これを次のクライエントに活かしたいです.もっとより良い支援を,1人だけじゃなくて,すべてのクライエントに提供したいです.このクライエントの出会いを,活かせるようにしたいです.自分のためにも,チームのためにも」


2013/11/27

三十春(みそしゅん)

何かを始めるには,変えるには,
やり直すには,遅すぎた.
人に言われる前に,思うことがある.

でも,本当に,もう遅いのかな.

男の平均寿命80歳を1年に換算した場合,
36歳は6月14日
・・・これから夏じゃない.








大騒ぎの正月を過ぎ,耐え難い寒さの冬を越え,春風が吹き去り,
ゴールデンウィークに浮かれて,梅雨に打たれた日々も忘れ始めた,
やっと夏が来たね,っていう頃だよ.

11月では遅過ぎることも,6月なら何だって間に合うね.

26歳なら4月29日で日本は桜見,沖縄は海水浴.
46歳なら7月30日で子供は夏休み序盤,大人は夏祭りにビール.
80歳なら12月31日で6月の思い出に少し悔やんだり,大いに笑ったり.

30代は春

何かを始めるなら,
何かを変えるなら,
早くも遅くもない.




第1回日本臨床作業療法学会
演題募集は11月30日まで.


2013/11/22

葉山靖明さんが沖縄に来る

6年か,7年前でしょうか.
大分で開催された九州PTOT合同学会で発表しました.
温泉と酒と鳥天ぷらに溺れてフラフラなままで,会場に足を運びました.

しかも,急な仕事で参加できなくなった,
いきがいのまちデイ田村さんデイつむぎの原田さんの代理もしました.
並びだったので,3演題続けてポスター発表という異形のプレゼンでした.

2つのCOPM事例報告と1つのOSA−Ⅱ事例報告でしたが,
その時に発表を聴きに来てくれた葉山さんと初めてお会いしました.
今でも昨日のことように,覚えています.なぜなら,



学会発表が終わって2,3日後,職場に葉山さんから電話がかかってきました.
「あの報告にあったクライエントは作業療法に出会えて幸せに違いない.
 作業療法とは,通所とは,どうあるべきか伝えたくて電話しました.聞いてください」

という下りから始まった葉山さんのメッセージを,
手元にあったA4封筒の裏に書き込んでいたら全面が埋まってしまいました.
高いビジョンを明確に持っている,自称,いや,事実,元患者さんだと思いました.

おそらく,その前後だったと思うのですが,
彼は作業療法士が輝き,クライエントが自分を取り戻すために,
通所介護を起業しました.



それから毎年,学会や研修会で葉山さんに会いますが,
作業療法士とクライエントのために貢献したいという葉山さんの使命は,
少しも薄れることなく,むしろ,強く,高まっているように感じます.

今や,毎月,毎週のように日本各地で講演会や研修会で講師を務める葉山さんです.
彼の実績よりも私たちが注目するべきことは,
経営者,多様な団体の理事として多忙に働いているにも関わらず,
迷える作業療法士と悩めるクライエントに貢献する作業へ,
時間とエネルギーを惜しみなく費やしていることです.

私たちは彼の想いや実績を受け取るだけでは不十分です.
葉山さんの使命バトンを受け取って,私たちの近くで実践することです.
私たちの環境に合わせて,私たちにできる範囲で,適切に伝播することです.

義務ではありません.
望む人が,望むように,自分に導かれたらよいと思うのです.
沖縄の作業療法士に,導きを手助けをする機会が巡ってきました.






葉山さん,勝手に本から写真を転載します,事後報告ですいません.
沖縄臨床作業療法実践研究会のみなさん,勝手にポスターを作って,
しかも締め切り日を消しました・・・許してねぇ.

まくとぅそーけー,なんくるないさね.

葉山さんに出会った学会で発表した時,大ベテランの座長OTがコメントくれましたた.
「理論についての議論は言い尽くされた感がある.これからは理論を実践する時代です.
そしてこれらの発表が,その実践報告です」

ありがたいですが,私たちは不十分でした.今週末,十分な報告が明らかになります.


2013/11/08

事例報告のススメ

40分前に36歳になったよ.この1年で10年分の身体と頭と心を使ったね.
ヤバいと2回ほど思ったけど,今になって思えばそうでもない.
36歳までの10年を振り返っていたら,事例本に辿りついた.

先日,2013年度の九州PTOT合同学会の抄録集を開いた.
指定演題の一発目がADOCの事例報告だった.
しかも会場は熊本県.

初めて沖縄県外の学会で発表したのが九州PTOT合同学会で,
それがちょうど10年前で熊本だったことに,巡り合わせを感じた.
琉球OTの臨床を変えた事例報告と,それからの10年について.






学院始まって以来の最低な頭と心を持った学生と言われたOT養成校を卒業して,精神科に就職して3年が経ってから回復期リハ病棟に就職した.それまでの4年間,学会なんて参加したことも無く,発表する人なんて自信があって,時間があって,臨床力のある一部の人だけだと思っていた.今なら,間違いだと気づくけれど,その時は信じて疑わなかったし,自分を救うために必要な理由だったのかもしれない.

それからtomoriくんに導かれて作業科学,作業行動理論,カナダ作業遂行モデルを学び始めた頃に出会ったクライエントは,交通事故にあって植物状態と診断された6歳児だった.8時から20時まで病棟で介入や面接をする生活に,日曜日も公休日もなかった.このクライエントの人生に貢献できなければ,仕事を辞めようと覚悟していた.6ヶ月後に児童の身体機能,ADLと,クライエントに定義した母親に理想的な成果が出た.

作業科学,カナダ作業遂行モデル,人間作業モデルを実践しているOTも少なかったし,成果も得られたので学会に発表しようと思った.それでtomoriくんに助けてもらって抄録を作成したのだけど,抄録作成の3ヶ月間がクライエントに関わった臨床の6ヶ月よりも濃厚だった.自分が感じたこと,考えたこと,伝えたこと,クライエントや周囲の反応,そしてまた感じたこと,考えたこと・・・と,振り返ること.



考えて,感じていたつもりだったけど,不十分だったこと気づいた.改めて客観的に考え,感じることができた.これは報告しようと思って行動しなければ,いつまでも得られない経験だと知った.自信と時間はなかったし,臨床力だって思い描くようにはなかったけど,事例報告を作成することは止められなくなっていた.他人の声に対して必要以上に敏感にならなくなった.

自信を持ってからやるものではなく,時間が余ってからやるものではなく,臨床力が高まったと感じてからやるものではない,と気がついた.作業療法士が自信を持って,時間を大事にして,臨床力を高めるために,事例報告を多くの人ができるようになった方がイイと思うようになった.そのために沖縄の作業行動研究会,作業科学研究会,作業療法教育法研究会の発起,運営に時間とエネルギーを費やした.この期間はいつも焦っていた.

それで,つむぎOTのharadaくんいきがいのまちOTの田村,田中さん,ちびっこOTさんに対して,研究会を運営すること,研修会を開催すること,事例報告をすることについて執念深く問いを投げてきた.彼らは意味と価値をわかっていたけど,そのための方法がよくわかっていなかった.ボクはわかっていなかったけど,だからこそ,何をするべきかと互いに問いを立ててきた.



侍OTとtomoriくんがめがねOTさんと一緒に事例本の企画を提案したきた時に,同じような道を歩んで臨床と教育と研究をしてきた人なんだとなと再確認した.何のために事例報告をするのか=Why,事例報告をした結果=Whatはわかっていたのに,事例報告をするための方法と効果=Howが曖昧だったってことに気がついた.思い描いていた社会貢献のためにできることは,コレだと思った.いま,事例本は順調に仕上がりへ向かっている.

今までの10年を振り返り,次の10年を考えて,自分のための日記.


2013/10/31

自分をはげます言葉 - 娘の日記 20131023 -




発表をして,みんなにいろいろ言われました.

でも,それを聞いて自分が落ち込むのはヘンだ.

だから自分で自分をほめます.(おしまい)


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


(自分へ)

努力しよう.

何があっても,あきらめない.

バカにされても,気にしない.

くよくよしない.

自分がやりたいことは,自信を持て.

胸をはってドンと生きてゆけ.

それがあなたの生き方.



2013/10/29

ADOCとOSA-Ⅱ

先日,人間作業モデル講習会(MOHO)で後輩が事例報告をした.何もしたくないと訴えた通所利用者へ対する作業に基づいた支援.評価ツールはADOCとOSA-Ⅱ.講師はOB研会長の山田孝先生.ボクは参加できなかったので,後日どのように助言をもらったか確認をした.



「評価,介入,結果のすべてに言えるが,事例は少し楽観的過ぎるのではないか.これは全体の解釈に影響を及ぼす可能性もあるのでは?」というコメントだったらしい.面接,介入,抄録の作成をサポートしていたので,講師が何を伝えようとしているか,わかった.少し違和感を感じていたけど,曖昧にしていた点だった.実際に面接場面へ立ち会っていないのに気づいた講師がスゴいなと思った.


今回,ADOCとOSA-Ⅱを併用した理由は,補い合うためだった.ADOCはクライエントの価値のある作業を特定し,作業にまつわるエピソードを引き出すためには使いやすい.でも情報を解釈し,支援プランを構築するには知識と経験が必要な場合もあると思う.OSA-Ⅱは作業についての自己評価を明確にし,得られた情報の解釈と支援の道筋を整理するために活用できる.でも作業を特定することが難しかったり,特定の作業についてエピソードを引き出す技術が必要な場合もある.そのため今回は後輩に併用を促した.


違和感はADOCとOSA-Ⅱのいずれを使った時も感じていた.違和感を説明して理由をクライエントに確認したが,明確な回答を回避するような反応だったので,曖昧なままにしていた.もう少し深く確認するべきだったと今になって思う.目標が作業であれば取りあえずそれでもイイかなという妥協があったのかもしれない.その後の経過と結果から介入方針が誤っていたとは思わないが,満足度が予想よりも上がっていなかったのは事実だった.


そこで先日,クライエントに改めて面接結果を並べながら確認をした.予想外に返答は明確だった.生活活動の介助量が変化しないことに対する不安と焦りが根本にあった.そこから医師やOTに対する疑念を胸に潜ませていたこともわかった.解釈と対策についてクライエントと協議した結果,多くの介助を必要とする通所での役割獲得は継続することになった.それに加えて,自宅の生活パターンとクライエントが感じる役割に影響を及ぼす支援プランにも取り組むことになった.



今回,抄録を作成するために人間作業モデル第3版を読み直し,OT実践において非常に力強い助けになる理論だと思った.ADOCだからこそスムーズに導き出されたエピソードやクライエント自身の解釈もあった.ADOCあるいはOSA-Ⅱのどっちでも評価,目標設定,支援プラン作成を十分に練ることは可能なクライエントもいると思う.


ADOCの方がより良い過程と結果を導く場合も,OSA-Ⅱの方がより良い場合もあるかもしれない.そして今回のように併用することがベストな選択になる場合も,あるかもしれない.この考えが正しいかどうかより,より良い選択がある可能性の存在に気づくことが大事じゃないかと,個人的に思う.


2013/10/13

作業の苗

私の前を歩くな.私が従うとは限らない.
私の後ろを歩くな.私が導くとは限らない.
私たちと共に歩け.
私たちはひとつなのだから.

ソーク族の格言(アメリカ先住民族)






「何もしたくない.煙草を吸っている時間が一番いい」
通所でレクや歩行訓練に参加はするけど,表情は冴えていなかった.
自宅ではベッド上ですべての生活行為を済ませていた.
家族関係も課題として会議では上がっていた.
平行棒内の歩行は全介助だったが,訓練効果はほとんどなかった.
口癖は,何もしたくないから構わないでくれ,だった.

しかし,気難しい人ではなかった.
強く促せば何にでも参加した.でも,何かが引っかかっていた.
大切な作業と作業についての物語を確認したかったので,ADOCを使った.


「里芋を育てることは,今のオレでもできるんだろうか」
・・・できるかどうかはやってみないとわかりませんが,なぜですか?
「里芋で作った味噌汁を,あいつに作って欲しいんだよ」


昔よくやっていた自分の仕事だったんですか?
「畑はよ,おれにとって大事な楽しみだったよ」
奥さんにとっても思い出が深いことなんですかね?

「そうだと思うよ,いや,わからんけど,たぶんそうかなと思う」
いま,あなたが奥さんのためにできる仕事だとボクは考えてもいいですか?
「そうだな,夫としての仕事ができるとしたら,それしかないんじゃないか」

まずやってみて,その場面を観察して,実現可能か判断します.
できるだけ1人で安全に時間をかけ過ぎず,収穫までの期間ずっと,
あなたが芋を育てることができる方法を考えてみましょう.


すぐに里芋の苗を準備して,特養ホームの園庭の一角に場所を確保した.
園芸が趣味だったから,ずっとやりたかったと話した別の利用者と一緒に,
苗を植えて,車いすに乗ったままでホースを握って水を撒いてもらった.

観察場面から評価したことを彼にフィードバックして,
彼と一緒に目標を設定し,支援計画を立案した.
ADOCのPDF資料を印刷し,カンファレンス資料としてカルテに差し込んだ.

声かけが必要な日もあったけど,芋を見てこようと話すようになった.
殺虫剤が必要だから買いに行こうと訴えてきた.
奥さんは「信じられないね,すごいじゃない.楽しみにしているよ」と話した.


3ヶ月前には芽吹いていなかった,この日常的な場面をイメージしていた.
彼が撒いているのは水ではなく,夫らしさを取り戻す機会だと思い,彼に伝えてきた.
もし違うなら何時やめてもいいけど,別の何かを探そうと提案してきた.


「あいつのためだからな,これだけはちゃんとやるよ」


種を明かせば,作業を発掘し,物語を彼と築いたのは1年目OTとOT実習生.
里芋を購入し,植え付けて,水やりの練習をしたのも,彼ら.
実習生の養成校卒業生と教員らが立上げた学会で発表したのも,彼ら.

彼らが次に進むために,冷静と情熱の水を与えてくれたのは,
侍OTさん,鳥人OTさん,種まきOTさん,YMCA米子OTさんたち.
半年前に見えていた芽が,ちょうど今,芽生えてきた.


2013/10/02

10年のOT

tomori家に泊まった時,彼の奥さんに
「ちょうど10年前,ボクが君に話したこと覚えてるか」
と尋ねたら,微笑みました.



先日,神奈川で研究の打ち合わせに参加しました.
tomoriくん,北里大のnagayamaさんを中心に集まった,
ADOC projectに賛同してくれた研究協力者の一部の方々でした.

彼は抱えている環境や自身の課題について冷静に語り,
目標とする状況について伝え合いました.

ほとんどが1年以内に出会った人なのに,10年前からの仲間みたい.
研究が終わるまでは内容も名前も明かせないけど,
彼らが10年後の当たり前に,いま向かっています.






「身体を動かしてもらうことに満足するわけで,
それが癒しで,習慣で,生きがいなの.目的なんて無くてもイイのよ.
高齢者って.維持期のリハビリって」

・・・ボクらはそう言われても否定しない.悪意がないと知っているからです.
でも,作業療法の目的と目標は,
クライエントにとって価値のある役割や習慣がいいと信じています.

作業療法ってなんだろう.どう伝えればいいんだろう.
そもそも,ほんとうに作業療法は必要なんだろうか.
・・・こうやって悩む機会は真実に近づけるのでラッキーです.

変える力を育むことができるから,ラッキーなのです.
泣き顔を見せないのです.ギリギリのラインで.

だから,生活期の作業療法士はちゃんと作業療法をやりなさいって,
叱咤激励されると,落ち込みます.
・・・でも,なぜこうなったのかと思って,責任を探したくなります.

でも,今回集まった彼らは、
誰かのせいにはしません.不思議なくらいに.

彼らが彼らの未来を作れると知っています.
tomoriくん,nagayamaさんらが未来までの道を描き,
今回のスペシャルなゲスト,種まきOTさんが歩み方を示してくれました.



10年後の当たり前に向かって,彼らは種を撒いています.



3〜4年目で作業療法に失望したボクは,tomoriくんに相談しました.
その時,確信したことを彼の彼女に伝えました.
「きっと彼は10年後,日本の作業療法におもしろいことをするよ」

2013/08/27

第1回日本臨床作業療法学会学術集会の申込みスタート 

SNSで50万回以上共有され、6億ページビューを超えた,
ニューヨークにあるHOLSTEE社が掲げるマニフェスト.
シンプルなポスターがものすごく売れているらしい.






特に好きな部分は,

「新しいことや人々との出会いに,
心を,腕を,そしてハートを開きなさい」

「私たちは,それぞれの違いで結びついているのです.
周りの人たちに,何に情熱を傾けているのか聴きなさい.
そして,その人たちにあなたの夢も語りなさい」

「人生とは,あなたが出会う人々であり,
その人たちとあなたが作るもの.
だから待っていないで,作りなさい」






さて,第1回日本臨床作業療法学会 学術集会の参加申込みが始まりました.
演題募集要項も公開されました.→日本臨床作業療法学会
学会テーマをよく確認ください.

「今一度,作業療法の核を問う」

マニュフェストポスターで澤田学会長が強調している言葉は,
「臨床が変わらないと,何も変わらない」
私たちの意思と手で,私たちを創り上げましょう.


2013/08/22

タガハナ(誰がために花は咲く)

夏目漱石の草枕は読んでないけれど,冒頭の一説は気に入っている.

「智に働けば角が立つ.情に棹させば流される.意地を通せば窮屈だ.
とかくに人の世は住みにくい」

理屈で動けば,衝突する.感情で動けば,自分の考えを伝えることができない.
自分の意地を主張すると,動きにくい雰囲気になってしまう.という意味かな.
でもね,ぶつかり,流し,からむ人にも理由があるとは思うんだよな







ADOCで園芸がしたかったと話した特養ホームの入居者と,
面接の時に園芸が趣味だったと家族が教えてくれた入居者だけで,
5月にホーム庭園で植樹祭を開催した.

自宅で草木が生きているのであれば,家族に運んでもらった.
枯れていたなら,できるだけ一緒に園芸店で購入してもらった.
何を植えるかは,自分たちではなく入居者と家族に選択してもらった.

行事ではなく,個別支援が集まっただけという形式にこだわったので,
当日になって参加を希望する入居者がいても,頑なに断った.
それは私の自己満足ではないかと考えていた.



新しくやってきた,しかめっ面の彼は歩けるので歩く訓練を始めた.
彼が歩ける限りは,歩く訓練をすることになるだろう.
それは私の自己満足ではないかと考えていた.

寡黙な彼は歩きながら庭を眺め,興味のあることを目で語った.
歩行器のまま庭まで出て歩いた彼は,ゆっくりと視線を踊らせた.
この先につながる未来が見えなければ,私の自己満足ではないかと・・・

車いすに座った後,再びに庭へ出ようとする彼の側についた.
ホースを渡すと,黙って水を丁寧に花木や野菜に与え始めた.
車いすに乗って水を撒くことは,翌日から彼の習慣となった.






作業療法士として作業の個人的意味や次への展開をイメージできなければ,
私の自己満足ではないかと考えていた.
疑問や不安を抱きながらも,彼が選択したことに従うことにした.

彼と園芸の経験がある入居者と通所利用者が毎日,丁寧に水を撒いた.
3ヶ月が過ぎて,色も形も立派なゴーヤーやオクラの実が育った.
収穫に合わせて毎週のように料理をすることになった.

料理と会食はADOCで料理がしたかったと話した入居者と,
習慣的に園芸をしてきた入居者らと家族に限定した.
自ら動けない利用者を想い,私の自己満足ではないかと考えていた.







回復期リハでも,通所リハでも,OT養成校でも,通所介護でも,
前例から外れないことを,必要のないリスクを招かないことを,
効果よりも実績が残ることを,特別よりも平等な支援をやりなさいと言われて,
反発しながらも,私の自己満足ではないかと考えるように意識していた.



車いすや歩行器を歩きながら庭で収穫した島野菜を運び,
(生活)機能訓練ホールに並べたテーブルで彼女たちが野菜を切り刻んだ.
ムリに何かをやらせないで欲しいと,
ボクらの口や手を押さえていた彼女たちの手は,野菜がよく似合っていた.

その姿をじっと眺めていた寡黙な彼に,あなたのおかげですと伝えた瞬間,
顔をくしゃくしゃにして手をふるわせて,声を出さずに泣き始めた.
側にいた職員たちが一瞬驚き,涙ぐみ,笑い声がこぼれた.

過去から途切れないように,その手は明日からもホースを手にするだろう.
私が満足したことは,今日の彼や職員の涙や笑顔ではなく,
明日からの歩行訓練への意味づけと,花を育てる習慣を再び取り戻すこと.

ただ楽しいだけの園芸や料理だけでは咲かず,
ただ苦しいだけで動かなかったとしても咲くことがなかった花.
やっと私の自己満足ではなかったと思えた瞬間だった・・・はず.

これは同僚が6ヶ月かけて丁寧に育てた作業の物語.

2013/08/06

作業療法士による料理男子の作り方

お袋が不在の時に,
おれのメシはどうするんだ,と
うろたえる親父をみて,これはイカンと思った.

40歳までの5年間で料理が作れる男になろうと決め,
ずっと避けてきた料理に挑戦することにした.
できればやりたくないことだ,と思いながら始めた.

毎日作る必要のある息子の弁当.
初めて作ってみたら,意外と美味かった.
キャラ弁はいつか作るね,と息子には謝っておいた.




息子へ話した直後に,いつ作るんだ?と思った.
具体的に何ができるようになったら,
キャラ弁が作れるようになるんだろうと思った.

あれ?いつもボクは言ってきたじゃないか.
まず,やってみる.
やってみきゃ課題がわからないから,対策もできないよ,と.

子供が使うおもちゃの包丁で粘土を切る練習は,
まず初めにやることでも,何週間もやることではないと思った.
翌日,仮面ライダー・ウィザード弁当を作ってみた.




びっくりした.説明文があったとしても,何か分からない.
初めて使ったとはいえ,クックパッドを見ながら作ったので,
どうにかなると思っていた.

ひどく落ち込んだけど,これはチャンスだと思うことにした.
作業療法士らしく活動の分析をしてみようと決めた.
何十回もやってきたことじゃないか,と勇気を自己栽培しながら始めた.


対象物への直接的な扱いと道具の使い方に,ぎこちなさがあった.
しかし,これらの課題は料理に関する手と道具を使う機会を失わなければ,
効率的で効果的な動きを少しずつ習得することは可能なレベルと判断した.

技術の不足はアフォーダンスの優れた道具でフォローできると考えた.
しかし,原因は慣れない手指と体幹の使い方など技術的な問題だけではなく,
課題に取り組む最中でも次にやることを考えていたことも影響していたと思われた.

そのために集中力は分散し,目の前の課題への配慮は不十分になっていた.
また,使った後の道具の配置も効率性が考慮されておらず,
遂行している課題を妨げたり,余分な手順と注意を費やしていると考えた.


動作の拙劣さを補える判断力が,十分に働く準備が必要と考えた.
さらにクックパッドで事前情報を収集する時間が不十分であること,
情報を集めている最中も解釈を始めて最後まで読んでいないことに気がついた.

これらの影響によって本来やるべき手順や,次に準備することを怠ったり,
ショートカットしたことで生じた新たな課題に対応できず,
手と判断を中断せざるえない状況を招いていることも確認できた.

中断している状況そのものに混乱し,次にやるべき課題への配慮と準備が遅れ,
手の動きや道具からのフィードバックを効率的に拾えず,
動きや使い方など技術的な課題はさらに増悪する,という悪循環が生じたと判断した.


課題が分かれば対策は可能.
事前準備と道具でフォローできる課題はすぐに対応し,
経験を蓄積しなければ解決できない課題は,原因を分析するための情報収集を継続.

で,1週間後のトトロ





2週間後のアンパンマン




3週間後のトトロ





4週間後のウルトラマン&バルタン星人




5週間後のパンダ





人間の手と頭は,やっぱスゴいぞ.
まずは課題の発見をしてから,問題となっている動作への対策だな.
課題が分かれば対策は可能だと再確認.

ということで,まずやってみよう.
・・・何を?
それはADOCで確認できます.

ADOCによって人的環境からの期待,料理への価値観が明確になり.
課題へ継続して取り組むために必要な環境と意欲を沸き起こす鍵もわかります.
意欲と物理的・人的環境が改善される過程で.新たな解決方法も発見できます.

・・・ダラダラ長くなって不安だったけど,カッコよく結べたぁ 笑


2013/07/27

批判はちゃんと聴かない

利用者の病院受診に付き添って待合室にいる時,壁に掲示された「うつ病チェックリスト」を見た.やべぇー,ほとんど当てハマるよと思ったけど,「自分という人間に価値はないと思うことがある」という項目で,ボクは完全に大丈夫だなと思ったよ.10人中9人からお前に価値はないと言われても,残りの1人と抱き合って「価値あるさね」と言うね.






あなたは間違えている,と
面と向かって言う人たちがいる.
その人たちの話は,まともに聴かないようにしている.

目を見ながら心がえぐられる言葉を投げてくる人は,
お前のためでもあるし,みんなのためだと言う.
騙されないでね.反撃されないように先手を打っているだけだよ.

本当にボクらのためを思って注意や助言をする人は,
批判と同じくらいか,それよりもずっと多くの,
褒める言葉や勇気が湧いてくる言葉を与えるでしょ.


批判だけする人の話を真剣に,聴く必要はない.


聞き流しておこうと思うのは,
「あなたはいつも」と「あなたのことをみんなが」
というフレーズが出てきた瞬間.

「この件について,あなたは間違えていると,私は思う」
と言ってきた場合は,よく耳をすませて聴くことにしている.
少しの違いのようだけど,大事な違いだとボクは思う.

「いつも」は,これまで全てのことをイメージさせるし,
「みんな」は.1人も賛同者がいないことをイメージさせる.
「いつも」と「みんな」が出てきたら,心のダメージがデカい.


傷ついたら反射的に猛反撃したくなるけど,戦争ごっこには付き合わない.


相手を傷つけないように,意見を伝えた後で行動が変化できるように,
表現に配慮することを放棄したら,
ボクらは彼らと同じ過ちを選択したことになって,いずれ後悔する.

「目には,目を」では世界が盲目になるだけだ,
と言ったのはマハトマ・ガンジーだけど,
あれは名言だよ.相手の目を潰さないで自分の耳を塞げばいいんだよ.

そう言った途端に,批判から逃げ回っていたら成長できないじゃないか,
批判にこそ広くて深い視点を学ぶことがあるじゃない,
と言われるし,自分でも思うよ.でもさ,ほんとうにそうか?


山田ズーニーさんのコラム,大人の小論文教室から→優しの芽生え


かつてボクらを成長させ,視点を広げてくれたのは,
優しさに欠けた批判ではなかったハズ.
批判は苦しみを大きく残してゆき,賞賛は自己反省の機会も与えていった.

ボクらのことを真剣に想っていない人のために,
ボクらが真剣に思い悩むことがムダな時間とエネルギーだと思うんだよね.
間違い探しよりも,ボクらは互いに価値あること探しをしよう.






毎日は感動的なことでいっぱいなんだから.
あなたは,いつも私が好きな仕事をしている,
みんなも好きと言っているよ,と互いに伝えよう.


2013/07/26

機能訓練加算と作業療法 2

わからない人は作業療法は楽しいと話し,
わかる人は作業療法は難しいと話すけど,
よくわかる人はやっぱり楽しいと話すよ.

よくわかる人,とは読んだ本の数が多い人のことではなくて,
一生忘れられない支援をした対象者の数が多い人のことです.
難しさを知った上で,挑んで成果を出して,わかった人です.

今日も和歌山の回復期リハ病棟で働く友人から嬉しい報告があった.
それはムリだと,本人,家族,職員に言われながらも,
ADOCに基づいて,家族のためにカレーを作る自分を取り戻す挑戦を支援したという.






県社会福祉協議会からリハ専門職を対象にした研修会を依頼された時,
伝える内容に間違いがあってはいけないと思って,
監査や指導を担当している市役所と保健所に確認をした.


保健所編

Q.通所介護と特養ホームにおける機能訓練加算は,
歩行訓練,立位保持訓練,関節可動域訓練などの機能訓練でなければ,
請求できないのでしょうか?

A.そんなわけないでしょ.
通所介護,特養ホームに限っていえば,Ns,PT,OT,ST,マッサージ師等の
誰でもいいわけですよ.現在の介護保険制度だとね.

その施設にOTとかSTやNs,マッサージ師しかいない場合もあるわけで,
まさかNsやマッサージ師に歩行訓練をしなさいとは言わないでしょ.
OTは活動,STは嚥下訓練などを通して機能訓練をするに決まっているでしょう.

Q.でも,多くの施設や職員はリハビリ=歩行訓練,関節可動域訓練と思っていますよ

A.介護保険白書などをちゃんと調べて読んでいない一部の人だけじゃないの.

Q.いやいや,そんなことないですよ笑.ちゃんと指導した方がいいですよ.

A.そうなの?じゃあ,研修会でしっかりあなたが伝えておいてくださいよ.






市役所編

Q.通所介護と特養ホームにおける機能訓練加算は,
歩行訓練,立位保持訓練,関節可動域訓練などの機能訓練でなければ,
請求できないのでしょうか?
デイサービスで担当50名,特養で100名となると現実的にムリなんですけど.

A.あのね,私たちはずっと以前から指導しているんですよ.
平行棒の中で3mしか歩けなかった人が,5m歩けたから何なんですかって,ね.
歩いて園芸ができるとか,買い物に行けるとか,料理ができる,とか,
そういうことを計画書の支援目標に書きなさいって言ってきたんですよ.

歩行訓練が良いか正しいかとかじゃなくて,
目的がやりたいことにつながる,現実的に到達可能なら歩行訓練でも算定可,
筋力維持とかADL維持が目的の歩行訓練なら算定不可とまでは言わないけど,
何のために歩行訓練しているのかを本人からちゃんと聴きなさいってね.

計画書をちゃんと作っていれば生活介護や行事を通して加算は請求できるでしょ.
園芸や料理や手工芸をやってもらって機能訓練加算を算定可能かと言えばね.
それが生きがい作りとか,趣味作りなら算定不可と判断することもあるわ.


Q.あー,趣味とか生きがいって他人が何をやらせて与えるものじゃないですよね.
計画書の目標に本人がやりたいと訴えたことを入れなさいってこですね.
ここにあるADOCのように,ですね.

A.そうよ.老健やデイケアならもっと明確に到達時期を入れなければいけないし,
それを実現するための機能訓練も実現可能なら組み込んだ方がいいわね.
でも,特養やデイサービスは生活を支援する場所でしょ.

目標が明確なら,実際にそれができるように支援したり,
それが継続してできるような支援だって機能訓練加算を請求することは可能ね.
それはちゃんと介護保険白書などに書いてあることでしょ.

Q.このADOC評価表を機能訓練計画書にしても問題はないのですね?

A.いいと思う.でも,モメるでしょうね.
今までのやり方を否定するんですかって言う人がいるだろうし,
逆にこの計画書を書いた人に任せますって丸投げする人もいるでしょうね.

Q.ええ,そうですね.でも,やらなければいけないでしょう.
いつか,誰かが,このような形で価値観の変換を促さなければ,
いつまでも何も変わらないと思いますよ.






A.そうなのかもしれないね.じゃ,がんばって.

Q.やるなと言われてもボクはやりますよ.
やらなきゃ課題もわからないし,課題がわからないと対策もできないので.
・・・あのぅ,でも何かあったら相談に乗ってくださいね.

2013/07/11

ADOCと認知症高齢者

ADOCプロジェクトに関連するデータを集めてもらう時,
「集めてもらうのは数値ではなく,将来の希望です.
経験,勘や一般論に頼らず,目の前にいる事例に貢献するためです」と伝えています.




量的研究が「大丈夫だ,このまま進め」と背中を押す人,
事例報告が「おーい,ここに進むんだよ」と先導する人,
というイメージをボクは抱いています.

認知症高齢者にADOCを利用することは可能ですか?
よく質問されることです.
認知症の程度がわからないと答えにくいことでした.

この質問の背景には,認知症高齢者でも意思を尊重したい,
という願いがあるように感じていました.
おそらく,臨床経験の勘から可能だと思っているのでしょう.



意思の引き出しと尊重が上手く展開できる場合もあれば,
互いに混乱のままで終わってしまうこともあったのでしょう.
ボクは齋藤さんが心を込めて書いた論文を紹介しています.


機関誌に掲載されなかった論文に書けなかったオススメポイント!


なるほど,こうやればいいんだ,できるかもしれない,
と「感じて」行動を促すことが紹介の目的です.
まずやってみて,課題がわかれば対策すれば良いと思うのです.

でも,その事例がたまたま上手くいっただけじゃないか,とか
それは齋藤さんの面接技術があったから可能だったんじゃないか,
という意見を抱いている人もいるだろうなと思っていました.

先日,大阪で開催された日本OT学会にtomoriくんが報告した研究結果は,
ADOCで意思決定を支援できるクライエントはMMSE8点がボーダーライン,
というものでした.


第47回OT学会発表 その2


ボクは主にMMSE0点から15点だったクライエントからデータを集めました.
MMSE5点の方でも正しく意思を表出できたと判断できたことがありましたし,
MMSE10点の方でも記憶が混乱していると思われることがありました.

あくまで概ね8点というこですが,この成果の価値は大きいと思いました.
「認知症だからね」という言葉は,今までは免罪符でした.
認知症高齢者が意思決定に参加できない機会を,自分に許してきました.

MMSE8点だった方の臨床症状は,中程度よりは重症に近いです.
それでも目標設定に参加することは可能だと証明されたのです.
できると「信じて」,面接をやってみて欲しいのです.




じつはボクもデータを集める過程で反省と発見がありました.
意思決定への参加は難しいと予測して面接をしていなかった方に,
調査の動機で面接をところ,間違いに気がつきました.

無口であっても,行動に落ちつきがなくても,食事に介助が必要でも,
人生を振り返って大事だったことを思い出して,
言葉に換えることが可能な人は予想上に存在していました.

作業をすることも語ることもできる存在だったのに,
ボクが見落としていたんだと,はっきりわかりました.
自分に対する失望が襲ってきましたが,しばらくして希望もやってきました.


次に出逢う人に,話を聴こうとするボクが見えました.


集めていたのは数値でなくて,
いま関わっている人たち,これから出逢う人たちと,
共に人生を再構築することが当たり前の将来でした.




共に人生を構築できればイイ,と思っているだけです.

2013/07/06

第47回日本作業療法学会in大阪

深夜2時半に侍OTさんめがねOTさんたちとラーメン屋へ寄って,
つけ麺に顔を突っ込んだまま爆睡したらしい.
覚えてないけど,いい夢を見たんだろうねぇ.


COPM,AMPS,OSA-Ⅱを使った事例報告を何年もしたけど,
学会ポスターの前に集まる人は多くなかった.
寂しいような,無力感が残る経験だったことを覚えている.

振り返れば,「おれはやったぜ」感があったかもしれない.
承認されて誇りを確認する,という意識が少しはあったと思う.
貢献というよりは自己主張がやや上回っていたかもしれない.

それでウケが悪かったかもしれない.でもそれだけじゃないとも思う.

2010年の仙台学会から始まったADOCプレゼンは,
埼玉,宮崎と続いて今回の大阪で4回目になるけど,
毎回のように多くの人がポスター前に並んでくださる.

ボクらはADOCが誕生する前から同じことを伝えていると思う.
「お喋りじゃなくて面接をして欲しいんですよ」とか,
「まずやってみなくちゃ,課題もわかんないよね」みたいな.

ADOCがこんなにも評価をされているのは,
「自分にもできそうだから,やってみようかな」と,
聴き手が感じるからなのかなと思うことがある.

ADOCに携わるようになって,プレゼンの目的と意味が変わったのは事実.

新しいことを教えよう,とか,成果を見てくれ,とかいうよりは,
「迷ったり,悩んでいるんですね.ボクらにできることが少しあるかもよ」
という伝え方に変わったのは,方法じゃなくて意味じゃないかと思う.

伝わることによって,受け手がどう変わるかが大事と思うようになった.
そのために,メッセージの受け手が何を求めているか知ろうと努め始めた.
ADOCプロジェクトが始まってから,プレゼンの勉強も真剣に始めた.

何を伝えるかが一番大切だけど,
まずはポスターの前に立ってもらわなくちゃ,伝えることもできない.
それで,こんなポスターになっちゃった↓




批判される可能性も覚悟の上で,記述したのは言葉だけ.


「歩行訓練だけしてください」,「・・作業療法士の仕事がしたい」
「本当はずっと園芸がしたかった」,「昔の母に戻ったみたいです」
「他の利用者にもこんな支援をしようよ」,「これが作業療法です」


このポスターの作り方はこちら→tomori kounosukeつぶやく

伝えることの目的が受け手の行動変容だと考えるようになってから,
自分よりもチームメイトのプレゼンの評価が気になるようになった.
なぜなら,彼女たち彼たちがボクらのプレゼンの目的を満たしていた.

変えたいと思っていた自分へと,自分で自分を変えた人たちだった.
誰ひとりとして,簡単に楽に変わることができた人はいなかった.
あきらめずに少しずつ進み続けた人たちだった.

そんな彼女たち彼たちのプレゼンを聴いて,
泣いている人や「自分も変わっていいんですね」,「変われそうです」
っていう言葉を届けているのを目の当たりにして,泣きそうだった.

自分のプレゼンの評価より,ずっと嬉しかった.

個人的に,そして周囲の人々にとっても,
意味と目的のある特別な何かすることに参加できていると感じていたから,
これは自分自身への作業療法だね.




ありがとうよ,愛している

2013/06/10

作業療法を伝える過程

沖縄で作業科学セミナーを開催した時,通訳を依頼した専門家に,
「人は作業的存在であるって価値観は理解できますか」と友人が尋ねると,

「哲学者は哲学的存在,経済学者は経済的存在,社会学者は社会的存在,
と人のことを捉えている.むしろ,そのように言い切った方が,
学問の基盤にある考え方を理解しやすいから,コミュニケーションしやすい」

と答えたらしい.すっきりした.






作業療法士って,

納得する役割が獲得できるレシピを作る専門家だと思う.
鍛える人,教える人,してあげる人というよりは,
自らできるように支援する人っていうのが,個人的には馴染む.

いきがいのまちデイデイサービスつむぎのプレゼンを手伝っていた.
1つはドリームプランプレゼンテーション沖縄大会,
もう1つは創造的な中小企業を支援するか判断する会場.

共通した3つの特徴は,
対象が医療福祉保健の専門家たちではない,
内容が優れていれば経済的支援を獲得できる可能性がある,
まだ実現していない将来を見えるように伝えること.


覚悟はしていたけど,想像以上に厳しかった.


信念,と呼んでいいくらいの想いを,
自分たちで多角的に,容赦なく,批判的に見つめたつもりだったけど,
プレゼンの事前演習で受けたサポーターからの質疑はさらに鋭かった.

表現は優しさに満ちた意見や助言だったけど,シンプルに言ってしまえば,

「手段に根拠はあるの?」
「個人や社会の幸福は何をもって判断するの?」
「それで,金になるの?」






プレゼンターのtamuraくん,haradaくんはボクと違って,
治療家として一流の技術を身につけている.
だから,「人は作業をすると健康になる」って前面に出さない方法も選べた.

むしろ,その方が伝えやすいし,伝わりやすいのに,選択しなかった.
それでは伝える意味と価値がないと判断していたんだと思う.
それに,伝えるために模索する過程もまた,伝える目的だったはず.


作業療法はこれだ!


っていう,誰にでもわかる,誰もが納得する,自分も納得できる,
完璧なキャッチフレーズを求めていたのではないと,わかっていた.
時間をかける必要があることも,成果を保証できないことも覚悟していた.

どちらも終わってみて,プレゼンの成果としては十分な評価を受け,
これからさらに効果を知る機会に恵まれるだろうと思う.
それでも彼らは満足はしていなかった.

一番伝えたいことが,まだ届いていないと感じているみたい.
でも,焦燥や失望の色は浮かんでいない.
彼らはクライエントの言葉と表情を覚えているからだと思う.


迷いなく,悩んでいる.


「手段に根拠はあるの?」
「個人や社会の幸福は何をもって判断するの?」
「それで,金になるの?」

という鋭利で悪意のない声に,
怯まず,避けず,流さずに向き合う過程にこそ,
伝えることの目的が潜んでいることを彼らは知っている.






作業をすると人は健康になるって,
やたらめったら熱く主張するだけじゃ,
聴き手がさーっと引いてしまう音も一緒に聞いたことがある.

作業をすると人は健康になるよって,
手段の根拠を示し,幸福の判断基準を見える化し,
社会的に認められるように,自分たちにできることも続けたい.


老健RCT共同調査者の募集〆切までもう少し


この研究で期待している成果が表れたら,すべての課題が解決する訳ではないけど,
伝えやすさ,伝わりやすさが変わる,
以上の変化が起こるんじゃないかと思ってる.

2013/06/06

OTのストーリー・テリング

悲観主義は感情によるもの,
楽観主義は意思によるもの.

アラン.幸福論





先日,沖縄臨床作業療法実践研究会でちびっこOTさんと講師を担当した.
沖縄OS研究会,沖縄OB研究会,沖縄OT教育法研究会を統合して,
2013年5月から活動開始の団体 → 沖縄臨床作業療法実戦研究会HP

平日の夜に琉球リハビリテーション学院で開催された勉強会は,
交通の不便さもあって参加者は10名くらいかなという予想を超えて,
31名の作業療法士と23名の学生が参加されていた.

研究会を統合した理由はそのうちに書き綴るとして,
2人がプレゼンした後に展開したワークショップがおもしろかったのでメモ.
ちなみに,ちびっこOTさんは生後間もない三男を抱っこしながらプレゼン 笑






小学校での作業療法実践も,介護保険施設での作業療法実践も,
病院での作業療法実践と本質は何も変わらないとボクらは思っているし,
OTって伝えにくいと悩むことは2人とも病院勤務時代にあったし,今もある.

悩む人だけで愚痴を言い合って終わるだけの会なんて存在価値がないから,
何のために伝えるのか,とプレゼンの目的を考えていた.
それが,自分で自分の環境を変える能力と知識を獲得してもらうこと.

ワークショップは均等に学生が配置されるよう6〜8人に分かれて2つのテーマ
①臨床で作業療法を実践しようと思う時にぶち当たる壁,
②ぶち当たった壁の乗り越え方,あるいは乗り越えた状態



臨床のOTは学生が同席することで抵抗があるんじゃないか,
学生は臨床OTの悩みを聴いて失望するんじゃないかと不安があったけど,
隠すよりも共有する価値の方が大きいと思った.

反省や問題解決型のサポートはやる気を低下させたり,
エネルギーと信頼関係をムダに奪う危険があると思う.
必要なことは「作業」の目標を決めて,明らかな優先順位を共有すること.

今回のワークショップは半年後くらいに完結するイメージなので,
臨床でクライエントと初めて会った日の面接に似ている.
参加者と研究会がパートナーになれるかは,次回が鍵になってくるかなー






なりたいと思う将来についてストーリーを語ってもらうことが大事だよなぁ.
クライエント,OT,学生の時と同じで,ボクが話すことは3つだけ.
「何がしたい?」,「なぜしたい?」,「どうやればできると思う?」


あ,それと「イイね!」