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2011/04/27

ある高齢者のひとりごと  Monologue in the elderly




認知症高齢者家族支援プログラム、沖縄県作業療法学会運営、
作業科学セミナー運営およびADOCプロジェクトを共に取り組んできた
先輩yasuさんから頂いた資料を動画に編集した。 

闘う県民、闘う介護士、闘う作業療法士のyasuさんは妥協しない。
だからこそ、届くメッセージだと思った。

養成校の講義で使用したこともあるのだが、
介護士や社会福祉士の臨床経験がある学生からの評判が最も高かった。

誰かを批判したいわけではない。ましてや、否定するつもりはない。
もし批判や否定をするならば、自分の事。作業療法士としての自分。

良いところ、楽なところだけを見つけて突き進む力は、すぐに揺らぐ。
直視したくない現実と向き合った上での前進は、力強いと思う。

目を背けるなよ。逃げることを正当化するなよ、おれ。

2011/04/13

人にやさしく  Nice to people

肩に力を入れてニュースを眺めていると、力が入らなくなる。
いきなり逆方向に走り出したお笑い番組を見ても、変わらない。

日記を書いても、自分にも人にも届かない言葉しか浮かんでこない。
でも、届けなきゃ。
言葉にできない、気持ちを言葉にしたいと願うのは、ボクだ。





言葉は、美しさ、力強さ、崇高さを研ぎすますだけでは、足りない。
言葉は、何を選んだかではなく、誰が選んだか。それが大切と思う。

侍OTさんはいつも真面目で優しくて、人の気持ちに注意を向けようとする。
tomoriくんはいつも粘り強く冷静で、人に対して素直になろうとする。
yasuさんはいつも情熱が溢れていて、人への慈愛を心がけている。












彼らは、何かがあっても無くても、いつもずっと真摯だ。
彼らの言葉にならない気持ちが言葉になった時、とどく。
とどいて、つながる。

真摯さは、人にやさしい。

2011/04/12

ADOCでOT目標設定した過程(ver.100年の花) ADOC process of setting goals in OT

できることをやろう。
できるだけやろう。


先日、ADOC(作業選択意思決定支援ソフト)を使って
特養ホームに入所する女性の作業療法ゴールを一緒に確認した。

とにかく歩けるようになりたいと彼女は話した。
自分で歩けること、1人で安全に移乗できること、
ベッドから立ち上がること、自立してトイレに行くことを希望した。
そして、蘭の花を育てることが大切なことで、
自分にとって大切な役割であること、
今は自宅の庭に咲いた蘭の写真を眺めることが大切だと話した。




ADL能力の維持が、ここ数年の彼女の個別支援目標になっていた。
自立度を維持をすることは、本人が望む限りにおいて大切だと思う。
でも、生活動作の能力が維持できたとして、
それだけが人生の何よりも大切なことになるかと疑問に思っていた。


立ち上がり、歩行、移乗、トイレ動作については、
どこでどのようにできることを希望するのか確認した上で、
作業療法の目標とすることを説明した。
ただし、全く1人で転倒の危険なく安全にできるようになるのは、
難しいと予測されることを補足した。

車いすに乗っていても、車いすに乗るために援助が必要でも、
蘭の花を育てることはできると思われることを説明した。
どうして蘭の花を育てるのが大切なのか、
これまではどこでどうやって育てていたのか、
どこまでの援助は利用してもいいと思っているのか、
協力してくれる家族はだれで、どこまでの援助が可能だと思うのか、
彼女に確認した。

練習によって得られる動作の予後も含めて、
すぐにADOCに入力して印刷した。
夕方には家族にPDF資料を手渡し、
作業療法ができることについてまず説明をした。
それから、本人の希望を代弁し、協力を要請した。




生活活動の回復作業(訓練)あるいは模擬作業(練習)は、
大きな成果を期待できないこと。
適応作業(代償)も考慮するが、
自立性・安全性・効率性について限界もあること。
彼女が自分に期待する役割は花を育てることができる人であること。
習慣化するまで継続的な人的支援を施設内で確保することは、
難しい可能性があること。
身体と精神機能を考慮すると、
少しの援助があれば花を育てることはできると予測していること。
過去に価値のあったやりたいことが、
現在の生活に明確な意味を与える可能性があること。
作業療法士が確実に直接支援できるのは週に2回程度であること、
など、表現はだいぶ噛み砕いて説明をした。


それから家族が彼女に期待する役割や生き方のこと、
家族が継続して可能な支援の内容と時間、
準備することができる道具や物品についての話を聞いた。

蘭の花を育てることができる人を取り戻すために、
物、サービスの環境を準備することになった。
彼女にも説明をして同意を得ることができた。
職員の時間を削ることなく、歩行訓練の時間を削ることもなく、
本人がやりたいと思う意味と目的のある作業に、
参加することを支援できると思う。

数週間か長くても3ヶ月以内に再評価を行い、
蘭の花を育てる活動ができているか、そのことに満足しているかで
支援の成果を判断したいと彼女と家族に説明をした。
100年以上も一生懸命に生きてきた彼女は、
大切なことを大切にできる権利がある。
ボクはそう思うと伝えた。




特養ホームに就職して1年が経過した。
作業療法は特養ホームに必要あるのか、と毎日何度も自問を続けてきた。
もう少し。あと一歩。

ADOCは何のためのアプリか?

2011/04/11

悲しみを拒まない  Do not deny the sadness

悲しみに打ちのめされている人がいたら、
とにかく笑わせようとか、前向きになってもらうことを、
作業療法の計画にしない。目標にしない。
いつも学生に伝えてきた。




学生なら実習で、働いているなら仕事で、
自分の内面に向き合わざる得ない状況に陥ったことを考えてもらう。
君らにお笑い番組を見せたり、癒しの音楽を紹介しよう。
一時的には気が楽になるかもしれないし、悩みを忘れるかもしれない。
でも、ほんとうの苦しみから解放されたわけではない。

一番の問題は、課題は解決したと思い込んで、
それ以上の援助や情報提供などの何らかの貢献、支援を止めてしまうこと。
自分が納得するために何かをしなければと思って、
何かをやったこと自体に注意が向きすぎている時。
その状況が悪いとは思わない。自覚できないことが、問題。

話を親身になって聞くだけなら、誰でもできる。
プロとしてお金を受け取ってサービスを提供する立場にあるならば、
話をよく聞くことで心理的支援になりました、とは言えないとボクは思う。
何らかの成果を示せ、とは言わない。状況を知らずに言うこともできない。

自分の足りないことを知り、そのことから逃げない。
学習や経験によって満たされることもあるだろうが、
それでも足りないことがあるを知っていることが、大切だと思う。
足りないことよりも、止まることが最も良くない。
歩みを止めないことが大切かなと個人的には思う。人には強要しない。




悲しみに打ちのめされている人がいたら、
あなたに何をすればいいのわからずに不安があるが、
どうにかしたいと思っている。
そう素直に伝えることが、相手と自分に対して真摯であると伝えてきた。
これで終わってはいけないが、
この始まりは重要で自然な一歩だと思う。

それは友情に似ている。
思うように相手の感情や思考をコントロールしようとするのではなく、
相手が思う自分になれるように、
押し付けず言いなりにならいことを、約束する。

悲しみも無言も、拒まない。
拒まないことを止めない。
それは、できることだと思う。
多くの人ができていることだと思う。

2011/04/09

作業を選択しない意味と目的  Occupation does not select a meaning and purpose

先日、高齢者マンションで独居生活する方にADOCを使って面接をした。

彼女は繰り返し訴えていた。
「歩ければいい。とにかく、歩ければそれですべて解決する」
「他のやりたいことは今はあきらめる。とにかく歩けるようになりたい」

掃除についてどうだろうかと思い、
イラストを一緒に確認しながら尋ねてみた。
娘がやっているから心配はないと答えた。
その経過があって「掃除をする」という作業は、作業療法の目標から外した。

でも、その後の担当者会議の場では訪問介護を利用して
自宅内の掃除を手伝って欲しいと話していたそうだ。
明日、会えるので確認しようと思っているが、なぜだろうかと考えていた。

「とにかく、歩けるようになりたい」
何度も繰り返す彼女に理由を尋ねると、娘に心配をかけたくないからと答えた。
作業療法の目標で掃除を選択しない理由は、娘がやってくれるからだった。

彼女が訪問介護で掃除を依頼する理由は、娘のためではないかと思う。
自立して安全に掃除ができたとしても、
後から娘さんが再び掃除をしなくても済むほど完全にきれいにすることは、
難しいと判断したのかもしれない。




介助を必要としている日常生活動作や生活関連動作を観察すると、
できるようにしてあげようと思いがちになる。
介助を要求すると、そのことにとても困っているんだと思い込んでしまう。

意味と目的のある何かすること(作業)をやろうと思うことだけではなく、
選択しないことにも物語がある。作業を始めない理由がある。
それは言葉や行動を何気なく観察していても、気がつくことはないだろう。

作業を選択するか、選択しないか、
そのことよりも理由が大切だと改めて気がつくことができた。
ADOCで注意深く彼女の話を引き出していなかったら、
疑問を見落としたまま歩み続けていたかもしれない。

明日、彼女の話をよく聴こう。

情報の価値は変わる  The value of information changes


Q.焼き魚のコゲを食べたら、癌になる?

A.真っ黒に焼けた魚を2万尾食べると、
発がん性が向上する可能性があるらしい。

100尾食べると、1尾食べた時の100倍。
そして、2万尾食べた時の200分の1。
1尾も食べなかった時と比べると、
おそらく、数倍〜数万倍そして数分の1〜数万倍の1。
さらに2万尾食べた時に、
何倍の確率で発症率が上がるのかは不明瞭。
おそらく、数%あるいは1%以下。

焼き魚のコゲを食べる食べると危険か、という質問の場合、
数口のことを想定していると思われるので、さらに桁が変わる。




リスクがあると言えば、あるかもしれない。
でも、あるか無いかではなくて、確率で考えるべき。

情報は、量よりも質が大切かなと思う。
情報量で価値は変わらないけど、
情報の質で価値は変わる場合もあるはずだと思う。



離れた人たちが騒ぎ過ぎると思う。たぶん、ボクも含めて。
冷静になることも、復旧と復興の支援だと思う。

もう大丈夫だと思った時に、しっかり前に進もうと思った時に、
作業参加を遮る壁ではなくて、支える壁になる準備を今からしたい。

THE SERENITY PRAYER


神よ、


変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。


変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。








そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。



ラインホルト・ニーバー(1943)

2011/04/08

A Creed For Those Who Have Suffered

苦難にある者たちの告白


大事をなそうとして
力を与えてほしいと神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと
弱さを授かった

より偉大なことができるように
健康を求めたのに
よりよきことができるようにと
病弱を与えられた

幸せになろうとして
富を求めたのに
賢明であるようにと
貧困を授かった

世の人々の賞賛を得ようとして
権力を求めたのに
神の前にひざまづくようにと
弱さを授かった

人生を享楽しようと
あらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるようにと
生命を授かった







求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた
神の意にそわぬ者であるにもかかわらず
心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた

私はあらゆる人の中でもっとも豊かに祝福されたのだ





NYリハビリテーション研究所の壁に書かれた詩
作者不明