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2012/12/09

Mission of ADOC




Meaningful occupation,大切な作業


日常では埋れているが,誰にでも必ず存在する.

彼らが大切な作業を発掘した時,
ボクは初めて譲れない意志を持った.

彼らが大切な作業の実現に向けて動き始めた時,
ボクは初めて作業療法の楽しさを知った.

彼らの大切な作業が実現した時,
ボクは初めて
作業療法士としての自分を誇れるようになった.

それが今まで埋もれていた,
ボクらにとっての Meaningful occupation "大切な仕事"

"大切な仕事"は"大切な作業"から生まれる

co-creating occupation

2012/12/05

意志の言葉

ボクがなぜあなたを呼び出したのか,
わかりますか.

「娘は親の私に向かって,
あんな言葉を使ったのよ.
しかも手も出したのよ,私は車いすに乗っているのに」

娘さんがそうならざる得なかった,
理由はなんだと思っていますか.

「私があんたとかに手を出したと言うんでしょ.
でもね,私にだって言い分があるのよ」

ボクはその言い分を聴きたいんですよ.


「私が人にお願いする時はね,
ほんとうに身体がキツいからなのよ.
そんなこともわからないでね,
自分でやりなさいって言う人がいるじゃない」

できる時もあるから,
できると思っていたかもしれません.

「私のキツさは,見せたいけど目に見えないのよ.
それなのに私の話も聴かずに,
自分でやりなさいって言うじゃない」


「私にとっては,石をぶつけられたのと一緒.
言葉じゃないのよ,石よ.言葉も態度も同じ,あれは石.
石を投げられて,痛いのよ.
それで我慢しなさいって言うのは,おかしいでしょ」


「私に石が投げられたのも,
私が石に当たって痛いと思うのも,
私にしかわからないことなのよ」


「私がひどい言葉や手を出すのはね,
石を投げられたから,石を投げ返しただけよ.
そうじゃなきゃ,気が済まないじゃない」


「そんな私に向かって娘は,なんて言った?
昔はこんな人じゃなかったのに,
なんでこんな人間になったんだ,って怒ったよね」

「私だって自分がわからないわ.
私はこんな人間じゃなかった.
どうしてこうなったのか,わからないのよ」


「こんな時こそ,家族なら助けてくれるんじゃない.
戦争中,あの子が小さくて,手がかかって,
私も大変だったのに,連れて船に乗ってきたのよ」



「あんな子,あの時に捨てればよかった.
そう言ってやりたかった.捨てればよかった」



それはあなたが最後まで取っておいた,石だね.
一番大きくて,一番固い,石でしたね.

でも,投げなかった.

投げたら気持ちよかったでしょうに.
とても気持ちよかったはずと,知っていたのに,

でも,もしあなたがその石を投げたら,
あなたはひどく傷ついたでしょうね.
後悔して,でも謝れなくて,ずっと苦しんだでしょう.

それでもなりふり構わず,
石を投げることができたのに,しなかった.
あなたは,そのことを誇ってもいいと思う.
ボクにはできなかったと思う.ボクなら投げてしまう.


あの後ね,ボクのところに娘さんから電話があったよ.
ひどく後悔しているって,声に出して泣いていました.

私の知っている誇らしい母親が,
私には理解できない言葉や行動をしていることを,
とても受け入れることができなかった,と話していました..

ボクはね,それは本人が一番気づいているし,
だからこそ苦しんでいるですよって伝えました.
忘れてしまうことや,うまくできないことがあったり,
我慢することが難しくなったのは,
彼女の意思ではありませんよ,と伝えました.


あなたが,石の言葉を投げなかったのは,
あなたが選んだ強い意志なんだと思う.

抑えきれない気持ちを抑えて,
家族を大切にしようという意志なんだと思う.


ボクはそれを,あなたが誇っていいことだと思った.
あなたも気づいているように,あなたは昔とは少し違う.
でも,変わっていないこともあるんですよ.
それはあったけども,今までは見えなかったんですよ.


そういう意味で,
あなたが娘さんと一緒にあなたの変わっていない,
誇れることを発見できたっていうのは,
家族を大切にしたいという気持ちを確認できたのは,
いいことだったかもしれません.



ボクの仕事はね,作業療法士っていうんですけど,
あなたのそういうところを見つけやすくして,
大事にできるように手伝うことです.

変わらないといけないことを,無理に変えようとするんじゃなくて.
あなたが希望していて,変えることができることは変えますけど,
あなたが誇れることもたくさん探しましょう.

あなたの隠れた意志を言葉にして,
ADOCであなたが語った言葉に意志を込め,
職員と家族に伝えることがボクの仕事です.

そうすれば必然的に,
あなたの意志が示した人生を歩めるように,
あなたも家族も私たちも動き始めるでしょう.

2012/11/17

第10回沖縄県作業療法学会は最高だった

ボクらは上手くいこうが、失敗しようが、どっちでもいい。
背中を見てる後輩の気持ちが折れないように、歩み方を意識してる。
ボクなんてまだ若いクセに。でも、大事にしたいことなんだよね。


情熱と愛とユーモアに溢れる10回沖縄県OT学会のスタッフミーティング!
 @ 浦添市てだこホール




第10回沖縄県OT学会・特別企画
「クライエントが語る作業療法の魅力」
いきがいのまちデイ田中さんと利用者が作業ストーリーを語る


在宅はムリと医師に宣言された利用者が、
いきがいのまちデイで取り戻した自分らしさ。涙が止まらない。




いきがいのまちデイ利用者が片手でサンシンを弾く姿をみて、
自分もできると強くイメージできた、と利用者が語る。
それが作業を再び始めようと思ったきっかけ、と。


いきがいのまちデイ田村代表が語る、
片手でサンシンを弾く自分を取り戻したクライエントのストーリー。
何十回観ても、涙がいつまでも流れる。

学会特別企画。
精神疾患と共に生きるクライエントが作業療法の魅力と可能性を語る。
「私を人間として関わり支援するOTが生きるエネルギーの源」
司会はNPO団体コミッと、坂元OT。


精神科病院が私を社会から剥離させた。
社会とつながろうとイメージするから、妄想が強くなった。
閉じ込めないで、地域とつながれるようにサポートして欲しい。




いきがいのまちデイ「マラソンへの想い」
10回沖縄県OT学会ランチョン企画、OTムービーコンテスト




10回沖縄県OT学会ランチョン企画、OTムービーコンテスト。
さて、ADOCショータイム!





重要な作業に焦点をあてることで自信の回復につながった事例
-ADOCの使用経験から- いきがいのまちデイ金武、仲宗根OT

ADOCの面接により、友人と遊ぶ自分を取り戻したいと
思っていたことをクライエントが発見した。




老健における「意味のある作業活動」についての取り組み
-ADOCの使用経験- かりゆしの里、上地OT

老健のOTが若い利用者に、
「リハ目標はなぜトイレ動作の自立でしょうね」と尋ねた。
病院のOTに言われたからだけど理由はわからない、と利用者は答えた。
ADOCを使って初めて、
一緒に暮らしたいと思っていた女性の存在にお互いに気づいた。




認知症デイと社協のコラボOT、
切っ手大作戦!天久台病院重度認知症デイ・アルファ、徳里OT




10回沖縄県OT学会、自主企画セミナー「認知症高齢者の支援」
OT会リーダー講師、上城憲司先生。イイね!しか言わない司会、琉球OT
認知症病棟、認知症デイで働く3人のOTによるプレゼン。

5年前にイギリスでWFOT協会長から叱咤激励、
「国から認められるように日本のOTはもっとがんばりなさい」と。
10回沖縄県OT学会企画セミナー上城憲司先生




イギリスOTの仕事は、アセスメント。生活のマネジメント。

認知症高齢者支援は家族支援とワンセット


入院、入所期間のOTは、退院援助は
入院、入所したその日から始まるという認識を持つこと。

北中城若松病院、認知症疾患型介護療養病棟の中野OT。
入院直後の自宅調査が大事!

小集団で外出し、現地で家族と合流する仕組み。
対象者と家族を離さない。結びつける。




10回沖縄県OT学会、大人の学芸会はじまり!

講演会限定バージョン10年おでん&そば。
第10回沖縄県OT学会のOTムービーコンテスト優勝しました。感謝。

日本OT協会副会長の山根先生より、これがOTの原点だ、とコメント。




学会1日目のラストはかちゃーしー、かちゃーしー!





第10回沖縄県OT学会市民公開講座、3人のDrが語るうつ病。
10年おでん&そばも流れることになりました。




生きる動機の格差。非正規雇用増大の心理的影響。

現代型うつ病の特徴は、役割への拒否。

家族は成長し、成熟し、分裂して生き延びる。
家族は永遠でないことを覚悟せよ。

うつ病デイケアで認知行動療法プログラム。完璧な自分を求めない。

うつは心の風邪ではない。心の生活習慣病。薬と休養だけではだめ。

うつはセロトニンをコントロールすればよい、という考えは間違い。
うつは人生そのものに関わってくること。



参加者は410人でした。昨日の学会は270名の参加でした。

第10回沖縄県作業療法学会
「かえていくもの、かえないもの」 -つながるチカラをカタチに-




今回はまったく新しいシステムや企画に数多く挑んだ学会だった.
その中の1つが学会発表サポートシステムだった.
ボクは学会実行委員としてシステムの導入にも関わっていたが,
研究会運営者として学会サポートにも3人の演者と関わりを持つことができた.
学会の翌日にサポートをした演者から送られてきたメールを紹介する.


「ご協力のおかげで、新たな視点を学ぶことが出来ました。
ここまで協力して頂ける先輩方がいらっしゃることを心強いと感じました。
また、発表をしようと決めたことで村上さん・上江洲さんと繋がることができ、
発表することで他OTの先輩方へと繋がることができました。
厳しくも温かくもある仲間がいるということを感じることが出来ました。
『繋がる』ということをすごく実感できた学会でした。
今回の経験を通して、私自身、成長できたと感じています」


このメールを読んで,システムの成功をはじめて実感した.
研究会を運勢する側としては,
共に学を深める沖縄のOTとつながる方法を模索し続けてきた.
県学会実行委員としては,
日々の臨床で発見したことを共有したり自信を育める場を目指した.
県士会理事としては,
OTが自己研鑽し合える機会を提供することに専念してきた.
そして一会員しては,
私も含めた700人の仲間が楽しく誇りを持って仕事ができることが夢だった.

今回の若い演者から受け取ったメールを読んで,
これまですべての時間とエネルギーが報われた思いだった.




すべての仲間に感謝し,
沖縄県で作業療法士として働くことができて,
心から嬉しく思う.




ありがとー

2012/11/13

花の作業 - 作業療法と教育 -

初めて会った時から彼は,平行棒内の歩行訓練を熱望していた.

左手足はほとんど動かず,かなり支えなければいけなかった.
歩く目標を尋ねたが,聴こえないふりを繰り返した.
車いすを駆動できるが,次の指示を待って動かなかった.
記憶が曖昧で,左方向には注意が届かず,無口という印象だった.
特養ホームでは珍しいことではないが,なぜか気になる存在だった.


ADOCを使って作業療法の目標を確認しようと決めた.






それまでは,何をやりたいのかと聴いても「別にないですよ」と答えていた.
園芸のイラストで表情が動いた.いつもは寡黙な彼の口から言葉が流れた.
「とても大切な生きがいだった」と話した.
どこで,だれと,どんな花木を,なんのために育てていたのか,尋ねた.
彼は大切にしていたことを自分の中から掘り起こすように,語り始めた.


そのストーリーに触れることは,OTにとっても大切なことだった.


「50年前に田舎から都心へ移ってから,空き地で花木を植え始めた.
子供たちと一緒に育てることが楽しかった.花は人に贈っていた.
花は愛情を持って育てることに意味があった.
花木を育てるのは夢だった.身体が治ったら,また始めたい」


「40年前,脳梗塞になった.40歳だった.5年後には職場に復帰した」


「役所の人事課で働いていた.
人を育てる過程や,育った人が働く姿をみるのが好きだった.
趣味だった無線通信士の資格も取った.コイン集めと切手収集も好きだった」


いま,やりたいと思うことで,できるなと思うことは何ですか?

「うん,花を育てることかな」


ここで生活しながら育てるための花木を,園芸店で選びましょう.
どんな花が育てやすいのか,あなたはボクに教えてください.
どこに植えればいいのか教えてくれたら,難しいことは手伝えます.
どのように育てればいいのか教えてくれたら,一緒に育てることができます.


翌週,彼は園芸店で花木について大切なことを教えてくれた.

「クロトンは育てやすいし,見栄えもきれいだよ.
トラノオもいいかもしれない.繁殖について詳しい知識はないけど,
アドバイスは自分にもできるかもしれない.
・・・この身体でも,できるのかな」


できることはやってみましょう.
難しいことは手伝いますよ.やるべきことは教えてください.


「トラノオのは鉢植えがいいかもしれない.
土はこの辺りまで入れてください.かぶせた後は少し押してください.
そうね,それでいいよ.少し水もあげましょう.
鉢は半分が日向で,半分は日陰になる場所に置いてください.
これから水やりもやりますが,・・・あまり自分に期待しないでくださいよ」


あなたはすでに,この花を育ていますよ.


アマリリスの種(球根)も買ってきたので,一緒に植えて育てましょう.
これは,あなたが家でやっていた花を育てる作業と同じですよ.
始める前に満足度は1点と言っていましたが,
どのようにできれば5点と感じるのか教えてください.

あなたが自分の意思で,頭と心と身体と使うことが,
あなたにとってのリハビリテーションです.
歩く訓練も,花に水をあげるための身体を維持する目的になるでしょう.


娘さん,これはあなたの父親が語ったストーリーです.

「昔から自分のことを語らない父でしたので,
今こうやって話を聴けたことが嬉しいです.
父が家で過ごしていた頃のままでいられるために,
庭にある鉢を運びますね.コインも持ってきます.
私たちも父と一緒に,花を育ててます」





種を明るみに出そう.

これはOT実習生の物語.
彼は作業療法士になるのは課題があると宣言され,実習に合格できなかった.
辞めるかどうかの瀬戸際だった.
その彼が,ボクの職場で追加実習として一緒に働いた3週間の物語.
クライエントと上手く話せないと,初日に小さく語った彼自身が育てた物語.

ボクも彼もクライエントも,自分をあきらめていない.

今のボクらにとって,今この場所で,この人々や関係の中で,
花を育てるoccupationの意味は,
環境と人と自分が育ちたいように,少しずつ確実に育てること.

2012/10/18

なんくるなるさ

優しい人になりたい.
頭良い人になりたい.
心強い人になりたい.


いつかなれるよ.
きっとなれるよ.
泣いても笑っても,なれるよ.





ケ・セラ・セラ

私がまだ小さい少女だった頃ね
私,お母さんに聴いたの
私,どうなるのかなって

可愛くなるかな?
お金持ちになれるかな?って

お母さん,こう言ったのよ

ありのままでいいのよ
すべてなるようになるのだから
将来なんてね,誰にもわからないのよ

ありのままでいいのよ
すべて,なるようになるのだから

僕がまだ小さい男の子だった頃にさ
僕,お母さんに聴いたんだ
僕,どうなるんだろうって

カッコよくなる?
お金持ちかな?って

お母さん,こう言ったんだよ

ありのままでいいのよ
すべてなるようになるのだから
将来なんてね,誰にもわからないのよ


ありのままで生きなさい







ありのままでいいのよ
すべてなるようになるのだから

2012/10/15

ゴールデン・ディナー

アンチ・エイジングとは加齢への抵抗.
ゴールデン・エイジとは古き良き時代.
ゴールデン・エイジングという言葉があってもいいよね.



回復期リハ病棟に6ヶ月入院後,通所を利用して1ヶ月が経過していた.
彼は胃瘻から栄養剤を摂取し,ADLは全介助で要介護5だった.
言葉を聞いたことがなかったので,話せないだろうと思っていた.

ADOCを使って作業療法の目標を一緒に決めることにした.

食事のイラストを指差して,「食べれるようになりたい」と彼は話した.
「毎食,口から食べれなくもいい.
夕ご飯の時だけは,家族と同じご飯が食べたいんだ」と泣きながら話した.









泣き終わるのを待って,作業療法士としての意見を伝えた.
事前にカルテを読みました.医師はムリだと書いてありました.
その根拠は,病院のリハスタッフの評価でした.

でも詳しく書いてありませんでした.
楽しみ程度の少しの食べ物もあげてはいけせん,と書かれていました.
検査の時に,どれくらいムセましたか?

「はじめに少しムセたかもしれない.口に水を入れたのは1回だけだった.
ボクはね,納得していない.7ヶ月前からずっと納得していない.
お腹に管を入れたことは,理解できないとずっと思っていた」

話しながら滑舌と会話内容を観察していますが,唾液を飲み込みましたね.
飲み込みが可能か判断するために水飲みテストを,今すぐ実施しましょう.
課題があれば,どこに,どんな課題が,どれほどあるか意見を伝えます.
家族と夕ご飯が食べれることを目標にするか,その時に一緒に判断します.



・・・問題ありませんでしたね.それではリハ目標にしましょう.
いま,看護師と相談員と介護士に立ち会ってもらいましたので,
これからリハビリテーションの目標にすることを説明して,同意を得ました.
しばらくは嚥下評価としてゼリーを食べることから始めましょう.

1ヶ月後に再評価をして,問題がなければ普通食に移行しましょう.
ただし,医師とケアマネと家族の同意を得る必要があります.
私たちからも依頼しますが,あなたも彼らに意思を伝えてください.
専門職と家族の同意をどうやれば得れるのか,一緒に考えましょう.



1ヶ月後



ケアマネさん,娘さん,今日は忙しいところを,ありがとうございます.
まず始めに伝えておきたいことがあります.
これはADOCという作業療法評価とリハ計画書です.
彼は家族と夕ご飯を食べていた頃を,とても大事にしていました.
ずっと言えなかったそうですが,あきらめていなかったそうです.

今から初めて普通食を食べる場面に立ち会ってもらいますが,
これは嚥下の評価でも食べる能力の評価でもありません.
家族と一緒に夕ご飯を食べる生活が,将来的に可能か一緒に考える機会です.
この彼の希望を忘れずに,参加してください.

ムセずに食べることができたら,介助方法について教えます.
料理法,食器,望ましい姿勢,観察するべき点,介助のタイミング,
予測される危険な状態と対処法,段階づけなどについて説明します.
栄養士,看護師,相談員,介護士と一緒に説明します.
でも,どうやるか,何をやるかよりも,意味を知って欲しいのです.


ゴールデンタイムのテレビを観ながら,
家族で一緒に,家族と同じご飯を食べる生活を送るためです.
彼が伝えた,食事を食べることの意味と目的を,共有しましょう.
すべてはこのADOC計画書に書いてあります.

今,彼は歩行器を使えば少しの介助で,歩いてトイレに行けます.
シャツも自分で着けることができます.
日々,ここで介護士と看護師がそうなるように支援しているからです.
これらも彼の希望でした.その理由はすべて,家族のためでした.
食事を口から食べること,と同じ意味でした.







彼は慎重に咀嚼して,飲み込んだ.後半は自らの手で食べた.
その様子を見た家族が尋ねた.
「家族と同じご飯を食べるなら,調理の時に注意することは何ですか」



その瞬間,彼は言葉をつまらせて,

号泣した.

彼に見えたゴールデン・ディナーな日々がボクにも見えた.

2012/10/07

Next to the future of 作業療法

あんたの話は8割が冗談で,1割が言葉になっていない.
まともな話は1割しかないよね

と,先日カミさんに言われた.
そんな人とよく生活できるねー,と言い返してみた.




9月16日にYMCA米子作業療法学術集会で,
「作業に焦点を当てた作業療法実践」について90分プレゼンしました.
特別講演という枠でしたが,特別なことは伝えていません.
一般演題の内容は,特別に素晴らしかったです.




学術集会と懇親会が無事に終わって,翌日は9時間かけて沖縄に帰りました.
ホテルから大きな駅までharadaさんが車で送ってくれました.
その時に彼と話した内容をメモしておきます.忘れないために


イイね!と言ってくれる人がいるなんて,不思議な感じだね.
だってボクらの動機は,他人に認められることではなかったよ.
作業科学と作業行動の勉強会を毎月開催していたけど,
参加者が4人という時があったね.それが半年間続くこともあった.

時間とエネルギーはいくら注いでも足りなかったし,
お金にもならなかった.むしろ,出て行く方が多かった.
親ほど年の離れた同僚や先輩や著名人に怒られたり,
圧力としか定義できない言葉も正面で受けてきた.

ボクらがいつも確認したことは,
「どのように活動するのか」よりも「なぜ活動するのか」だった.
どこで,だれが,どのように,作業療法ができるようになるのか,
クライエントがどのように生きるのかを,いつもイメージしていた.

やりたい仕事ができないのは,環境のせいと言わないように努力した.
時に愚痴をこぼすのは悪いと思っていなかったけど,
それを打開するための視点と方法を,イメージするよう互いに促した.
「どう変えるか」よりも「なぜ変えるのか」を知ろうとしてきた.




ボクらは,作業に焦点を当てた作業療法を実践することで,
クライエントがどんな言葉を伝えてくれるか知っていた.

手が挙がった,真っすぐ歩けた,という感動とは異質だった.
家族のために妻として家事が再びできるなんて思ってもいなかった,
あきらめていたけど友人と行きつけの店に行けるようになった,
というクライエントの言葉の重さ,強さ,彩りを知っていた.

ボクらはそのクライエントの言葉を受けて初めて,
作業療法士としての自分がわかるようになった.
作業に焦点を当てた実践をする以前よりも,
ボクらもクライエントも自分らしさを感じれると知っていた.

それが言葉にできるボクらの目的であり,広げることが目標だった.
勉強会の活動は手段だった.勉強の内容も理解することも手段だった.
手段でわかり合えない人はいたけど,目的はだれとでも理解し合えた.
今のボクらが立っている場所は,そうやって歩いてきた道だったね.

作業に焦点を当てた作業療法の実践によって,
作業療法士が作業療法士としての自信を,当たり前のように蓄積できること.
クライエントが本来の自分らしさを,当たり前のように獲得できること.
この目標が実現できるなら,ボクらは手段を選ばない.




鳥取に向かう2日前,アメリカに在住するCOPM開発関係者から,
ADOCに関する問い合わせメールがあった.
丁寧だったが,危惧していることがあるというような内容だった.
tomoriくんが返信したメールは,シンプルで真摯的だった.


We want to contribute to promote the Occupation-based practice.

「私たちはOBPの推進に貢献したいと思っている」

ボクと侍OTさんはメールのやり取りを見守り,この想いが届くと信じていた.
OTとOTを取り巻く環境に課題があることを知っているハズだし,
何よりも国籍や文化や制度や歴史が違っても,ボクら互いに作業療法士だった.

YMCA米子の講義室でスクリーンの前に立ったボクは,
書籍や対話でボクに影響を与えた国内外の先輩たちを思い出して感謝しつつ,
これから同じ目標に向かう仲間のひとりひとりを見つめて,確信していた.
作業に焦点を当てた実践は,特別なことではなくなる.



未来は僕らの手の中
僕らは泣くために生まれてきたわけじゃないよ

(THE BLUE HEARTS)

2012/10/03

認知症専門OT × ADOC

日記をちゃんと書けよ,と娘に毎晩説いています.先日,tomoriくんと新橋のガード下で酒を飲みながら,同じ事を言われました.これから週に1回以上は日記を書きます.その時に話したのですが,Yhoo!ブログ時代の琉球OTが生々しくて丸くなれず純粋で,ボクは好きです.







9月8日,認知症専門作業療法士取得講習会Ⅲで,講師の手伝いを少しだけした.日本OT協会事務局が入るビルの10階で,新しい東京タワーを初めて見た.テーマは,介護老人福祉施設における認知症高齢者のOTだった.ボクは今,沖縄の特養で勤めている.10年前,この施設に面接に来たが就職できなかった.前日に面接した後輩が即日,採用されていた.仕方なく,回復期リハ病棟を開設する予定だった総合病院に就職した.でもそれが良かった.そこで作業療法に目覚めて研究や教育に関心を抱くようになって.養成校に就職した.



大きな目標を達成する目的と,前向きで家庭的な理由で再び臨床で働こうと思った時,この施設の門を再び叩いた,すでに内定を頂いた病院もあった.何度も誘ってくれる病院もあった.県外の大学院に誘ってくれる先輩たちもいた.それでも今の特養ホームに1月で3度も足を運んだ.



1度目は笑顔で断られ,2度目は苦笑で断られた.3度目,頂いた恩をボクが仇で返してしまった方が、力を貸してくれた.その方にボクを今回の恩は利用者にすべて返します,一生ここで働きますと誓った.祖母が軽費に2年,特養ホームに12年も暮らしていた.だから生活の様子やリハビリテーションについては経験的に少し知っていた.特養で働くOTの友人たちから話も聴いていたので,何を悩んでいるのか,何を望んでいるのかも少し知っていた.


MMSEやCDRで評価をして認知症ではない高齢者はほとんどいないので,今回のテーマは特養ホームの作業療法としてプレゼンした.スライドの1枚目は,


「特養ホームに作業療法士は必要ですか?」


おそらく,ピンとこないと思う.特養ホームで働くOTは日本の作業療法士の中で1%くらいしかいなかったハズ.同じ作業療法士でも特養で働いているOTの声はあまり聴いたことがないと思う.それから特養ホームにおける作業療法士の位置づけ,入居者や職員に期待されていること,人員配置,ボクが知っている全国各地の特養で働くOTの悩みと希望を伝えた.そこで再び,尋ねた.


「特養ホームに作業療法士は必要ですか?」


はじめの質問と違って,はっきりと答えをイメージできたと思う.残念ながら「必要ないかもしれない」と心の中で答えただろう.その上で,ボクが同僚の作業療法士と介護士と看護師と相談員と家族が一緒になって支援している実践についてプレゼンした.大事なことは,「特養ホームで,チームと一緒に,何をやったのか」ではない.何をやったかよりも,なぜやったのか,が大事.何ができたかよりも,どのような過程を踏む事ができたか,が大事.迷わず進むためには,作業の物語が重要な役割を担う.1つ1つの失敗や成功に一喜一憂しながら,今は誰にも見えていない大きな目標に向かって進むこと.入居者ひとりひとりの作業の物語を全員で支援できること.







作業療法と同じこと.自分に作業療法をすること,組織に作業療法をすること.そのために,まず自分に対して作業のインタビューすること,チームメンバーにも,家族にも作業に基づいた面接をする.認知症高齢者が症状にジャマされて作業についての対話をうまくできなかったら,変わらない生活に慣れてしまってイメージすることが難しかったら,実現不可能だと言われることを恐れて言葉を慎んでいるとしたら,ADOCを使って欲しいと伝えた.それはすべての問題を解決するためのツールにはならないかもしれないが,今より少しでも作業療法士が作業療法士らしくなれたと思うかもしれない.認知症高齢者が作業療法を通じて自分らしくなれるかもしれない.







特養内デイサービスは一見すると単なる書道や手工芸に見えるかもしれない.気晴らしの散歩や園芸に見えるかもしれない.でも,年齢や疾患や居住フロアや性別や要介護度や物理的環境で,活動は決めていないし,参加者も参加方法も決めていない.入居者ひとりひとりの希望をすべての職員で確認し,希望を話せない入居者は家族に確認し,集められた100の希望に基づいて活動を運営している.OT同士でインタビューもした,すべての職員にアンケートで業務を通して支援したい利用者の人生についても確認した.


その成果をボクは作業療法士なので作業療法の視点で分析し,チームや入居者や家族に語り伝える.過程ではいつも作業療法の視点で考える.作業療法の成果は,機能評価だけではなく,クライエントの個人的物語に関係する作業への参加度や参加による満足度で判断する.その実例を余す事なくプレゼンして,最後のスライド.


「特養ホームに作業療法士は必要ですか?」


特養ホームに作業療法士は必要です.法的には作業療法士である必要はありませんし,始めは職員と入居者にも必要とは言われないかもしれません.でも,認知症高齢者に作業療法は必要です.根拠となる実践報告は示しました.量的根拠も必要です.作業療法士が作業療法士らしくありたいと思うなら,誰かが働きやすい環境を整えてくれまで待ってはいけません.なぜなら,誰もやってくれないからです.私たちで,私たちのために,私たちに作業療法をしましょう.


老健の作業療法も同じことです.共同研究者を募集しています.(←案内へリンク)


私たちと社会のために,私たちで可能なことをやりましょう

2012/09/13

2012.YMCA作業療法学術集会の案内

直前の案内になりましたが,
週末に鳥取県米子に参ります.





高校生の時に琉球OTを読んで作業療法学科に入学したという,
7,0000名中で1名しかいないだろう貴重な学生さんにも会えます.


講師の依頼があった場合,ボクみたいなおバカでよろしいでしょうかと
恐縮する一方で,引き受ける時にはルールを決めています.

「内容はご自由にどうぞ」と言われても,
「聴き手がどのように行動を起こすことが目標ですか?」と確認します.

OTも意見を述べるという特徴のあるADOCと同じことですが,
言いなりにも押し付けにもならないようにしたいと思っています.
主催者がイメージする「目標とする状態」を確認した上で,
ボクから提案をする場合もあって,互いが納得するまで協議します.

今回,沖縄で臨床で共に悩み,勉強会運営で共に汗を流した鳥人OTさんと,
何度もSkypeで話しって準備を進めてきました.
その過程があるのでネタに不安はありますが,構成には自信があります.




なぜ面接が必要か,なぜ作業について話し合うか,
なぜADOCが必要だったのか,について伝えます.





ボクにとって作業療法に関する研究も臨床も教育も管理運営も,
すべて手段であって目的は明確に見えている,という話しをします.





もちろん,ADOCについても説明をします.




琉球リハ学院を退職した後に,生活期の領域に縛られないで,
作業療法について90分間メッセージを送るのは初めてです.
おそらく,今後もないだろうと思います.




ボクの暮らす那覇から見れば台湾,上海,韓国より遠いけど,
昔から世話になっている仲間と,これから世話になる仲間のいる米子に,
台風を引き連れて北上します.




鳥取の熱いOTの演題発表を心から楽しみにしています.

2012/08/25

第10回沖縄県作業療法学会の挑戦

2012年9月22日〜23日に第10回沖縄県作業療法学会が開催されます.事前申し込みの受付締め切りを8月末日まで延期しました.






自信がないとOTから相談があった時,学会での事例報告を勧めています.発表による達成感を味わうというよりは,自分の経験を自分の言葉で振り返り,自分で考え,自分で調べる過程にこそ価値があります.ある一定レベルは結果の信頼性や妥当性は必要でしょうしが,その「ある一定レベル」の判断基準は査読者でも厳密には統一されていません.査読者の質を判断する基準も明確化されていません.したがって,発表に値しないという自己や職場仲間の判断で断念することに疑問がありました.まずやってみることでしか,わからないことがあります.信頼性と妥当性が証明されていない判断基準で報告の機会を失っているとしたら,社会と会員にとって損失と言ってもいいかもしれません.






沖縄県作業療法士会と学会運営委員は新しい仕組みに挑戦しました.学会発表サポートシステムと呼んでいますが,抄録からプレゼン資料までを包括した「オープン査読システム」のことを指しています.従来のダブルブランドシステムでは,報告を希望する県OT会員は抄録を送った匿名の査読者から,指導や助言が記載された文書を一度だけ封書で受け取っていました.新しいシステムでは希望した会員に限って,各研究会が責任を持って抄録の査読とサポートをします.各研究会は研究分野と教育法についての知識と技術が「ある一定レベル」は保証されていると前提した場合,学会全体の質が向上すると期待しています.また,研究会にとっては特定分野の学術を深める仲間とのネットワーク構築へと発展するかもしれません.報告の質について批判的意見を述べるだけではない建設的な支援の過程は,新たな学術的見解と遭遇する機会になるかもしれません.







県OT会,各研究会,県OT会員,学会運営委員会の使命を考え直した時,それぞれは予算やコネクション,実働する人員,看板を貸し借りする関係ではないと気がつきました.大きな目的と意味に向かう1つの小社会であり,目的を実現するための手段が違うだけです.それぞれに強みがあり,強みを活かした支援をしても見返りを求めることなく,協力し合ってこそ互いの強みがさらに活きているはずです.これは理想論ではなく,効率的な方法論だと思っています.なぜなら・・・長くなりそうなので図解して締めます.






知識,技術,態度をより成長させたいと臨床でがんばる県OT会員,その会員で集まって学びを深め合っている研究会,会員と研究会が経験と知識を共有できる場を設けようと無償で働く学会運営委員会,会員の社会的地位向上と社会貢献をサポートできる方法を模索する県士会.もし,学会と研究会と県士会を解散させても,必然的に同じような役割と性質の組織が誕生することになるでしょう.2012年9月22日,23日に学会へ参加される会員の方は,この日に込められた目的と意味を少しだけイメージするとより楽しめるかもしれません.そして今年は発表できなかった会員も,来年は挑戦して欲しいと思っています.








2012/08/23

ゆるゆるす

息子が自分の頭をカミさんの耳に、
ゴリゴリと押し付けていたらしい。
気がついた彼女は息子に言った。

「トムとジェリーはマンガだよ。
ママの耳に入って口から出てこれないよ」
なーんだ、とつぶやいたらしい。






揺れない、広くて丸い心を持ちなさい、と言う。
そうでありたい。だから、
偉人のメッセージに蛍光ラインを引いておく。

それでも、許せない!と感じた瞬間に、
正義の鉄槌を下したくなる。
しばらくして、そんな自分を責めたくなる。

自分に向けた刃は容赦なく急所を狙う。
次から同じような気持ちにならないよう、
傷跡がわかるように斬りつける。

痛みって必要かな?
変わる必要なんてあるかな。
聖者はなれなくても存在してイイよ。

自分が自分を否定すると、かわいそう。
自分だけは自分の味方であって欲しい。
聖者がベストだけどムリなら仕方ないねって、言って欲しい。

それに、
自分は変わらないと許されないと思うから、
人も変わらないと許さないと思い込むかもしれない。
それもまた苦しい。必要のない苦しみだと思う。



揺るがず、広く、大きな心は、
自分に向けた方がいい。
揺らいでも、狭くても、小さくてもいい。

耳から入ってきた言葉も、
口から出て行った言葉も、
温かいものだけを握ればいい。

みんなのリハプラン


飲食店は、食べ物を売っているんじゃない。
不動産屋は、物件を売っているんじゃない。
学校は、知識を売っているんじゃない。

家族や親しい人々との時間や関係を築いたり、
保つための手段を提供しているんだと思う。
医療福祉屋も同じで、それが社会だと思う。






始めて手に入れたデジカメはCanonのIXYで,
回復期リハ病棟に働いていた8年前だった.
画像は年に20,000枚,動画は2,000本も撮影した.

機能的回復に伴って日々変わるADL動作を画像や動画で共有した.
日常的な生活で必要以上に介助しないことが,
最も効率的で効果的なリハビリテーションと思っていた.

本人の同意を得て他の患者さんに見てもらうこともあった.
病気によって馴染みのない身体と病院環境で,
これからの生活がイメージできない方に役立つこともあった.



5年前,頸椎損傷を負った彼にAMPS講習会でライブケースを依頼した.
彼はヘルパーに自分を撮影させて後日Youtubeに公開した.
公開前に日本AMPS研究会に許可を伺ったところ,
担当者はアメリカAMPS研究会にも問い合わせてくれた.
世界中のAMPS講習会受講生と講師に紹介したいと,
返信があったらしい.彼はそれを何よりも喜んだ.

1年後、彼と一緒に新しい仕事もした.
車いすなど使って街や公園や飲食店を歩き,
車いすがあっても作業に参加できる方法を,
琉球リハ学院のOT学生100名に画像と動画で集めてもらった.
学生らが集めたデータを彼には編集してもらい,
インターネット上で公開してもらった.

それらの動画は通所リハの利用者に閲覧してもらい,
あきらめていたけどやってみようと思う気持ちを,
湧き上がるための道具として使用した.



それぞれの強みを活かして,互いに貢献できることがある.
遠く離れていても.年齢や経験年数が違っていても,
働く領域や病期が異なっていても,別の専門職でも,
身体や精神に障がいや症状が残っていたとしても,
互いに貢献できることがある.
それは自分のためにもなる.



それは信念のように思っていたので、
3年前にtomoriくんからADOCと「みんなのリハプラ」のアイデアを聞いた時、
ボクは「みんなのリハプラン」の方がニーズは高いと思った.







リンク→みんなのリハプラン

みんなのリハプランとはリハビリテーションで工夫したことを、
写真や動画で世界中の人々と共有するためのサイトです。






さきほど,

①観光ホテルのトイレと浴室を使用する方法
②片手でコーヒーを淹れる方法
③車いすで沖縄そばを食べる方法
④関節拘縮改善クッションの作り方
⑤COPMの使い方
⑥要介護5でもゴルフ観戦できる方法
⑦ADOCインタビュー方法
⑧片手でチラシを使ってチリ箱を作る方法

を投稿しました.

2012/08/10

15年ガーデン    -ADOCアップデート-

通所の介護士とケアマネから依頼があり,
彼にADOCを使用して目標を設定することになった.
階段昇降などの機能訓練には積極的だが,
目的が不明瞭で通所利用が継続しなかったらしい.
妻は訓練の目的を知りたがっていた.


15年間ずっと,知りたがっていた.


単語であれば意思を伝えることが彼は可能だった.
作業を選択するために,単語と身振りで意思決定をした.
車いすから身を乗り出して,iPadの画面を指差した.
彼は仕事がしたいと訴えた.
15年前に離れた仕事に戻りたい,と物語った.

単語と瞳と全身で,物語った.

本人,家族,相談員,ケアマネが同席する場で,
検証中だったADOCの新しいPDF書式を全員に配布した.


50歳で脳にダメージを受けてから,
病院,支援センター,デイケア,デイサービスを
転々としていたことはカルテ情報から知っていた。
そこで様々な機能訓練やレクリエーションや手作業を,
彼は熱心に取り組んでいたことも知っていた.


ボクは彼に意見を述べた.
「いま,不況です.同じ仕事に戻るのは,難しいかもしれません.
給料の発生しない,ボランティアではどうでしょうか?」
ちがう,と彼は強く答えた.
その日は目標設定についての話し合いを中断した.



翌週,話の続きがしたいと申し出ると承諾してくれた.
「この通所の上には,老人ホームがあります.
屋上階には広い屋外ガーデンもあります.
入居している高齢者は,外出の機会が多くはありません.
車いすに乗って屋外ガーデンを散歩すると,喜びます」

彼は何度も,強くうなずいた.

「管理している職員もいますが,忙しいです.
草木が枯れることもあります.悲しい,と言う人もいます」

「あなたは.造園業をやっていましたね.
ここで暮らす高齢者と,その家族のために,
屋外ガーデンの管理をしてもらえませんか?」

彼は大きく一度,うなずいた.

「給料を払うことは,難しいです.
でも,あなたが手入れした草木を眺めて,
心から喜ぶ高齢者がいます.それを見て喜ぶ家族がいます」


彼は大きく何度も,うなずいた.


「もし,これが望んだ形の仕事ではない場合,
自分のタイミングで辞めてしまって構いません.
もし,必要があって希望する場合は,
通所を利用する日以外に,ここで仕事をしても構いません」

「通所利用ではない日に来ても構いませんが,
それを問題と考える職員や家族もいるかもしれません.
事故が起こったら誰が責任を取るかと言う人が,いるハズです」

「でも,自分の意思と身体を使って訪れたあなたを.
力で強制的に止めたり,追い出すことは誰にもできません.
立ち向かう必要がある時には,ボクも力を貸します」

「選ぶのはあなたです.責任も自由もあなたにあります.
あなたは子供ではないので,私はあなたから選択権を奪いません」

彼は翌週から通所利用ではない日から,訪れるようになった.






彼の妻は会議の場で話した.


「夫の希望を初めて知りました.
この紙は私も頂いてもいいんですか.
ここに書いてあることは,私がずっと知りたかったことです」


どうぞ,何度も読んでください.
旦那さんは自分の意思で,自分の心と頭と身体を使って,
リハビリーテーションをします.私はその手助けをします.
この紙は通所のすべての職員が読みます.
私たち全員で、旦那さんが思うような生活を送れるように支援します.

私は作業療法士といいます.

2012/08/01

ADOCとOSセミナーin札幌


2012年7月16日,札幌医科大学で弁当を食べながら,
科学哲学者の村上陽一郎によって書かれた,
「人間にとって科学とは何か」を読み返していた.

いつものところで目が止まった.
「環境問題,医療福祉などにおいて,専門家としての科学者だけに委ねず,
一般の人々も生活者の立場で参加し,考え,意思決定をすることが必要」


第16回日本作業科学セミナーに参加した.





勇気と元気を振り絞ってポスター発表をした.






特別講演に参加することも目的の1つだった.

ドリス・ピアス先生は作業科学の4つの本質として,
記述に関わる作業科学,関連分野との作業科学,
予後に関わる作業科学,処方関連の作業科学を挙げた.
作業科学は作業療法を支えるために研究を生み出す,
と,まとめたように思う.


ルース・ゼムケ先生も同じように現状を整理し,
作業科学と作業療法の関係性について提案されていた.
そのためにまず,作業とは何か,科学とは何か,
理論とは何か,研究とは何か,と問いを立てていた.


近藤先生による佐藤剛記念講演が印象的だった.
葉山靖明さんへの面接を通して発見した事実について,
作業療法士として解釈,説明されていた.
さらに壇上で葉山さんとの対談.


作業科学に基づいた質的研究が,作業療法にどのように貢献できるのか.
というOS誕生と同時に生まれた疑問に,真摯に応えようとしていた.
専門家の解釈だけではなく,葉山さん自身の強いメッセージが,
作業療法士の主張,解釈を力強くサポートしていた.理想的だった.


懇親会にも参加した.
日本各地の作業科学研究会が壇上で活動報告と情熱を送っていた.
勧められて壇上に上がり,みんな家族だよ,と空気を読まずにしゃべった.





来年は福島で開催.次期開催に向けた挨拶で最後は締めくくれた.
侍OTさんの相棒,munakataさんが齋藤さんの熱い原稿を読んだ.
ボクは思わず感極まって少し泣いた.




セミナー終了後,チャンスがやってきた.
走って講師の前に立ちはだかった.
世界中の作業療法士に最も影響を与えるOTの1人である,
ゼムケ先生とピアス先生にADOCプレゼンをするために!
無理に休日を取って旅費交通費は自腹でもやりたい作業だった.


自然な文脈の中で作業についてのストーリーを引き出す,
と強調している作業療法と作業科学のリーダーは,
ADOCについてどのように反応するのか興味があった.
批判的な意見があるかもしれないと覚悟していた.
英語は全く話せないし,聴き取れないので,
助けてくれーと周りの人にお願いしながら,飛び込んだ.




「わお!これって素晴らしいアイデアだわ!エクセレント!
日本人って,COPMを使っても自分の意見を上手く表出できないからね.
こういうツールがあると助かる人は多いかもね.
あなたたちが開発したの?どうやってダウンロードすればいいの?
詳しく知りたいからHPがあったら教えてよ」


以上は後で友人に教えてもらったことで,
ボクはひたすらにADOC英語版のインフォメーションボタンを押して,
「ディス イズ!」と「オー,サンキュー!」ばかり言っていた.
そうかー,受け入れられているんだ,とは雰囲気でかなり伝わった.



隣に立っていたゼムケ先生の夫はエンジニアだと自己紹介した上で,
「本当に素晴らしいね.これは君らがプログラミングしたのかね?」と,
流暢な日本語で尋ねてきた.
いえ,レキサス沖縄という会社に依頼しました,とハキハキと答えた.



「わお!これって素晴らしいアイデアだわ!エクセレント!」

これだけは英語でも伝わった.
何度も親指を立て,しきりにADOCを操作していたので,よく伝わった.

作業療法士として,エクセレント!な体験だった.