ページ閲覧数

2012/10/07

Next to the future of 作業療法

あんたの話は8割が冗談で,1割が言葉になっていない.
まともな話は1割しかないよね

と,先日カミさんに言われた.
そんな人とよく生活できるねー,と言い返してみた.




9月16日にYMCA米子作業療法学術集会で,
「作業に焦点を当てた作業療法実践」について90分プレゼンしました.
特別講演という枠でしたが,特別なことは伝えていません.
一般演題の内容は,特別に素晴らしかったです.




学術集会と懇親会が無事に終わって,翌日は9時間かけて沖縄に帰りました.
ホテルから大きな駅までharadaさんが車で送ってくれました.
その時に彼と話した内容をメモしておきます.忘れないために


イイね!と言ってくれる人がいるなんて,不思議な感じだね.
だってボクらの動機は,他人に認められることではなかったよ.
作業科学と作業行動の勉強会を毎月開催していたけど,
参加者が4人という時があったね.それが半年間続くこともあった.

時間とエネルギーはいくら注いでも足りなかったし,
お金にもならなかった.むしろ,出て行く方が多かった.
親ほど年の離れた同僚や先輩や著名人に怒られたり,
圧力としか定義できない言葉も正面で受けてきた.

ボクらがいつも確認したことは,
「どのように活動するのか」よりも「なぜ活動するのか」だった.
どこで,だれが,どのように,作業療法ができるようになるのか,
クライエントがどのように生きるのかを,いつもイメージしていた.

やりたい仕事ができないのは,環境のせいと言わないように努力した.
時に愚痴をこぼすのは悪いと思っていなかったけど,
それを打開するための視点と方法を,イメージするよう互いに促した.
「どう変えるか」よりも「なぜ変えるのか」を知ろうとしてきた.




ボクらは,作業に焦点を当てた作業療法を実践することで,
クライエントがどんな言葉を伝えてくれるか知っていた.

手が挙がった,真っすぐ歩けた,という感動とは異質だった.
家族のために妻として家事が再びできるなんて思ってもいなかった,
あきらめていたけど友人と行きつけの店に行けるようになった,
というクライエントの言葉の重さ,強さ,彩りを知っていた.

ボクらはそのクライエントの言葉を受けて初めて,
作業療法士としての自分がわかるようになった.
作業に焦点を当てた実践をする以前よりも,
ボクらもクライエントも自分らしさを感じれると知っていた.

それが言葉にできるボクらの目的であり,広げることが目標だった.
勉強会の活動は手段だった.勉強の内容も理解することも手段だった.
手段でわかり合えない人はいたけど,目的はだれとでも理解し合えた.
今のボクらが立っている場所は,そうやって歩いてきた道だったね.

作業に焦点を当てた作業療法の実践によって,
作業療法士が作業療法士としての自信を,当たり前のように蓄積できること.
クライエントが本来の自分らしさを,当たり前のように獲得できること.
この目標が実現できるなら,ボクらは手段を選ばない.




鳥取に向かう2日前,アメリカに在住するCOPM開発関係者から,
ADOCに関する問い合わせメールがあった.
丁寧だったが,危惧していることがあるというような内容だった.
tomoriくんが返信したメールは,シンプルで真摯的だった.


We want to contribute to promote the Occupation-based practice.

「私たちはOBPの推進に貢献したいと思っている」

ボクと侍OTさんはメールのやり取りを見守り,この想いが届くと信じていた.
OTとOTを取り巻く環境に課題があることを知っているハズだし,
何よりも国籍や文化や制度や歴史が違っても,ボクら互いに作業療法士だった.

YMCA米子の講義室でスクリーンの前に立ったボクは,
書籍や対話でボクに影響を与えた国内外の先輩たちを思い出して感謝しつつ,
これから同じ目標に向かう仲間のひとりひとりを見つめて,確信していた.
作業に焦点を当てた実践は,特別なことではなくなる.



未来は僕らの手の中
僕らは泣くために生まれてきたわけじゃないよ

(THE BLUE HEARTS)

0 件のコメント:

コメントを投稿