ページ閲覧数

2025/11/30

作業療法の教育

仙台
午前9時.仙台朝市を散策してから駅に向かった.昨朝は立ちながらミニ海鮮丼を喰らった.各扉には10名ほどの人々が並んでいた.車内に乗り込むと落ち着いた雰囲気だったが,徐々に若者たちの話し声が重なり合って騒がしくなった.8年前の2017年1月,今以上にまだ何者ではなかった僕と齋藤さんは仙台市青葉で,作業療法における目標設定について講義を開催した.その夜,初めて雪を見たことは覚えている.

長町
仙台駅から6分.乗る人も降りる人もあまりいなかった.昨日は仙台青葉学院大学・短期大学の長町キャンパスで開かれた第30回日本作業療法教育学会に参加した.大会長講演,教育講演に続いたワークショップで僕は司会を担当した.熊谷大会長の講演はオーケストラの厳かで折り重なるハーモニーのように,彼の選択した言葉が胸に響いた.覚悟,と表現した方がふさわしい.省察という単語が何度も登場し,感情や現行のシステムに流れされることなく冷静に現状を分析し,より望ましい状況へと変革するために建設的な意見を交じり合わせようという意志を受け取った.丸山さんの教育講演は思考の過程を言語化し,共有することの価値を説いていた.具体的なケースや比喩を多用しており,聞き手が結論と根拠をイメージできるように伴走してくれたので,納得感を得られた時間だった.良質なビジネス書を読み切った感覚だった.

太子堂
聖徳太子を守護神として祀る祠(ほこら)が地域の由来となっているらしい.ワークショップは養成校教員の立場から高橋さん,元実習生としてOT3年目の中村さん,臨床実習教育者として三浦さんが登壇した.積極性が足りないという抽象的な指導に対して自信を失い,自分への信頼も削り取られ,ただ乗り越えることが目的になっていた体験を共有してくれた.そこから客観的に状況を捉えるサポートに指導者は徹し,目標を明確にして実現するための方法を自由な発想で導き,行動に踏み切った.学生を中心にした臨床実習教育者と養成校の連携は,作業療法そのものであった.作業療法の教え方はこの10年で進歩したように思う.同時に考えるべきことは,作業療法の何を伝えるのかという議論が十分にされているのかと問い直す段階にあることを,教育に関わる人が共通認識することである.その流れを作ろうとしている学会の企画構成に気づいたとき,ふるえた.

南仙台
竹林さんが執筆した,予後予測って結局どう勉強するのが正解なんですか?が医学書院から出版された,南光堂からは基礎作業学テキストが東先生の監修,齋藤さんの編集で発行された.考えることを考えるように促し,なおかつ読者に手を差し伸べて,理解しやすいよう最大限に配慮された書籍だった.間違いのない答えと,そこに辿り着く思考プロセスを確実に手に入れいたいと願うのは,成長意欲があるからこそ湧いてくる考え方だと思う.背中を見て学ぶ,まず経験して理解するという教育が昔は投げっぱなしを正当化したが,今はそれではついてこない,なんて思わない.わかるように教えた方が理解は深まる.今も昔も変わらない.

名取
せり鍋は名取の名物であったが,仙台の名物として売り出されている.昨夜,名取の人が悔しいと話していた.草の根っこは食わんという地元の人がいて,これを食べるのを楽しみに沖縄から訪れた人がいる.地元でも家で料理することはあまりないらしい.根っこをきれいに洗うことが難しく,時間と手間がかかるという.体験したことがないから,わからない.

杜せきのした
多くの乗客が降りて車内は静けさを取り戻し,温度が下がった.昨夕,出版社の編集者と打ち合わせた.洋館スタイルの小さめのカフェで,光を抑え込んだ店内の空気と甘いモンブランと苦いコーヒーは調和していた.クライエントの前に立ち,自分の知識と技術の不足を知り,打ちのめされてしまうことは悪いことではない.そこから膝を立て,腰を上げ,前のめりに立ち上がる強さは,不安を知らなかった頃よりも自信に満ち溢れている.しかし立ち上がれなかった同僚や後輩,先輩も数多く見てきた.歯を食いしばって泣いている人に,頑張れとは言えない.もう少しだけ前に進んでみようと思えるように,僕らにできることは何だろうかと仲間たちと考え続けきた.その答えがADOC,COT(日本臨床作業療法学会),医学書院の事例本シリーズだった.まだ足りない.

美田園
すぐに1人降りた.発車前に1人乗った.今年,2025年2月に齋藤さん,福岡の田代さんと山田さんと共に福岡県作業療法学会の基調講演で登壇した.学会の申込者は過去最多の400名だったという.伝えたいテーマは10年以上変わっていない.クライエントの可能性を信じ,共に歩み,目標を実現しよう,ということ.その過程で周りの理解が得られないことも,自分を疑うことも冷静に受けとめて,自分が正しいと思う道へ進めばいい.責任と自由を両の手で握りしめて,考え方の違う人たちと議論することを推す.

仙台空港
終点でも降りない客は何だろうか.コロナ禍はものの見方や考え方をすべて変えてしまったが,もうすでに多くの人は忘れてしまったように見える.忘れることは心の痛みをおいてゆくから,生きていく上で大事な習慣だと思う.あの時代が人間にもたらした良い影響は2つあって,1つは感染症に対する知識と技術を向上させたこと.もうひとつは前提を疑う視点.事実に基づいて結果を予測するのか,仮説の正しい知識やルールに基づいて考え方を展開するのか.事実が正しくないこともあるし,ルールが間違えていることもある.帰納的思考と演繹的思考のどちらが有効かというよりは,自分がどちらを採用しているのか冷静に見極め,状況に応じて使い分けて,より正しいと思える結論に近づいていく.意識的か無識的かは問わず,私たちは落ち着いて考える習性を身につけたのではないかと思う.深夜に飲み屋で立って牛タンを日本酒で流し込みながら,そうだといいなと独り呟いたのを思い出した.

那覇空港
空港には長女が迎えに来た.駐車した場所を忘れてしまい,しばらく巨大な駐車場をさまよい歩き続けた.看護大学3年の彼女は先月,急性期病院の整形外科と老健施設,先週は総合医療センターの小児科で臨床実習に挑んだ.どの実習指導者も丁寧でとても優しいという.私たちが選択した言葉と行動は私たちを形づくり,その影響を受けた周りの環境も少しずつ変わっていく.私たちの学生に対する姿勢は組織と地域の文化となり,いずれその輪の中に私たちが関係する人々も参加するかもしれない.人の可能性を信じて,自ら能力を発揮できるようにサポートすることが,当たり前になるといいよな.

2019/09/23

好きな人が他の人を好きになったら


好きな人が他の人を好きなったら,どうしたらいいんでしょうか?
相談を受けたわけではないけど,勝手に考えてみます.

結論から述べます.あきらめてください.
感情はコントロールできません.
たとえば,ハイボールが好きな人,サッカーでも映画鑑賞でも散歩でもいいのですが,
嫌いになれと人に言われても無理です.
ハイボールの代わりにタピオカミルクティーを好きにさせることはできません.

君が好きな人を嫌いになることはできない.
君が嫌いな人を好きになることもできない.
自分でコントロールできないのだから,
他人がどうにかできるわけがありません.
君にできることは2つもあります.
ドアを開いて君が部屋を去るか,
ドアを開いて相手を部屋から出すか.

ストーカーはエネルギー対効果が低いです.
愛してると100回言えば101回目に結ばれる,わけがありません.
もったいないという考えも捨てましょう.
費やした時間,お金,経験は惜しいです.
でも君が40代なら残りの40年,30代なら50年,20代なら60年,
そっちに投資した方が楽しいです.きっと未来も開きます.

君が好きになった人の世界に君はいません.
君の世界には君がいる.だから好きなものを飲んで,映画を観て,散歩しましょう.
自分を無理にコントロールしないでください,泣きたい時は泣いてください.
ドアを開いて,外に出ましょう.理由と目的はなくてもいいのです..
好きなタイミングでスローインしてください.

こういった相談を受けたことはありません.

2019/09/16

作業療法の話をしよう

ブログを始めたのは12年前.twitterやFacebookはなかった.
ネット環境は整っていて,ブログを書いている人は少なかった.
作業療法の世界は手技を中心としたアプローチが圧巻していた.
今でいうOBP,作業に焦点を当てた実践はマイノリティだった.
学会で発表してもオタクとして見られていた気がする.
悔しくなかったけど,満足していなかった.

弱い立場の少数派はネットで叫んでいて,反骨精神は理解できた.
ただ,あまりにも偏った視点だと,読んでいて気恥ずかしかった.
作業は素晴らしい,作業療法は最高だ,と言われても,
効果を証明できない手技アプローチと変わらないじゃないか.
「認めて欲しい」が興奮すると美しくない.
不安が伝播して集団化すると暴力性は正当化されて,みにくい.

技術と技術の対立,技術と理論の対立,理論と理論の対立.
耐えきれず,しかたなくブログを書くことにした.
手段と目的を混同しない.曖昧なことから逃げない.ポジティブ思考になる.
誰かを攻撃するたびに自分が傷つくなんてバカだろ,
自分には前向きな視点と行動力があるってことを思い出そうぜ,
と伝えたかった.

記事を書いているうちに気づいた.
誰かのために書いているつもりでも,自分のために表現していた.
自分のために書いているようで,誰かのために言葉を探していた.
書くこと,読まれることを通して,
誰かと自分を応援したかったのかもしれない.
自分もそうやって支えられた.

そうか,そのために書いてたのか.
対立を根絶することが目的ではなく,
自分と誰かの大切なことを守りたかった.
作業療法士という仕事は不確かなことも多いけど,
より確実な選択肢を多くの人と創り上げたいよ.
作業療法士のためではなく,作業療法が必要な人のために.

京極真さんが沖縄で講演してくれる.
探し続けていたものが,きっと見つかる.
みんなで作業療法の話をしよう.











2019/07/05

12人のクライエントが教えてくれる作業療法をする上で大切なこと


次の文章に惹かれた.

「しかしながら,相対的に価値があるかどうかではなく,絶対的価値観の中で,自己の作業遂行に対する満足度を高めていくことができれば,環境との相互交流の中で生じる揺らぎや葛藤に対して,それ自体をなくすことができなくても,うまく折り合いをつけながら生活を送ることは可能だと思います」
(循環を支援する.p.14

私小説ではなく専門書の場合,本来は執筆者の人格が見えにくい.
あの人だから実践できた,思考できたと解釈される可能性はいくらか抑えられる.
本書は根底に確立された理論や学問,科学の存在があった.
読者は巻末の参考書をきっと読みたくなる.したがって間違いなく専門書である.

が,執筆者がみえた.真摯に歩み続けた臨床家の姿が.
理想的な結果に結びついた支援の裏に,思い込み,知識や技術の不足が招いた苦い経験をみた.
クライエント,家族,職員,さらには自分の意思,価値観,能力,役割を想定し,仮説を立て,
言葉と行動を選び,相手の反応から推察をさらに深める.

その表現を,その構成を選択した背景に,どれほどの迷い,葛藤,後悔があったのか.
重圧と無力感にいくら襲われたのか.
彼は浮き沈みを繰り返す過程で手に入れたものを,私たちが受け取りやすい形で分けてくれた.
前を向こうとする作業療法士が,揺らぎと折り合いをつけながら生きることを願って.

正解なんてない,天才なんていない,完璧な環境なんてありえない.
だからこそ,自分と誰かのことをできる限り想像し,共有し,尊重する.
私たちは作業療法という作業を通して,作業療法士になりつつある.
本日,20197月5日,発売開始.