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2019/07/05

12人のクライエントが教えてくれる作業療法をする上で大切なこと


次の文章に惹かれた.

「しかしながら,相対的に価値があるかどうかではなく,絶対的価値観の中で,自己の作業遂行に対する満足度を高めていくことができれば,環境との相互交流の中で生じる揺らぎや葛藤に対して,それ自体をなくすことができなくても,うまく折り合いをつけながら生活を送ることは可能だと思います」
(循環を支援する.p.14

私小説ではなく専門書の場合,本来は執筆者の人格が見えにくい.
あの人だから実践できた,思考できたと解釈される可能性はいくらか抑えられる.
本書は根底に確立された理論や学問,科学の存在があった.
読者は巻末の参考書をきっと読みたくなる.したがって間違いなく専門書である.

が,執筆者がみえた.真摯に歩み続けた臨床家の姿が.
理想的な結果に結びついた支援の裏に,思い込み,知識や技術の不足が招いた苦い経験をみた.
クライエント,家族,職員,さらには自分の意思,価値観,能力,役割を想定し,仮説を立て,
言葉と行動を選び,相手の反応から推察をさらに深める.

その表現を,その構成を選択した背景に,どれほどの迷い,葛藤,後悔があったのか.
重圧と無力感にいくら襲われたのか.
彼は浮き沈みを繰り返す過程で手に入れたものを,私たちが受け取りやすい形で分けてくれた.
前を向こうとする作業療法士が,揺らぎと折り合いをつけながら生きることを願って.

正解なんてない,天才なんていない,完璧な環境なんてありえない.
だからこそ,自分と誰かのことをできる限り想像し,共有し,尊重する.
私たちは作業療法という作業を通して,作業療法士になりつつある.
本日,20197月5日,発売開始.









2018/07/24

#第5回COT 

昨日,空港が到着機で混雑しており,二十分ほど上空で旋回して順番を待っていた.機内のテレビからニュースが流れていた.歪んだ優生思想が動機で起こった知的障害者施設の十九名殺傷事件から二年経過,大雨洪水で校舎が使用できない児童らは他校での合同授業を再開,介護疲れと思われる理由で七十四歳男性が九十七歳の母親を殺害.録画なのか,幾度も事実が通り過ぎて再び現れた,殺傷,再開,介護疲れ.前進も後進もせず,機体はぐるぐると回った.

今日,職場に戻ると新しい実習生たちが待っていた.いつものように面接すると,自分は作業療法士に向いていないと,悲痛そうに訴えていた.今までにどんな経験を重ねたのかは,わからない.彼女たちの自己評価は正しいのかもしれない.それでも作業療法士になりたいのかと訊ねると,涙目でハッキリと頷いた.それなら僕らが支援するから,何一つ心配するなと諭した.もしも,不安は何もないと答えたなら,現実の厳しさに直面させるつもりだった.

先週末,福岡で開催された第五回日本臨床作業療法学術大会に参加した.印象に残ったのは二つ.一つは事例報告や研究会活動を通した成功体験の満足感よりも,支援できなかったことに対する後悔と解決に向けた強い意志を語っていたこと.もう一つは非常に制限された法制度に失望しながらも,決してあきらめないと韓国のベテラン作業療法士が宣言していたこと.どちらも夢物語ではなく,現実的に実現可能な目標と手段を掲げていた.

いつか,僕らが解決したい課題は限りなく広く,深く,暗い.あらゆる人の潜在的な能力が活きる機会を創りたい.一つの目的地に向かって,臨床と研究という異なる手段で突き進む.どの入り口から進み始めても構わない.ペースとコースは決められていない.僕らは誰にも強制しない,誰にも屈しない.光で目が眩んでいる人を見かけたら,僕らが闇へ連れて行く.闇の中で動けない人と会ったら,僕らが決して消えない光になる.五年前に決めた覚悟だけは変わらない.


2018/01/06

「より満足したい個人,もっと前進したい国家」

沖縄フォーラム2017「沖縄の未来をデザインする」に,さっきまで参加していた.
以前から興味はあったけど,OTの友人たちに誘われて,やっと初参加.

経済産業省の若手官僚30人で構成されたプロジェクト
「不安な個人、 立ちすくむ国家」の中心メンバーである藤岡さんによるセッションと,
沖縄で社会課題や観光業発展などで躍動されている経営者も登壇してのシンポジウムだった.

ジョン・F・ケネディが大統領就任挨拶で放った言葉を思い出した.
「国があなたのために何をしてくれるのかを問うのではなく,
 あなたが国のために何を成すことができるのかを問うて欲しい」

もし,国家が崩壊したとしても,同じ役割を担う組織が再構築されると思う.
国というのはあくまでも虚像で,異なる利害を調整し,
社会の秩序と安定を維持していくことを目的に存在してる.

だから国に依存して与えてもらうことを期待するのではなく,
個人と集合体のために意欲と能力を発揮しよう.国はあくまでサポート役に過ぎない.
これは団体,会社というコミュニティにも通じる,と解釈した.



色々な批判もあるらしいけど,タイトルを変えればいいのにと思う.
「不安な個人,立ちすくむ国家」ではなく,
「より満足したい個人,もっと前進したい国家」が内容的に適している.

不安は探せばキリがなく,多種多様なので国が解決できない原因や背景もある.
不安がないことではなく,より満足していることが目標だと思う.
若者,高齢者,障害者,非正規社員,母子家庭者という枠で縛らない.

自分の潜在的な能力を活用できる機会を創ることが目的で,
手段として人,制度などの環境をコントロールできること.
具体的な行動が仕事,趣味,育児,生活と呼ばれていること.

作業療法を提供する時に,いつも考えていることだった.またOTの話か.
でも視点が狭いというよりは,使いやすいレンズを選択しているだけのこと.
流れを本題に戻そう.えいっ.

能力を活かせていると感じることができれば,満足できる.
それを支援できていると判断できれば,前進していると感じる.
これは団体,会社,それに家庭というコミュニティにも通じる,と解釈した.

だからタイトルは,キャッチーではないけれど伝えたいことの本質である,
「より満足したい個人,もっと前進したい国家」
だったらいいのに,という感想メモ.

明日,子供の部活当番でなければワークショップにも参加したかったなぁ.
ただ,明日の役割も父親として潜在的に望んでいる仕事なので,
より能力を活かして満足したい子供たちと自分たちのために楽しんでくる.

企画,運営のみなさま,そして誘ってくれた友人たち,
考える機会を頂き,ありがとうございます.

この一年くらい考え続けてきた疑問の答えが,見つかりそうな気がする.

参考 → 「不安な個人、 立ちすくむ国家」

#沖縄フォーラム2017


2017/10/26

上肢機能回復アプローチ  脳卒中上肢麻痺に対する基本戦略


一気に半分まで読み進んだ.


10年以上前に回復期リハ病棟で担当した,忘れらない患者さんがいる.
まだ働き盛りだったその方は麻痺側手で物を押さえることはできたが,
過剰な筋緊張をコンロールできずに生活で手を使用することはなかった.
それでもADLは自立していたので,やり方を工夫することで復職も可能と予測した.
生活の中で手を使う練習と,4ヶ月後の退院に向けた復職練習を提案した.
頑なに拒否された.

外来リハを利用している知人を指し,
「あの人はもう10年も同じリハビリを受けている.いつか完全に治る可能性があるという意味だろ.
それなら自分も治ってから生活の練習や仕事に戻る練習をする」
外来を利用している件の患者さんは,筋緊張の緩和を目的とした徒手的治療を受けていた.

麻痺の回復には限界があること,あなたの手は生活で使えば今よりも上手く使えること,
手を治すことは手段であって,目的は生活や仕事が再びできるようになること.
若かった私は必死に説明したが受け入れてもらうことはなく,
患者を不安にさせなると職員から指導を受けた.患者の望みに答えなさい,と.

私は上肢機能が回復するメカニズムを説明できないこと,
その方が望むような上肢機能が回復する知識と知恵を持ち合わせていないことが,
歯がゆさ,情けなさ,無能感を生み出していた.

同時期に担当していた方々も思い出す.
少しずつ回復する麻痺手を使ってスプーンで食事をする過程において,
効率的で効果的な道具の使い方を学習していく様を目の当たりにした.
退院後に生活で使える手になった方も,使えなくなった手になった方もいた.
運動学的,生理学的に説明することを試みたが,メカニズムと根拠はひどく曖昧だった.
無責任さは,いつも,密かに強く,自覚していた.

もしも,と思うことがある.

もしも私が10年前にこの本を読む機会があったのなら,
きっと私は正確で多様な選択肢を柔軟に提案することができた.

でも,もしも,は起こせない.
絶対に,起こせることはある.
今,この本を読むことで今の私と患者さんの期待に応えることができる.
それが過去に担当した彼らへの報いと恩返しになるかもしれない.

一気に半分まで進んで,また初めから読み直し始めた.