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2011/02/26

数値化できる目標  The goal can be quantified

回復期リハ病棟のカンファレンスではFIM、Br.stageが、
特養ホームのカンファレンスでは体重、皮膚状態が話題の中核になる。

必然的に作業療法で求められることが限られてくる。
チームに期待されるOTとしての役割と、
自分がOTとしての自分に期待する役割の間にギャップが生じる。
それは、さておき。

それでも、前へ。


どうして、みんな同じ目標を目指そうとするのだろう。
職種に関わらず、個別支援・個人の尊重、患者(利用者)中心の支援、
とテキストに書かれているのに。

自分の仕事の成果がわかりやすいから、ではないかと個人的に想像している。
個別支援・個人の尊重、人生を支援する、という目的は理解できるが、
専門知識と時間とエネルギーを費やす支援の成果が見えにくい。

成果は、報告する義務と責任があり、自らも納得できる形で求めている。
数値化できるものを指標にしなければ、
責務と達成感から遠ざかるのではないかという不安。
あるんじゃないかな。

監査官、経営者が求めることと一致するメリットもあり、
数値化しやすい成果へと目を向けてしまうのでないかな、と思う。

でも、ほんとに、これでいいのかな、

と疑問を抱いているはずだとボクは思う。
だから、参加や満足度を測定できる、簡単でわかりやすい評価があれば、
その壁を崩すことができるんじゃないかな、と思う。

ADOC(作業選択意志決定支援ソフト)のHP

あれはhope。


袖山卓也さんの「笑う介護士の革命」の中に刻まれた、
力強い言葉がずっと胸に残ってゴソゴソ動いている。

金魚

その体は自分自身の力では動かすことができない状態。
その脳は自分自身の想いを表現することができない状態。
このおばあさんを介護する際に、常に体の状態を確認し支え、
常に脳の状態を確認し支えることが実践できれば、
それで問題ないというのであれば、
この介護を受けているおばあさんは、
先に挙げた金魚と何も変わらないではないか。

おばあさんの暮らし、生き方、何もかもが金魚と変わらない。
おばあさんも金魚も同じ扱いを受けているのである。
人を介護するということが
ペットの世話と同じで本当に良いのだろうか。
今あなた自身が感じたことが正しい答えであろう。
もちろん、それは間違いなのだ。

袖山卓也.笑う介護士の革命.中央法規出版 .2010.P44-45

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