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2011/12/04

ふたりの桃源郷  Arcadia for the couple

実習から帰ってきた学生にフィードバックをする時、
期間の前半は繰り返し同じ事を聴いた。
その質問に答えることができたなら、
後半は学生が持っている情報を一緒に整理するだけ。

「その方に、作業療法は、必要か」
「作業療法である必要は、あるか」
「教科書ではなく、自分の言葉で」


不足はあっても、間違いはない。


愛媛のtamura先生から資料を頂いた。
NHK山口ドキュメント’07「ふたりの桃源郷」


戦後間もなく、夫婦ふたりで切り開いた故郷の山。
ふたりは子供たちを産み育てるが、
子供たちの将来を考えて大阪で生活を始めた。
子供たちが独立し、還暦を迎えたふたりは再び、
電気も水道もない山での生活を始める。
山で暮らす理由は「自分らしく生きたい」
同居するように泣いて説得する娘たちも、
両親の選択を受け入れるようになった。


番組は平成3年の70代後半から、
平成18年の90代前半までの17年間を綴る。
老いていくふたりは、
思うように動かなくなった身体と向き合う。
同じように、子供たちも老いてゆく両親と向き合う。
子供達の説得によって老人ホームに入所した、ふたり。
癌を患い体力が削られても夫は、山への執念を抱き続ける。
認知症によって記憶を削られても妻は、夫の意思を尊重する。


やがて亡くなった夫を探し続ける妻のため、
子供たちは定期的に山に連れていく。
山には妻が呼ぶ夫の名前が、繰り返しこだまする。
今もまだ妻にとって、ふたりの桃源郷は山にある。


同じ斜光、違う輝き


ざっ、と書くと以上の内容だが、
感動の押しつけがましさが、きれいさっぱり無い。
淡々としているが、ふたりの意思が画面から押し迫る。

亡くなる前の健康を日常生活能力の自立度で測れば、不健康。
社会的な交流で測れば、不健康。運動機能で測っても、不健康。
おそらく、栄養的、衛生的、病理的には不健康。

それなら夫婦部屋で暮らさせ、栄養や生活を管理する。
交流が少なければ、高齢者を集めてゲームをやらせる。
趣味を与えるためにプランターでプチトマトを育てさせる。
何もしない時間があるなら、クレヨン画を書かせる。
それで少しでも何か起これば効果だと判断し、
何も起こらなければ維持できたと判断する。

管理の目的はQOL向上と言い、何かをやらせて作業療法と言う。
もし従うことを拒むなら、ふたりを難しいケースと呼ぼう。




もちろん、誰でも知っているように、間違っている。

では、ふたりに作業療法が必要か。
キーワードは、選択、意思、共有かな。
もし、ADOCで大切な作業を聴いたなら、なんて言うのかな。
ふたりに作業療法が必要かどうかより、理由が大切と思う。

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