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2013/05/18

いのちの芽

骨髄バンクに登録して10万人に1人という確率.
2回目の骨髄ドナーに選ばれた.
1度は提供できなかったので,選ばれたのは3回目だよ.

手術室に入ってから隠し持っていたiPhoneを取り出して,
術中に記念撮影をお願いしますと,つぶやいてみた.
・・・言ってみるもんだね.

取り出した命の芽が必要な誰かに届いて,
しっかり根ざしているといいなぁ
もし何かあったとしても,少しでも希望を抱けますように.






ボクが8歳の時に親父が膵臓がんを患い,
5年生存率は20%以下と宣言されていた.
ボクの娘が8歳になり,親父は今でも過剰に元気で150歳まで生きそう.

いま,県外の終末期医療で働く作業療法士たちの介入について相談を受けている.
担当する対象者はほとんどが,自宅に帰ることがないという.
対象者も家族も専門職も,強い精神力だといつも思う.

作業療法で提供することは疾患や症状に関係ないと個人的には考えているけど,
終末期医療だけは特別な環境だと思っている.
明日のこともわからない状況で,誰もが不安からどうやっても逃げられない.



ADOCを使用して対象者や家族から希望を引き出して,
病棟から車いすのままスナック街へ外出して酒を愉しんだ,
通所で点滴台を持ちながら家族も一緒に社交ダンスを踊った,
病院から酸素ボンベを担いで釣りに出かける準備をした,という作業療法士たちがいた.

ボクもそこまで思い切った支援を経験したことがない.
クライエントに必要があって実現が可能と判断したからやってみようよ,と
知恵と勇気を振り絞ったOTとチームメイト,家族が尊い.

基本的に,1回のイベントでは終わる支援はあまり良くないと考えている.
対象者と家族が望む時に,望む場所で,思い描くように望むことができるよう,
自分たちで環境と機会をコントロールできる支援をした方がいいと思う.



終末期に携わる場合は,少し違うと考えている.
作業療法の対象は,必ずしも患者さん,利用者さんではない.
対象者を家族と考えることもできる.

患者さん,利用者さんが亡くなって5年,10年が経った後も,
家族が大事に抱けるようなエピソードを一緒に作ることも,
作業療法じゃないかとボクは思う.

もし,患者さんが実現したかった希望に届かなかったとしても,
できる限りは向かおうとしたという事実はそのまま残るだろうし,
解釈を変え続けて成長していくかもしれない.






特別なことをやらなくもいい.
特別な意味があればいい.
作業の芽が必要な人の心に届いて,少しずつ根を広げ,いつか花が開くといいなぁ


2 件のコメント:

  1. 突然のコメントで申し訳ありません。私は、福島県で作業療法士をしています、柳沼隆弘といいます。私も多々終末期で作業療法を行っています。私も終末期は独特の雰囲気であり、特別な環境であると感じています。入院時より長期の入院が告げられ、個室の環境で、外界との接触制限、未来に対する不安と過去を振り替えるには十分すぎるくらいの一人の時間。作業療法士としてクライエントと関わる中で、クライエントから語られる多くの言葉。いつも作業療法士として1日1時間にも満たない関わりの中で、クライエントにとっての自己の存在意義を考えています。

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  2. 柳沼さん,コメントありがとうございます.沖縄の上江洲です.終末期に身を置いていない私が,意見を述べるのは許されるかと不安がありました.私が感じたことのない悩みや不安があると思います.気を悪くされていないことを願います.おっしゃる通り,クライエントは病気や将来と向き合うのに,あまりにも多くの時間を抱えていると想像しています.作業療法士もまた,何ができるのかと思い悩む時間を抱えていることだと思います.何が正しい選択かは,その時も後になっても明確にわかるものではないと考えています.クライエントはもちろんですが,作業療法士も自信を持って日々に望めることが私の希望です.

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