ページ閲覧数

2011/02/28

ベイビー・アイラブユー Baby I Love U

6歳の娘に、
別にどんな靴でもいいだろ、と言ったら、

「はーー。
男ってさ、ほんとに、わかってないよね」

と、真顔で返された。




3歳の息子が、トマトゼリーを買ってくれと本屋で騒ぐ。
なぜ本屋でトマトゼリー?
てか、好きだったか?

あー!そのDVDは、トムとジェリー。


6ヶ月の娘がiPhoneとじゃれている。
カリカリ音がするなあ、と思ったら前歯が2本生えていた。
あわわわ、表面ガラスが〜
iPhoneで試し噛みはヤメて欲しいなあ。

そうか〜歯が生えたんか。嬉しいなあ。


昔はラブソングを聴くと女性を想ったけど、
いまは君たちを想うさ。

2011/02/26

数値化できる目標  The goal can be quantified

回復期リハ病棟のカンファレンスではFIM、Br.stageが、
特養ホームのカンファレンスでは体重、皮膚状態が話題の中核になる。

必然的に作業療法で求められることが限られてくる。
チームに期待されるOTとしての役割と、
自分がOTとしての自分に期待する役割の間にギャップが生じる。
それは、さておき。

それでも、前へ。


どうして、みんな同じ目標を目指そうとするのだろう。
職種に関わらず、個別支援・個人の尊重、患者(利用者)中心の支援、
とテキストに書かれているのに。

自分の仕事の成果がわかりやすいから、ではないかと個人的に想像している。
個別支援・個人の尊重、人生を支援する、という目的は理解できるが、
専門知識と時間とエネルギーを費やす支援の成果が見えにくい。

成果は、報告する義務と責任があり、自らも納得できる形で求めている。
数値化できるものを指標にしなければ、
責務と達成感から遠ざかるのではないかという不安。
あるんじゃないかな。

監査官、経営者が求めることと一致するメリットもあり、
数値化しやすい成果へと目を向けてしまうのでないかな、と思う。

でも、ほんとに、これでいいのかな、

と疑問を抱いているはずだとボクは思う。
だから、参加や満足度を測定できる、簡単でわかりやすい評価があれば、
その壁を崩すことができるんじゃないかな、と思う。

ADOC(作業選択意志決定支援ソフト)のHP

あれはhope。


袖山卓也さんの「笑う介護士の革命」の中に刻まれた、
力強い言葉がずっと胸に残ってゴソゴソ動いている。

金魚

その体は自分自身の力では動かすことができない状態。
その脳は自分自身の想いを表現することができない状態。
このおばあさんを介護する際に、常に体の状態を確認し支え、
常に脳の状態を確認し支えることが実践できれば、
それで問題ないというのであれば、
この介護を受けているおばあさんは、
先に挙げた金魚と何も変わらないではないか。

おばあさんの暮らし、生き方、何もかもが金魚と変わらない。
おばあさんも金魚も同じ扱いを受けているのである。
人を介護するということが
ペットの世話と同じで本当に良いのだろうか。
今あなた自身が感じたことが正しい答えであろう。
もちろん、それは間違いなのだ。

袖山卓也.笑う介護士の革命.中央法規出版 .2010.P44-45

2011/02/24

機能訓練も作業か? 1 Or functional training Occpatoin?

特養ホームの新規入居者は重度の左片麻痺が残存しており、
座位保持は中程度介助、立位保持は全介助が必要だった。
発症から数年が経過しており、これまで入居していた老健で
リハビリを継続してきた。今後もずっと続けたいと訴えるる。

特養ホームの担当介護士、ケアマネは、
リハビリを希望する入居者に出会うのは珍しいことだと、
喜んで機能訓練部員で作業療法士のボクに依頼があった。

彼女が望んだリハビリは、20秒間の立位保持を4回。
平行棒内歩行を2往復。
このプログラムを老健で週に4回継続してきた、という。
ボクは持ち上げて引きずるように平行棒の中を往復した。

前任のリハビリ担当者に言いたかった。
「お前が満足するために選択した言葉と行為が、
彼女から何を奪って、何を生み出したのか知っているのか。
責任を取りに来い」

施設に電話をしようと思ったが、ただボクがスッキリするだけで
何も解決しないので前向きに考えることにした。

前任のリハビリ担当者、あるいはその前の病院のリハ担当者は、
クライエント中心です、利用者中心のリハです、と主張するかもしれない。
彼女は正しい情報を多く集めた上で、選択したことかもしれない。
しかし、これが彼女の選択した作業だと言い切ることが今はできない。

もう少し考えよう。

2011/02/22

視点を自覚する  Be aware of the perspective

娘が通う幼稚園の裏で、ハンマーを持った男が叫んでいたという。
3ヶ月後、別の男が包丁を持ってウロウロしていたらしい。
どちらも警察に保護された。




もし娘が襲われたとしたら、
きっとボクは男に身体的、精神的な制裁を与える方法に頭を使い、
気持ちが落ち着いてきたら社会的な制裁を与える方法を探すだろう。

もし娘の友人が襲われたら、
両親が選択した再発防止の提案などに協力しようとするだろう。
その時、同じ保護者として関わるかもしれないが、
作業療法士として関わるかもしれない。

娘が通う幼稚園の教員や責任者が困っているのであれば、
作業療法士として協力できることがあるかもしれないと
提案するだろう。


事件が起こった時、すぐに考えたことは別のことだった。
ハンマーや包丁を持った男は、警察に保護された後に
どのような権利が守られ、どのような選択肢が奪われるのだろう。

もし男の作業療法士として担当になった時、
彼の何を守り、何を育もうと考えるのだろう。




同時に娘の何を守り、育もうと考える。
地域で働き、暮らす人々の何を、と考える。

クライエントは誰だろう。
作業って何だろう。